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毎日、泣いて笑って喜んで哀しんでる、かなりラテンの血の濃い、そんな宮武嶺のエブリワンブログです!

日本国憲法の三大原理である国民主権に反する即位の礼は全くめでたくない。

2019年10月21日 | 日本国憲法の先進性

 

 明日、2019年10月22日は今度の天皇が即位したということで、国事行為として即位の礼が行われるのですが、11月10日の記念パレードでは、私の新事務所の前の大通りを天皇夫妻が通るらしくて、もう今から厳戒態勢。

 ちょうど間が悪く、その時間帯に新しく作る法人の理事会をやることになっているのですが、何か手荷物を持っているだけでいきなり開けさせられるらしくて、ほんとにいい迷惑です(てか、開けたくないといってるのに警察官に開けられたら違法なのだが、めんどくさくてそんな争いをする気になれない)。

 

 さて、下の産経新聞記事が典型的なように、ワイドショーでも即位の礼はものすごい歴史があるみたいに言っていますが、今回の形式が決められたのは明治時代の登極令制定からです。

 歴史を紐解くと、錦の御旗という言葉があるように、薩長連合が徳川幕府を倒すために天皇の権威を利用しようとした。

 しかし、250年以上も徳川時代が続いていたので、京都の天皇なんて忘れられた存在で権威がない。

 そこで、あの手この手で天皇の権威を上げるために、たとえば神道を作り直して庶民の身近な権威であるお稲荷さんら八百万の神々まで、天皇の皇祖である天照大神に従っていて、お稲荷さんなんかは序列が下の神なんだという体系をでっち上げたわけです。 

 これがのちに国家神道となり、日清日露戦争、アジア太平洋戦争を可能にします。

右にあるのが皇后の入る御帳台ですが、高御座と比べると大きさの違いが歴然!

こんな男女差別もアナクロニズムとしかいいようがありません。

 

 

 明治になってから富国強兵を進めるためにも天皇の権威は大いに利用されました。その一環が天皇の代替わり儀式を大々的に行う登極令であって、昔からあんな大仰な儀式をしていたわけでは全くありません。

 そして、奈良時代から使用されてきた(わけがないが)という触れ込みの高御座(たかみくら。実は大正時代に作られた)から、今回も天皇が国民代表である内閣総理大臣以下の閣僚、国会議員、都道府県知事らを見下ろして、即位を宣明し、総理大臣が万歳三唱するという、憲法の国民主権原理から見たら噴飯物の儀式が展開します。

憲法1条では、天皇の地位は国民の総意に基づくってなってるのに、天皇の地位が承継されるアイテムが剣璽、ってのがもうおかしい。

 

 

 そこに外国からの賓客を迎えているのも、神社神道的には八紘一宇の精神の表れです。天皇が他の民族も見下ろす的な。

 だいたい、憲法学上、象徴にすぎず政治的権能を持たない天皇は元首ではなく、国民が選挙で選んだ国民代表たる国会議員が選んだ内閣総理大臣が元首です。

 その象徴が代替わりするというだけで、100億円単位のお金を使って、高御座の天皇を元首たる内閣総理大臣が見上げて万歳万歳するだなんて、およそ時代錯誤で、憲法上許されないことです。

   憲法裁判所がないので、即位礼の違憲性を直接争う裁判形式がなく、だから違憲訴訟がしにくく、勝ちにくいだけです。

 

 また、前の天皇も今の天皇も、何か災害があると被災者のところに行って優しい言葉をかける素晴らしい人だみたいな物語になっていますが、時価何兆円するかわからない国民の財産(皇居)に数人で独占的に住んで、代が変わるたびにめちゃめちゃお金を使うのですから、ありがたがっている国民は戦前とまったくマインドの進歩がないとしか言いようがありません。

 

そのうえ、大嘗祭ときたら、皇室神道に基づく秘儀で完全な宗教儀式です。

これに公費が使われるのは日本国憲法の政教分離原則の明文に真っ向から反します。

つまり、天皇の代替わり儀式は憲法違反のオンパレードなわけです。

『第二十条 三項  国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

第八十九条 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。』

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即位礼と大嘗祭は違憲と提訴へ

120人が東京地裁に

2018/11/8 19:22 (JST)12/7 15:28 (JST)updated

©一般社団法人共同通信社

「即位礼正殿の儀」で、高御座の上の天皇陛下の前で万歳を三唱する海部俊樹首相。左側は成年男子皇族=1990年11月、宮殿・正殿松の間

 来年催される新天皇の「即位の礼」や皇位継承の重要儀式「大嘗祭」などは、憲法が定める政教分離と国民主権の原則に反するとして、全国の少なくとも約120人が、国に儀式への公金支出の差し止めを求め、東京地裁に提訴することが8日、関係者への取材で分かった。提訴は12月上旬を目指している。

 昭和から平成の代替わり儀式を巡っても、違憲性を問う訴訟が各地で相次いだが、原告側の代理人によると、来年の天皇代替わりに伴う儀式を巡る違憲訴訟は、今回が初めてとみられる。

 原告は、安倍晋三首相の靖国神社参拝などの違憲訴訟に関わってきた市民やキリスト教、仏教などの宗教関係者ら。

歴史伝える「即位礼正殿の儀」

即位礼正殿の儀イメージ

皇室の伝統 最新技術でみせる

 上皇さまの譲位により、5月1日に第126代天皇に即位された天皇陛下。即位当日にも儀式はあったが、皇位継承から約半年を経て、いよいよ即位礼正殿の儀に臨まれる。儀式は、皇室の伝統に根ざしながら、現代的な工夫も取り入れられて挙行される。

