転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



ときどき覗いている転勤族妻たちの掲示板が、
最近は、「お正月帰省ネタ」で埋め尽くされて来た。
転勤族たちは大抵、出身地でない他県在住だから、
年末年始に、親の住む故郷の家に帰るか・帰らないか、
というのが、毎年、結構な問題となるのだ。
特に、夫婦それぞれの実家が互いに県外同士で離れている、
という場合には、移動時間や費用、体力的負担も含めて、
帰省の予定をどうするかは頭の痛いことだろうと思う。

私にとっては、既に懐かしい思い出となってしまった話だが、
福岡・神戸・今治に住んでいたときは、毎年ほぼ必ず、
お盆とお正月に広島に帰っていて、
その他、連休などには適宜、という感じだった。
年末はだいたい、主人の仕事納めの翌日から舅宅に帰り、
お正月の三が日が終わるまで居た。
ただ、松江にいたときは、冬には途中の峠が大雪だったので、
自家用車を持たない我が家の場合、バスで帰省する勇気はなく、
年末年始の時期の移動は避けて、秋口や春休みに帰っていたものだった。

休みのたびに息子一家がやって来るなんて、
姑にしてみたらどんなに大変だったことだろうか。
「あんに(あの人)は、ほんま、マメじゃけ」
と舅が褒めていた通り、姑は労を惜しまず働く人だったから、
私たちが寝泊まりすると言ったら、それはもう、
何から何まで面倒をみてくれたものだった。

一方、私はというと、出発までの官舎の後始末と、
まだ小さかった娘を連れての旅行とでひとりで勝手にくたびれ、
広島に着いたらいつもドっと安心して、
婚家だというのに(爆)上げ膳据え膳で寝泊まりしていた。
どういう気の利かないヨメだろうかと今にして思うが、
舅姑、それに主人が寛大だった御陰で(涙)、
私は自分の気楽さに気づいていなかった。
それどころか、自分なりには結構忙しいと思っていた(殴)。
お舅さん、すびばせん、私はマメとは正反対の女でしたっっ

だが、まあグータラなヨメのことはともかくとして、
まだ元気だった頃の舅・姑が、
孫に会うのをそれはそれは楽しみにしていてくれたし、
主人は一人息子で、ほかに帰省する兄弟姉妹もなかったから、
お正月に家族で集まると言っても、つまり私たちだけだった。
その意味ではこじんまりしたものだった。

舅宅で5泊程度過ごしたあと、主人は仕事初めまでに勤務地に戻り、
それから、娘と私で、今度は私のほうの実家に顔を出すのが常だった。
舅が自家用車で私の実家まで送ってくれたものだった。
我が家の場合は、主人も私も親の家が広島にあったので、
帰るとなれば両方の家に顔を出せて、その点はラクだった。
もし私のほうの実家が昔のまま神戸にあったら、
広島の舅宅が済んだあと関西まで行かねばならず、
またぞろ旅行になるところだっただろう。

あの当時のことを考えてみて、今、つくづくと思うのは、
私にとっての幸福は、主人も私もどちらも「一人っ子」だったことだ。
主人の家にせよ私の実家にせよ、もし兄夫婦などが同居していて、
私たちの帰省が兄嫁さんの負担になるのだったら、
私は決してあのようにのうのうと里帰りは出来なかったと思う。
私は、気働きができないくせに、異様に気が小さい人間なので、
兄嫁さんの機嫌を損じるようなことを自分がやっていないか、
我々の帰省のせいで兄夫婦と舅姑(両親)の間が気まずくならないか、
そんなことに気を遣い過ぎ、挙げ句に失点・失言を重ねたりして、
きっとグッタリ疲れ、涙が出るほどストレスをためただろうと思う。

ときに、その、転勤妻の掲示板のカキコミの中には、
「正月の支度が面倒だからと言って、姑は私たちに帰省するなと言い、
かわりに、姑本人がこっちの社宅に来たがっている。
掃除も何もしてないのに、姑が来るなんて面倒でしようがない」
という、某お嫁さんの愚痴が出ていて、
似たモノ同士な嫁姑に、私はすっかり感心してしまった。
嫁姑ともに、来られるのは自分が面倒くさいということで、
完全に意見が一致しているのだ。
でも逆を言えば、このお嫁さんもお姑さんも、
自分の「面倒くさがり」を認めつつも、
キッチリもてなさなくてはならないと思っているからこそ、
迎える側になるのが負担なのだ。
ある意味、偉いではないか(^_^;。

Trackback ( 0 )