昨年の暮れから姑はよく咳き込むようになり、
いつもパーキンソン病を診て貰っている内科神経科で、
年末にレントゲンとCTを撮ったことがあった。
その結果、左肺に丸い影があり、最悪は肺癌かもしれない、と言われた。
が、高齢であり体力もないので、気管支鏡の検査はせず様子を見ては、
と言われ、家族としてはほかに意見もないので、同意した。
それから数ヶ月、姑の咳は良くもならず、かといって悪化もしないままで、
昨日、改めてレントゲンとCTの検査があった。
すると、なんと有り難いことに、以前の影は小さくなっていた。
とりあえず癌ではなかったのだ。
「よかったですね。じゃ、このまま様子を見ましょう」
と医師はとても喜んでくれた。
ところで先月の初めくらいから、姑は腰痛をさかんに訴えるようになり、
これは整形外科でレントゲンを撮ったところ、骨粗鬆症の進んだもの、
という診断で、注射と投薬、という処置を受けていた。
それが、昨日の午後から、突然、前傾姿勢を取ると右脇腹に激痛が走るようになり、
咳をしてもクシャミが出そうになっても、痛くて涙が出ると言う。
これは、もしかして、肋骨をヤってしまったのか!
と我々は真っ青になり、今朝はまたいつもの整形外科に姑を連れて行った。
再度のレントゲン検査の結果、別に肋骨骨折などしていなかった。
外傷が無いので、整形外科的にはなんら、心配な所見はないと言う。
「骨は綺麗ですよ。このまま、様子を見させて下さい」
と先生は微笑んで、姑の手を優しく握ってくれた。
癌ではない。骨折ではない。良かった。心から感謝したいと思う。
だが、咳も、痛みも、全然解決していない!
「様子を見る」というのは「何もしない。そのまま我慢しろ」という意味だ。
患者側としてこれほど萎える言葉はない、と私は最近、思うようになった。
様子を見ていたら、良いことがあるのか?
異常がない、すぐなおるから治療さえ要らない、
と前向きに受けとめられるのは、若い人ならばこそではないだろうか。
極端な話、たとえ癌だろうが骨折だろうが、
痛みのないほうが、姑にはもしかしたら幸せなのではないか。
「そのくらい我慢しなさい」
と言い渡して済む年齢ではないと私なら思う。
脇腹が痛いのに咳が頻繁に出るというのは、傍目にも大変気の毒な状態だ。
高齢者医療の方向は、これで、いいのだろうか?
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