 儀式が行われるのは宮殿で最も格式の高い「松の間」。

 束帯や十二単(ひとえ)を着用した皇族方が並ばれ、三権の長らも定められた位置につくと、午後1時、黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)に身を包んだ陛下が、歴代天皇に伝わる三種の神器のうち天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)の複製品と八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、公務で使われる天皇の印章「御璽(ぎょじ)」、国の印章「国璽(こくじ)」とともに、「高御座(たかみくら)」と呼ばれる玉座に昇段される。

 続いて、十二単姿の皇后さまも「御帳台(みちょうだい)」と呼ばれる御座に昇られる。

 陛下が高御座から即位を宣言する「お言葉」を述べられた後、安倍晋三首相がお祝いの「寿詞(よごと)」を述べて万歳三唱し、参列者も唱和。儀式は約30分で終了する。

 

 宮殿内には、約2千人の賓客が両陛下の姿を見られるように、大小のモニター30台が設置される。モニターは薄型となり、平成のときより15台増えた。

 宮内庁幹部は「最新の映像技術で、両陛下の姿を詳しくみてもらいたい」と話している。

漆芸、金工…匠の技輝く高御座

 即位礼正殿の儀で、陛下が昇られる高御座は、遅くとも奈良時代から即位式で使われていたとされる。平安以降の資料や江戸時代の絵図が残っており、明治42年に制定された「登極令(とうきょくれい)」の附式には高御座の形状が詳しく規定された。現在のものは、皇后さまの「御帳台」とともに、大正2年に復元されたものだ。

 

 天蓋(てんがい)もある高御座の高さは約6・5メートル、重さ約8トン。御帳台とあわせて、約3千の部品からなる。麒麟(きりん)や鳳凰(ほうおう)が描かれた台座の上に、八角形の床板を2段に重ね、周囲を朱色の欄干(らんかん)がめぐらされている。八角形の天蓋の頂上と外周に飾られた計9羽の鳳凰が金色に輝く。

 平成の即位の礼の後、宮内庁は高御座と御帳台を解体して、京都御所の紫宸殿で保管してきたが、昨年9月、再び京都から皇居内へ陸送。前回から約30年が経過し、漆塗りの木材は色あせ、金具にも劣化が見られたため、宮内庁は希少な国産漆や純度の高い金箔(きんぱく)を用いて修復。改めて松の間に組み立てられたものは、鏡のような光沢を放つまでに仕上がった。

 高御座をめぐっては、天孫降臨神話を想起させるという理由から、国事行為の即位礼正殿の儀に使うことに批判的な声も一部にある。平成の際には過激派の攻撃対象となり、京都から皇居への輸送に陸上自衛隊のヘリが使われた。

 だが、高御座は皇室の伝統文化に根ざした調度品でもある。修復には国内トップ級の職人らが携わり、漆芸や金工など伝統工芸を継承する機会にもなっている。

 

皇族方、お立場で異なる装束

 5月の皇位継承儀式が洋装だったのに対し、即位礼正殿の儀では天皇、皇后両陛下、多くの皇族方が束帯、十二単という平安調の装束姿で臨まれる。お立場により生地の色に違いがあることも見どころの一つだ。

平成の即位礼正殿の儀で、儀式を終えて退出される黄櫨染御袍の束帯姿の上皇さまと、十二単姿の上皇后さま =平成2年11月12日平成の即位礼正殿の儀で、儀式を終えて退出される黄櫨染御袍の束帯姿の上皇さまと、十二単姿の上皇后さま =平成2年11月12日その他の写真を見る(2/3枚)

 天皇陛下の「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」は、平安時代、嵯峨天皇が天子の御服と定めて以来、天皇のみが着用できる色の装束として伝わってきた。即位礼正殿の儀だけでなく、宮中祭祀(さいし)でも身につけられる。頭にかぶられる「立纓(りゅうえい)の御冠(おんかんむり)」も天皇を象徴する冠だ。

 皇嗣(こうし)秋篠宮さまは皇太子の装束である「黄丹袍(おうにのほう)」を着用される。「昇る朝日の色」ともいわれ、儀式では陛下から譲り受けた歴代皇太子に伝わる「豊後国行平御太刀(ぶんごのくにゆきひらおんたち)」を携えられる。

 

 そのほか、宮内庁幹部や中庭に整列する職員らも古装束を身につける。

 こうした和様装束を天皇が即位式で着用するようになったのは、実は比較的新しく、明治天皇以降のことだ。江戸時代までの長い期間、即位式は中国文化を色濃く反映した古代からの形式がそのまま受け継がれていたため、「礼服(らいふく)」という中国風の装束や冠が用いられていた。

 皇室文化に詳しい京都産業大名誉教授の所功氏(77)は「束帯や十二単は日本の風土に合わせて発展してきた独自の装束。王政復古を目指した明治維新を機に中国風から和風装束となったのは長い皇室の歴史の中でも大変革だった」と話す。

 また、今回は高齢の皇族方に配慮して、洋装も可能とする柔軟な対応が取られた。

荘厳・壮麗 儀式彩る「和の色」

 「式全体が荘厳に行われ、特にカラーコンビネーションがすばらしく壮麗であった」

  平成の即位礼正殿の儀に招かれたデンマークのマルグレーテ女王夫妻が当時、そう語ったように、儀式は威容と厳粛さを醸し出す調度品や参列者で彩られる。

 中庭に並ぶ、「旛(ばん)」と呼ばれるのぼり旗は奈良時代には朝廷の儀式に用いられたとされ、装束と同様、中国風のものが長く使われた。江戸時代の即位式を描いた絵図には、青龍、白虎などの四神の旛も見られたが、明治以降は姿を消し、日本風に改められた。

