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弁護士・元ロースクール教授宮武嶺の社会派リベラルブログです。

戦場のメロディ

2009年09月12日 | 感動と人生
写真
 大東亜戦争中の北多摩郡調布町は、全町を挙げて百八部隊(244戦隊)を支えており、ほとんど一体と言ってよかった。そのような中で、日活多摩川撮影所(後に大映と改称)も熱心に慰問活動を行っていた。
 20年2月10日、川崎日蓄(コロムビアレコード)慰問団。後列右から2人目、弁士松井翠声5人目作曲家古関裕而、6人目渡辺はま子、左端は新垣少尉。前列右端鈴木伍長、1人おいて頼田少尉。新垣、鈴木は1週間後の2月16日に戦死。頼田は6月6日特攻戦死。


 フジテレビ系列で今見ました。ぜひ、再放送でご覧になってください。薬師丸ひろ子の熱演、熱唱、すばらしかったです。素晴らしい女優になられました。

  昭和を代表する歌手・渡辺はま子さんは「蘇州夜曲」「支那の夜」など戦前~戦後にかけて活躍。従軍歌手として戦地で慰問を続け、第一回紅白歌合戦のトリを務めた。戦後も独自に、元日本兵や遺族の慰問を続けていたという。

 そんな中、はま子さんは、戦後七年を過ぎてもフィリピン・モンテンルパ刑務所に百人以上の元日本兵が戦争犯罪人として収容され、死刑執行を待っていると知る。
 フィリピンと日本はまだ国交がなく、日本政府も救出の手だてがない。
 そこで、国に見放された彼らと手紙をやりとりして励まし続けた。故郷や家族への思いを切々と歌い上げる「あゝモンテンルパの夜は更けて」の作詞と作曲は、収容されていたうちの二人の元兵士が手掛けた。

 収容者全員の思いを代弁し、はま子さんに託したものだ。

 
 そして、昭和二十八年、フィリピンの刑務所に収容されていた元日本兵死刑囚百八人が、奇跡の生還を果たした。

 多くの復員兵のさまざまなこぼれ話、自身の生存を知る前に再婚をしてしてしまった夫と妻、などなど。

「あゝモンテンルパの夜は更けて」をはま子さんが歌うことで、モンテンルパに捕らわれた戦犯の存在が広く知られることとなり、最終的にこの歌に胸を打たれた当時のフィリピン大統領が未来に禍根を残さないために釈放を決める。

「大統領に決断を促したのは歌だった。歌が外交さえも変える。その力が伝われば」とプロデューサーの成田さん。

 はま子さん役の薬師丸ひろ子は、一カ月間歌のレッスンを積み、収録に臨んだ。この時代独特の節回しは難しかったそうだが「戦犯の方の“和へのあこがれ”を感じながら歌った」とか。「一つの音楽が大統領の気持ちを動かし、大勢の命を救ったことに感動した。その感動がみなさんにも伝わったら」


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