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回想:札幌での初めての仕事 1

2021-10-11 06:00:00 | 日記
(札幌の円山からの続き)
今から5年前、たかちゃんが亡くなって1年8ヶ月目


札幌に移住前に、
電話で問い合わせていた仕事、
市の老人福祉センターは無くなった。

引っ越しが済み、
札幌市内の買い物や名所や山を歩いているうちに
ギリギリ生活できて、
あとは好きなように山に行ったり
旅をしよう。


なぜか、
たかちゃんが亡くなってから
自分が長生きするとは、とても思えず
死ぬ前に、したいことをしようと
思うようになっていた。

札幌に来る前に、
健康診断で胆嚢に小さな腫瘍、
1センチになったら胆嚢を取らなければならないと言われていた。
腫瘍は0.6センチだった。

甲状腺にも5センチになる良性腫瘍があり
悪性になってないか経過をみたほうがいいと
言われていた。
治療は何もなかった。



週4日のデイサービスの看護師としての
仕事の求人があり、見学に行った。

場所は北海道大学近くの、
広々としたデイサービスだった。
ここで同じく看護師として見学に来ていた人がいた。

見学後、この方から
「時間があるならお茶しない?」
と言われて、ハンバーガー屋でお茶をした。

この方は
私より5才年上の、とても綺麗な顔立ちの人だった。

今でも連絡をくれるMさん。
初対面なのに、
夫と別居中で、
一人息子さんは引きこもりということまで、
アッケラカンと話をされていた。

私は、
見学してすぐに、ここでいいかと思い、
管理者に履歴書を置いてきた。

住まいより近いし、
雪が降っても電車で2駅、
時給もまあまあかと思ったので。

ちなみに、
札幌は関東から比べると地方なので、
給与や時給は2~3割は低い。
その代わり、地方なので賃貸の金額は安い。
ワンルームで1万円台があったのには、
驚いた。


ここのデイサービスの管理者は、
テキパキして何より感じがよい、
仕事への責任感が感じられ、
いろいろな資格を取ったりと向上心に溢れていた。

そのことをMさんと話した。
Mさんは、
よい仕事があったらいいかな程度だったので、
ここに私が履歴書を出したなら、
私は、出さない、と言って、
電話番号を交換して別れた。


数日後、
デイサービスのパートの仕事が決まった。



新しい環境に抵抗もなく、

この頃は、
春で木々が芽吹いて、
花が多い札幌の町並みに、心惹かれていた。
並木の木の根元には、近くに住む人が、
花を植えている、
それが当たり前のようにされていた。

住まいの近くには
知事公館という、
昔の知事の宿舎であり、
国の有形文化財として解放されていた。
公園があり、大きな木々に小川が流れ
芝生が敷き詰められた
イングリッシュガーデンのような
佇まいに
ワンコとよく散歩に出かけた。
エゾリスがここにたくさん住んでいた。

大通り公園とは、
かなり規模が小さいが
ミニ大通り公園も
ワンコの散歩道となった。
サクランボ、栗、くるみの木があり、
季節ごとに拾いに行っていた。

自転車の前かごに
ワンコを乗せて、
北海道大学にも行った。
広大なキャンパスで、原生林が残る敷地もあり
牧場の牛や羊に
ワンコは興奮していた。
狩猟犬の血が騒ぐのか、、


もう一つ、札幌の近くには
藻岩山(もいわやま)という531mの山があり、
この山は日々のトレッキングとして
また、札幌の町並みを見渡せる
好きな山になっていた。
ロープウェイとケーブルカーで行くこともできる。
体調によって、登りだけで
帰りはこれを使うということもできる。
登りに2時間、帰りに1時間ほど半コースであった。



たかちゃんのことは
1日足りとも
忘れることはなかったが、
移住した当初は
ひどく落ち込むことはなかったように
覚えている。

今思えば、
何かと忙しく
毎日毎日が
新しいことばかりだったからだと思う。



自然や好きな環境が、
きぶんの低下するのを防いでくれたのかもしれない。
でも、それほど長くは続かなかった。
精神的波は、
ジェットコースターのように
上がったり下がったりだった



息子からの電話は
毎日のように続いた。

関東にいた時には、
息子は、私の話なんか、まるっきり聞いてなかった。
遠く北海道に来て、
仕事でわからないことがある度に
携帯が鳴った。
2冊にまとめたノートを読めば
わかるでしょうにと、
何度も言っていた。





写真は藻岩山(もいわやま)に生息する花
エゾエンゴサク、春に咲く大好きになった花
春、藻岩山に登ると、道の両脇に咲く様は
何とも言えない、優しい気持ちになった。