平成の即位礼正殿の儀でも、旛や古装束の者たちが儀式を彩った =平成2年11月12日平成の即位礼正殿の儀でも、旛や古装束の者たちが儀式を彩った =平成2年11月12日その他の写真を見る(3/3枚)

 中央に2本掲げられる最も大きい「萬歳(ばんざい)旛」には、時の首相が揮毫(きごう)した「萬歳」の文字が刺繍(ししゅう)される。平成では海部俊樹首相が、今回は安倍晋三首相が担当した。

 金糸で太陽を刺繍した赤地錦の旛と、銀糸で月を刺繍した白地錦の旛の他に、皇室を象徴する菊花章の入った大錦旛2本と、五色(青・黄・赤・白・紫)の中錦旛、小錦旛が左右に林立する。

 庭上には、装束姿の職員が総勢78人控える。ひときわ威厳を放つのは、帯剣し弓矢を持った武官装束の「威儀(いぎ)の者」だ。束帯に身を包んだ文官姿の職員も「太刀」や「桙(ほこ)」「楯(たて)」などを捧持する。これらの役は宮内庁や内閣府などの職員が担当する。

 参列者に起立、着席や敬礼の合図を送る伝統楽器「鉦(しょう)」や「鼓(こ)」が左右に6基ずつ飾られる。扱うのは宮内庁で雅楽を伝える楽部の職員だ。皇宮警察官も刀を携え、弓をもった「衛門(えもん)」の役目を担う。

 職員の装束も黒のほかに、赤系の緋(ひ)色、青系の縹(はなだ)色と3種あり、旛とともに庭上を美しく彩る。

 

 

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コメント (88)   この記事についてブログを書く
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88 コメント

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横から失礼 (時々拝見)
2019-12-22 10:27:16
昭和天皇の写真を燃やす・・件について
戦時中、全国津々浦々にあった、御真影なるものはどうなったのでしょうか?
1.占領軍(自民党用語で言う進駐軍)が始末した。
2.占領軍に命じられた自民党の先輩が中心になって始末した。洗脳じゃなくて更生中の岸氏らが懲役の一部としてやらされたとは思いませんが。
3.丁寧に、お焚き上げ。
3にしても、どっかの市長の言葉を借りると・・?
どっかの市長を支持する人、追及すべきじゃないですかね?
なお、御真影というのは、旧陸軍・旧文部省用語で、海軍大元帥姿の場合はお写真と言ってたそうです。
Unknown (あ~あ)
2019-11-24 15:37:01
玉砕礼讃と感じる心とは芸術作品ではないという考えですよ。
単なるプロパガンダという考えです。
芸術作品だと考える人と共有は出来ません。
Unknown (宇治金時)
2019-11-23 17:27:07
玉砕礼賛と感じる心が動いています。そういった点で共感する人達もいるでしょう。では少女像もそうかといえば、それは違います。
Unknown (あ~あ)
2019-11-23 16:34:18
芸術に興味があっても、芸術的感性があっても心動かされない人はいるでしょう。
玉砕礼讃画だと。

そうすると芸術作品では無くなりますね。
Unknown (宇治金時)
2019-11-23 15:39:09
あなたが拘る、"人々に平等に感動を与える"の意味は、芸術に興味を持って鑑賞した人が、何かしら心を動かされるという意味です。芸術に興味のない人、芸術的感性を持たない人がいるのは仕方がない事です。
Unknown (あ~あ)
2019-11-23 14:48:58
あなたが平野政吉の考えを決定するわけでは無いのは当然ですよね。
別に平野政吉でなくとも芸術作品ではないと考える人はいるでしょう。
それとも必ずすべての人が芸術作品だと感じる筈だとでも?

芸術作品ではないと考える人がいる以上、芸術作品では無くなりますね。
Unknown (宇治金時)
2019-11-23 12:54:00
私は素晴らしい芸術作品だと思います。あなたも同じように感じました。そして平野政吉も凄い芸術作品である事は重々承知だったでしょう。自分が生涯掛けて支援していた画家を、大嫌いな軍人に奪われ、悔しい思いがあったのかもしれません。芸術作品と呼べるものは、どれだけの人々がその作品によって心を動かされたかによります。(これはもっと根元的なものであり、国家間のプロパガンダとは別ものです)平野政吉が当時どれ程動揺していたか、考える価値はあるでしょう。
Unknown (あ~あ)
2019-11-23 12:04:07
どうあれ、芸術作品ではないとする人がいるということです。
そうすると共有出来ないのだから、あなたの言う芸術の力が無いので芸術作品では無いということでOKですか?
Unknown (宇治金時)
2019-11-23 08:19:36
あーあさん、
フジタは大財閥のパトロンを持ちながら政府の依頼を受けています。戦争という題材に興奮し、創作意欲をかき立てられたのだろうと推察できます。軍人嫌いの平野氏は、世界一の画家と惚れ込み支援していたフジタが軍人の依頼で嬉々として描いていたのが許せなかったのでしょう。
Unknown (あ~あ)
2019-11-22 22:40:05
アッツ島玉砕は絵に興味が無い人ではなく藤田のパトロンであった平野政吉にさえ純粋芸術ではないと言われています。
絵に興味がある人でも芸術ではないと考える人もいる。

