3月1日は、例年、広島市内の大半の高等学校で卒業式が行われる。
私自身が高校生だった頃からそうで、現在も事情は変わっていない。
娘の通っているA高校も、本日が卒業礼拝の日だった。
在校生のうち、他学年は中学部も含めてきょうは休日になるのだが、
娘たち高2だけは、卒業礼拝に出席しなくてはならないので、
9時半までに登校せよと言われていた。
在校生が先に、9時50分までに会場であるGホールに入って待機し、
卒業礼拝そのものは10時から、という段取りだった。
さて、今朝は、そうやっていつもよりゆっくりと娘を送り出し、
「来年のきょうは、娘たちが卒業生か!」
と改めて考えると、感慨深いと言えばその通りだったが、
正直なところ私は、どうもあまり歓迎したくない気分にもなった。
シンドかった中学入試が終わって、
「やった!これで6年間遊べる!」
と思ったのは、一昨年くらいのことだったかと思えるのに、
あれからもう5年も経ったのか、ホントに?と納得できない気持ちになったのだ。
まだ、遊び足りない休み足りないという気がするのだ、親も子も(殴)。
そう思えるのは、つまるところA中高での毎日が、
それだけぬくぬくと居心地が良かったから、に他ならない。
きょうまでの5年間、娘はこのうえなく愉快に安楽に過ごして来たし、
私もまた、……まあ、役員活動などご奉仕もさせて貰ったが、
そこでの人間関係も良く、なんら不愉快なことのない日々だった。
こういう生活なら、まだあと数年は続けても良いくらいだ。
いやいや、「ほんじゃ、どうぞ」と言われて、何年も留年することになったら、
それはそれでマジ困るんで、遠慮したいんスけど(爆)。
そういうことで、とにかくこのまま順当に卒業したいのなら、
娘たちに、あと1年しか残っていないのは、もう間違いのないことだ。
明日から事実上、学校に残った中では最上級生になることだし、
少しはしっかりして貰わなくてはならない。
私自身も、もう娘の高校生活はじきに終わるのだ、と腹をくくらなくては。
そして一年後のきょう、私は満面の笑顔で、担任の先生に、
ただただお礼だけ言っていれば済むようであって貰いたいものだ。
そのためにも娘には、心を入れ替えて、勉学に励んで貰いたい、
……んなこと書いているだけで、私は無力感に苛まれるな、全く(^_^;。
ちなみに、娘の学校は私立女子校でキリスト教なので、
入学・卒業・始業・終業など節目の行事は、常に「式」ではなく「礼拝」だ。
パイプオルガンに迎えられて入場し、皆で賛美歌を歌い、聖書を読み、
祈りを捧げることが中心であり、校歌は歌うが、国旗や国歌は無い。
リベラルだとかサヨクだとかの話ではなくて、
「入学の日」「卒業の日」等々の位置づけが
教育活動としての宗教行事だから、議論の余地は無い。
当校に集う私たち姉妹の上には、天のお父様がいらっしゃるばかり、
ということだ。
卒業式その他の学校行事における国旗や国歌の意味については、
私にも個人レベルでは意見がないことはないが、それ以前に、
まずは学校が揉めていないのが何よりだと、私は有り難く思っている。
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