そうすると共有出来ない人もいるアッツ島玉砕には芸術の力、芸術の存在意義が無いことになりますな。
つまり芸術作品ではないということになる。

一体、芸術作品なのかそうでないのかどっちでしょう?
Unknown (宇治金時)
2019-11-22 19:57:04
あーあさん、
確かに、絵に興味のない人にとっては、ダヴィンチ、ミケランジェロ、ピカソ、ゴッホ、北斎、フジタもただの落書きかもしれません。芸術の定義は難しいですが、アッツ島についてはあーあさんと私は意見が一致しました。これは間違いありません。どんなに話しが噛み合わなくても、考え方がずれていても、そこだけは同じ感覚を共有出来たのです。これが芸術の力、芸術の存在意義だと思います。
Unknown (余計なお世話)
2019-11-22 14:11:20
Unknown (宇治金時)2019-10-27 01:29:21

>あーあさんは素直な方ですね、正にWGIPの思惑通りに育っていられる。アメリカ戦後の占領政策は、日本人の心を変える事でした。天皇や日本を否定し、誇りは持たず、愛国心を持たず、贖罪意識を抱え、他国に何をされても何を言われても決して逆らわない日本人を作り上げました。私はそんなに素直ではありません。日本の官僚、政治家、文化人、学者、教育機関などに対し常に疑問を感じています。反日を武器にして利を得ているからです。戦前の日本人は精神が汚染されておらず、純粋に日本の武士道精神が生きていたと思います。


たぶん、ここが一番わかり易い、発言から読み取れる心の歪みの発露でしょう。
先日の即位の礼を見ても、どれほどの日本国民が祝福したことか。もちろん、祝福しない日本国民も多数いただろう。また、この日本に誇りを持っている日本国民もいれば、愛国心のない日本国民もいるだろう。他国に何をされても言われても(もちろん、その事を咀嚼吟味して可否を決め言動を決する日本国民もいるだろう、と私見を付け加える)逆らわない日本国民もいれば、単に、感情的に逆らう日本国民もいるだろう。もしかしたら、「感情を押し隠す、素直でない反対主義者」のような人物もいるかも知れない。ああ言えば上祐、など有名な戯言を思い出した。(確か、前回貼ったリンク先でも、そのような指摘があった記憶がある)

要するに、戦後、自由を謳歌しているいろんなタイプの日本国民が現出しているのに、彼の目には「一律」の日本国民しか居ないとしか見えないのだ。
というより、あの時は、「そのように」思いついて「そのように」書いたのだろう。
そんなことを繰り返しているから、誰からも怒りを買ってしまうのだ。
また、怒りを買う理由は他にもある。

「あれこれディスカッションする事によって、より相手への理解、敬意が深まっていくものだと思います」
(Unknown (宇治金時)2019-11-22 06:55:17

とのコメントを見て笑いしかこみ上げてこない。
そんな風に「本気」で考えているなら、まず、

「あ~あさんは素直な方ですね。WGIPの思惑通りに素直に育っていられる」
Unknown (宇治金時)2019-10-27 01:29:21

なんていう枕詞は使わないだろうし、
さらに、そんな風に小馬鹿にした相手に向かって、

「あ~あさん、なぜそんなに怒るのかわかりません」
Unknown (宇治金時) 2019-11-22 06:55:17

とは、もう、デリカシーなきこと、この上なし、というほど、呆れた発言です。

なぜ、アノ時(前回のこと)も今回も、ディスカッションしているとする相手たちを、こんなに不愉快にさせるのか?
自分の発言たちにまつわる、その「事実」を一度でも「本気」で考えたことがあるのだろうか?

と思う。でも、もし、たとえ、前回同様、表向きの反省をしたとしても、それこそ、戦後のアメリカの占領政策とは全く無関係に身にこびり付いたその口先三寸、過去発言との整合性など全く無視して、何度も何度も同じことを繰り返すんだろうな~、としか思いつかない。
Unknown (あ~あ)
2019-11-22 12:23:37
>アッツ島は芸術であるというところだけでも意見が一致し、少し近づいたではありませんか。

少しも近づいていません。
あなたもわたしも一番最初からその点では一致しているから。
しかし、一致していない人もいるわけです。

そうすると、結局アッツ島玉砕は芸術作品なのでしょうか?
芸術作品ではないと思った人にとっては芸術作品ではないのでは?
Unknown (宇治金時)
2019-11-22 10:35:08
以来→依頼、の間違いでした。
Unknown (宇治金時)
2019-11-22 10:25:10
フジタがプロパガンダとして以来された事はわかっています。しかしフジタにしろピカソも、たとえ政府から以来されたものであれ、芸術的衝動により昇華された作品は、やはり人の感銘を誘うものです。プロパガンダのためのプロパガンダ作品とは違うというのが私の感想です。
Unknown (宇治金時)
2019-11-22 06:55:17
あーあさん、
なぜそんなに怒るのかわかりません。同じ作品を見て同じ感想を持てとは言っていませんし、私はあなたと争っているとは思いません。ディスカッションです。感動にはいろいろな形があるでしょう。美しい、愛らしい、楽しい、斬新、神秘的、作家の力量、さまざまな感想があります。商業的、プロパガンダ色だけの作品は良い作品ではないというのは私の考えです。作品についてあれこれディスカッションする事によって、より相手への理解、敬意が深まっていくものだと思います。現にあーあさんと私は180度違う考えの人間から、アッツ島は芸術であるというところだけでも意見が一致し、少し近づいたではありませんか。私は嬉しく感じましたよ。
Unknown (あ~あ)
2019-11-22 02:34:30
だいたい、宇治金時氏とでは争いばかり起こっている。
それはアッツ島玉砕でもゲルニカでも同様だ。
両者が共に芸術作品だと思っても、考え方の相違があるから争いが起こっている。
Unknown (あ~あ)
2019-11-22 02:31:32
何を言ってるんだ。
鑑賞する者の話なら既に述べたようにアッツ島玉砕もゲルニカも否定意見が出ている。
私が肯定したとしても否定する人もいる。

そして、今に至ってもなおヒトラーの思想ですか?
万人が同じように感じる芸術作品など無い。

だいたい、作品に対しての評価で理屈ばかり述べているのはあなたです。
Unknown (宇治金時)
2019-11-21 21:15:00
あーあさん、
作品の内容が平和への道という意味ではありません。芸術を鑑賞し、感動を共有する事によって連帯感が生まれ、心が近づき、相手への敬意、理解が深まり、争いが起こらなくなるという意味です。情操、と言っても良いでしょう。情操のないところに争いは生まれます。また芸術は説明するものではありませんし、誰かの解説で理解するものでもありません。自分自身の感性で味わうものです。
Unknown (あ~あ)
2019-11-21 19:05:06
>少女像を見て憐れと感じる人より、嘘、嫌がらせと感じる人の方が多いでしょうね。

>もう一つ、日韓が離れて喜ぶのは誰でしょうね。

陸軍にとっては藤田の戦争画はプロパガンダでした。
つまり藤田の戦争画は芸術作品では無いという結論でよろしいか?
藤田の場合は陸軍と藤田を分けて論じながら(それによって芸術作品としているし、その見方で正しいと私は思う)、少女像については分けて論じることをしないのは何故です?
仮に100歩譲ってあなたの推測通り嫌がらせや日韓が離れるのを目的に依頼されたとしても、更に作者がそれを分かった上で受けたとしても藤田が陸軍の依頼を受けたのと何も変わりませんよ。

それに日韓が離れて喜ぶのはあなたでは?
相手だけが悪くて離れるという考えこそが離れる原因になっていると思います。
Unknown (あ~あ)
2019-11-21 18:50:24
>しかしアッツ島は芸術作品であると意見が一致しました。

私は最初から芸術作品だと思うと言ってます。
しかし、あなたは本当に芸術作品だと思ってるんでしょうか?
自分に都合の良いものを挙げただけでは?
心で感じると言いながら、あなたが芸術作品と呼ぶものはあなたのイデオロギーにとって、とても都合が良い。
その上、感想もスカスカです。
心が震えたなどという作品については、それで終わりにせずに色々調べるのが普通です。
調べればそれが感想を補足するものです。
鑑定士の感想が我々よりも説得力を増すのもそのためです。

どんなに取り繕っても、ある程度は発言や行動で推測出来るものです。
Unknown (あ~あ)
2019-11-21 18:34:11
宇治金時さん

発言する前に少しは考えることをお勧めする。
私の指摘を受けて何度も芸術の定義を変えるのも滑稽だ。

アッツ島玉砕の何処が平和への道なんだ?
玉砕を強いる絵じゃないかと言う人がいるかもしれない。
あなたの指摘は平和の少女像よりもアッツ島玉砕の方が危ういと私は考える。

スペインを苦悩と死に沈めた軍隊に対する憎悪を表現したゲルニカはスペイン内戦に勝利したフランコ政権にとってはずっと憎悪の対象でした。

とても平和への道とは言えません。
Unknown (宇治金時)
2019-11-21 09:03:07
もう一つ、日韓が離れて喜ぶのは誰でしょうね。
Unknown (宇治金時)
2019-11-21 08:16:43
バードさん、
少女像を見て憐れと感じる人より、嘘、嫌がらせと感じる人の方が多いでしょうね。現在日韓関係が冷え込んでいる理由の一つです。
[横入り失礼!] (バードストライク)
2019-11-21 01:43:53
「横入り」とは言っても、あ〜あさんと宇治金時さんの論戦が盛り上がる中、別に邪魔する気はないのです。
私は私の考えを書くだけだから、おふたりは私に構わず続けてください。

> 宇治さんのコメント、
「私は芸術は人々の幸せのために存在するものだと思っています。
たとえばその作品が(中略)下手なカラオケの歌でも」

ーー 下手なカラオケの歌は芸術じゃないと思うけどな。

> 「観賞した人々が感動を共にした時、そこに人間的な暖かな心の交流が生まれます。
平和への道でもあるでしょう」

ーー宇治金時さん、自分の言葉に酔ってる ww

> 「では慰安婦像はどうでしょう。
今も世界中に増え続けるこの像は、人々の心に幸せどころか、憎しみだけを生み続けているのです。
平和への道ではないものは芸術ではない、というのが私の結論です」

ーーまず、この像の正式名称は、たしか
「平和の少女像」
だったと思います。
なんで勝手に「慰安婦像」って改変するかな?
作者に失礼ですよ。
そして「人々の心に憎しみだけを生み続け」ていると断定しているけど、私、違うも〜ん!!

もしこの少女の意味を知らなかったら、
「あー、東アジア顔の女の子!」
としか思わないな。
チョゴリ姿なのでコリアンだけど、昔の写真を見ると、日本もコリアンも中国も、みんなこういう5頭身、6頭身の「のっぺら顔」でしたよ。
(ネトウヨはコリアンを「エラ張り」「吊り目」って決め付けたがるけどね)
今は韓国のほうが美人が多い(儒教国ながら、整形に抵抗がないらしい)。
肉食が多いのか、体躯だって伸び伸びしてる。

日本の強制連行で「慰安婦」にされた少女を偲んで作られた像として見ると、彼女の幼さ、初々しさが胸に迫り、
『ああ・・・これが人道上の罪でなかったら、一体何が人道上の罪に当たるのだろう』
と恐ろしくなります。
なりませんか?
この像の隣に座って、その手を撫で、
「若葉もて 御身の涙 拭わばや」
という気持ちになりますが、宇治さんはじめオールウヨ連合メンバーズの皆さんたら、単に
「なんだこのブス! クッソ憎たらしいわ!!」
って罵倒するだけなのかな。

そしてまたしても「平和への道でないものは芸術ではない」と持論を強調 w
なんか、すごい認識の歪みを感じる。

ところで「大阪在住」さ〜〜ん、前も呼んだけど、オトモダチの宇治金時さんがピンチだよ。
早く来てあげてね!
Unknown (宇治金時)
2019-11-20 23:11:31
わかりやすく言えば、あなたと私は考え方も感じ方も違う人間です。しかしアッツ島は芸術作品であると意見が一致しました。いいね、素晴らしいね、と感動を共有できた時、あなたと私はほんの1ミリ程でも近づく事ができました。こんな間柄でも、一瞬でも仲良くなれたのです。これが芸術の持つ力であり、存在意義です。芸術は世界の共通語、理屈ではありません。
Unknown (宇治金時)
2019-11-20 21:19:47
あーあさん、
芸術は何のためにあるのでしょう。私は芸術は人々の幸せのために存在するものだと思っています。たとえばその作品が陸軍に依頼されたものであっても、斜に構えた皮肉な反芸術であっても、下手なカラオケの歌でも。観賞した人々が感動を共にした時、そこに人間的な暖かな心の交流が生まれます。平和への道でもあるでしょう。では慰安婦像はどうでしょう。今も世界中に増え続けるこの像は、人々の心に幸せどころか、憎しみだけを生み続けているのです。平和への道ではないものは芸術ではない、というのが私の結論です。
Unknown (あ~あ)
2019-11-20 16:06:31
>プロパガンダ作品は人々を感動させようとして作られたものではなく、人々を扇動しようという目的を持ったものです。

藤田の「アッツ島玉砕」はプロパガンダ作品だと言いたいのですか?
明らかに人々を扇動しようという目的を持ったものですよ。
(軍の依頼にはそういう意味合いが有ったし、藤田もその意向を受けて作成しているし)

>売れるかどうかもわからない作品を、清廉に一生懸命創作する作家と、作れば必ず一体何百万にもなる、
>強力なバックを持つ少女像作家とを同列に語るのはやめていただきたい。

つまり、藤田嗣治の戦争画(「アッツ島玉砕」を含む)はプロパガンダと言いたいの?
作れば必ず軍から多額の画料で買い上げられる強力なバック(当然、日本陸軍)を持つ画家ですよね。

私は全く分かりません。
扇動しようが、必ず売れようが、強力なバックを持とうが、そんなものは関係ないでしょう。
そんな背景が有ろうが無かろうが、その作品が人々を感動させるかどうか、人々に何かを考えさせる要素があるかどうかですよ。
あなただって「頭でっかちな知識ではなく、まず心で感じるところから始められてはいかがでしょう。」と言ってます。
なぜ、少女像についてはそれをしないの?
なぜ作品を見ずに自分に都合が良い背景しか見ないの?
あなたのこれまでの全てのやり取りの中で心で感じるところから始めたと思われる発言が無いんですよ。少女像については。
そしてあなただけではなく、トリエンナーレを批判している人の99%(私の印象ですが)が同じなんです。

一方、私は心で感じた感想だけを述べても誰も納得させることは出来ないと言っている。
鑑定団を見てみなさい。心で感じて素晴らしいと思ったものがみんな偽物ですよ。
素人の評価なんてそんなものです。
玄人だって間違うことがある世界です。
どうして少女像については芸術作品ではないなどと"断言"できるのかが分からない。
断言するだけでなく、それを"押し付けようとする"のも分からない。
これじゃ、芸術作品ではないという結論ありきで言っているとしか思えない。

もちろん、否定なさるのも自由です。
しかし、その否定を私が信用しないのも自由であり、結局あなたの発言が納得させるものを持っているかでしょう。
今の状況ではとてもそんなものはないと思います。


>あと、モーツァルトは交響曲だけではありませんよ。歌曲もオペラもあります。

どうしてこんな簡単なことが分からないんだろう?
そもそもモーツアルトの何を比べようとしているのかすらあなたは書いていませんが、
そこを意地悪でモーツアルトの身長ですか?などとは聞きません。
モーツアルトの曲という意味だと推測します。
例えばですね、私はピアノが弾けません。
小学校の音楽の授業でなんかやったかもしれませんが、そんなレベルです。
その私がモーツアルトの曲を弾いても、曲らしきものにすらなりません。
カラオケおじさんの歌声と私が弾いたモーツアルトの曲であれば必ずカラオケおじさんが評価されます。
なんで、こんなあなたが意図していない結果になるかと言えば、そもそもあなたが比べられないものを比べようとしたからです。
何故ならモーツアルトの曲は実体化しないとカラオケおじさんの歌と比較できないでしょう。
からおけおじさん自体もざっくりな表現なので、もしもざっくり比較したいなら
それなりに有名な楽団が行ったモーツアルトのある曲の演奏とカラオケおじさんがある歌謡曲を歌った時の歌声を比較するとか
そういう比較を取り上げてくださいよと言っています。
重さの単位でポンドというものがあります。
5キログラムの鉄とポンドという単位でどっちが重いか聞かれても答えられないし、
その前提では議論なんて出来るわけがないと言っています。
Unknown (宇治金時)
2019-11-17 23:34:02
あーあさん、
アッツ島が芸術作品だという点は一致しましたね。良かったです。
Unknown (あ~あ)
2019-11-17 23:05:43
>「アッツ島玉砕」だって芸術作品ではないと言っています。
これは以下の間違いだね。

「アッツ島玉砕」だって批判を読んでも芸術作品だと言っています。
Unknown (宇治金時)
2019-11-17 22:39:34
あーあさん、
プロパガンダ作品は人々を感動させようとして作られたものではなく、人々を扇動しようという目的を持ったものです。そこがプロパガンダと芸術の違いです。そういう意味から、少女像はプロパガンダであり、アッツ島は政府から依頼されたとはいえ、純粋な芸術心から創作されたものと判断しました。これは私の感想です。賛否はあるでしょう。しかし少女像については大方の日本人はプロパガンダと理解していると思います。リトグラフ、版画、(フォトグラフもそうでしょう)は、型があっても簡単に出来るものではなく、一点一点心を込めて創作していくものです。売れるかどうかもわからない作品を、清廉に一生懸命創作する作家と、作れば必ず一体何百万にもなる、強力なバックを持つ少女像作家とを同列に語るのはやめていただきたい。あと、モーツァルトは交響曲だけではありませんよ。歌曲もオペラもあります。あなたが、モーツァルトとカラオケおじさんとを同列に語るなと言われたので、差別しているのかなと思ったまで、私はプロパガンダでなければ、どちらをどう感じようと自由だと思います。
Unknown (あ~あ)
2019-11-17 19:54:15
>あーあさんは勉強家でいられるようですが、一つ決定的に足りないところがあると感じます。
>それは芸術は心で感じるものだと言う事です。

私も感じたことを述べていますよ。
「アッツ島玉砕」より「コタ・バル」の方が良いと評価していますし、
内田巌の「風」の評価だって自分が感じたことを言っています。
「アッツ島玉砕」だって芸術作品ではないと言っています。

でもね、そんなものは個人的なもので普遍的なものじゃありません。
それだけで他人に押し付けるなんてこっ恥ずかしいことは出来ませんな。
Unknown (あ~あ)
2019-11-17 19:48:03
モーツアルトで比較できるのは作曲した曲です。
からおけおじさんが何を歌うのかを示していないので、こちらは歌そのものを比較しようとしているのでしょう。

曲と歌を比較してどうするの?
同じ土俵に立ったものを比較してくださいと言ってるんですがw
最低限、どこぞの楽団のどこぞの年のある演奏と比較してください。
Unknown (あ~あ)
2019-11-17 19:41:16
全くコントです。
今になっても、これまでの議論の要諦を分かっていない。
今回のあなたの発言は私があなたに言いたいことです。

>藤田の戦争画はプロパガンダ作品として依頼されたものですが、
>こちらはプロパガンダを超えた芸術作品です。根拠は作品を見れば一目瞭然です。

この言葉が何を意味するのか?
あなたは既に「真の芸術家ならお金目的であるはずがなく、また芸術作品は普遍的且つ誰に対しても
平等に感動を与えるべきものというのが私の主張です。」などと言っている。
あなたはあなた個人の評価ではなく、だれにとっても普遍的に少女像がプロパガンダであり、
アッツ島玉砕は芸術だと言っているのですよ。
それは一目瞭然だという言葉も補足しています。
あなた個人だけの評価であるなら一目瞭然の筈が無いから。

そういう前提に立ってあなたの芸術作品に対しての論評を理解しようとしたから
あなたの発言を「俺が芸術作品だと思ったから芸術作品なんだ」でしかないと既に批判してるじゃないですか。
もしかして、今になっても「俺が芸術作品だと思ったから芸術作品なんだ」を言い続けていたの?
だったらさ、芸術なんて全く分からない人が言うようなピカソを落書きだとするような評価を押し付けるのは辞めてくれ。

>またあなたはおじさんのカラオケを最初からバカにしていますが、それこそ芸術への偏見、差別ではないのですか?

からおけおじさんを馬鹿にしてたのはあなたじゃなかったの?
あなたの発言「しかし同じ芸術かというとそれは聴いた人の感想はそれぞれ違うと思います。
稀におじさんのカラオケも凄い芸術だと感じる人もいるかもしれませんが、
それはどう感じようと自由なのでしょう。(あなたの理論によればです) 」
は何処に行ったんです?

>政治プロパガンダとコンセプチュアルアートは根本的に異質なものだという事を勉強なさって下さい。
どっちなんだ?
少女像がプロパガンダでアッツ島玉砕はアートだというあなたの主張を否定すると、
「俺が芸術作品だと思ったから芸術作品なんだ」というあなた個人の陳腐な感想が述べられる。
私を納得させようとしているの?
それとも誰も納得などしないような独り言を述べてたの?

>同じ型で何百も作り多額で取り引きされるものは単なる商品であり、真の芸術作品とは言えません。

リソグラフや版画って知りませんか?
藤田の戦争画の画料がどれくらいか知ってます?
戦後の激しいインフレにも関わらず、藤田は自分の絵の具チューブの中にぎっしりとダイヤモンドを詰め込んでパリへ旅立ったそうです。
それはニューヨークでもパリでも10年は食うに困らないほどの量であったとも言われています。
というか、ここに至ってもなお作品ではなく、背景についてしか語りませんね。
あなたの態度の方が一目瞭然ですなw

元々の議論も覚えてないのかな?
どうやら話が噛み合っていないようです。
状況が同じなのに、あなたが「アッツ島玉砕」については背景を無視して作品だけで持ち上げ、
「平和の少女像」については背景のみで作品を見ずに評価していると私は批判していた。
それに対してあなたは両方共、背景ではなく、作品だけを見て一目瞭然と言ったのですよ。
そんなことを言う以上、あなたがあなた以外の人を納得させるためには「俺が芸術作品だと思ったから芸術作品なんだ」では通らないと言っている。
程度の差こそあれ、「凄い」とか「立派」とか「震えた」ではなく、
作品について調べ上げた上で、どんなところがどのように素晴らしいかを既に述べている筈なんですよ。
調べ上げた上で自分の好みや個人的評価を加えて述べないと納得させることはできません。
あなたのは心で感じるところだけです。
ピカソを落書きだというようなもんですよw
Unknown (宇治金時)
2019-11-17 18:49:16
訂正お願いします。
評価しといた→評価していた、です。
Unknown (宇治金時)
2019-11-17 16:49:26
あーあさん、
なんと言い訳しようと、少女像はプロパガンダ像です。同じ型で何百も作り多額で取り引きされるものは単なる商品であり、真の芸術作品とは言えません。またモーツァルトの生歌など聴けるはずもありません。あなたはモーツァルトを聴いて心が震えた事がありますか?またあなたはおじさんのカラオケを最初からバカにしていますが、それこそ芸術への偏見、差別ではないのですか?音大生より音楽的才能の優れたおじさんも存在します。尚子供は論外です。作曲家の意図も理解出来ませんし、教師に言われるままに技術だけ叩き込まれた演奏はまだ発展途上であり、心からの表現、芸術性は生まれません。あーあさんは勉強家でいられるようですが、一つ決定的に足りないところがあると感じます。それは芸術は心で感じるものだと言う事です。どこの誰がそう評価しといたとか、偉い人がそう言ってたとか、頭でっかちな知識ではなく、まず心で感じるところから始められてはいかがでしょう。
Unknown (あ~あ)
2019-11-17 14:15:33
>ゲルニカの前に立った時は感動に震えました。ピカソが天才画家であると思う理由は、
>絵の素晴らしさは言うまでもありませんが、絵はただ絵の為に描く、と言い切っているところです。

本当に薄っぺらい。
あなたの評価にはいつもその作品のどういうところが素晴らしいかが全くない。
あなたの評価は一言で要約できますよ。「ピカソは凄い」とね。
しかしですね、ゲルニカもいろんな人から批判されています。
Wikipediaからですが、「深刻化するスペインの危機を視覚的に表現していない」
「ナチスの酷い犯罪の真相をだれにでもすぐにわかるように描いていない」などの批判や
ル・コルビュジエの「ピカソの壁画は醜いばかりで、観る者の心を萎えさせる」という批判もあります。

藤田の「アッツ島玉砕」も様々な批判があります。
針生一郎の「凄愴苛烈な殺しあいの光景をこれでもか、これでもかとばかり描きこみながら、作者の魂はまったくここに関与していない。
彼は野次馬の嗜虐的な興味に駆られてこのむごたらしい場面を描きながら、その効果をニヒルに、偏執狂的にたのしんでいるだけだ。」
河田明久の「軍とジャーナリズムと世論が日本兵の聖なる死をたたえ続けるかぎり、悲劇の主人公を悼む姿勢と、
かれらを手ゴマのようにもてあそぶ態度は、画家の心に矛盾なく同居することができた。」
今泉篤男の「藤田の芸術の場合は、しかしその変化、進展は主として視覚的な取材の拡大、技法の進展に置かれており、
戦争画というものの構想の内面的な変化、深まりではないように見られる」
これらの批判はあなたの陳腐な評価より明らかに説得力があり、私も同じ感想を持ちます。
藤田がどういう人間か、「アッツ島玉砕」を描いた時の藤田の言動等を見ればこれはわかることです。
しかし、それでも私は「アッツ島玉砕」を否定しない。
個人的には先にも言ったように中村研一の「コタ・バル」の方をより評価します。
しかし私の「コタ・バル」評は個人の好みの問題であり、素人の評価でしょう。
普遍的なものじゃない。

あなたが画家とは名ばかりと批判する内田厳ですが、素晴らしい画家です。
彼の作品「風」は風に対して凛としていて強い決意をもっている様子がうかがえ、風が見えるかのようです。
もちろん、内田の絵をまともに批判する人もいるでしょう。
しかし、彼の絵のどういうところがよくないのかを一切言わずに
画家とは名ばかりなどという人は根本的に芸術が分からない人ですよ。
あなたのアッツ島玉砕への論評、ゲルニカへの論評、少女像への論評、間抜けな日本人の墓への論評はどれも内容が無い。カスカスです。
特に内田厳への画家とは名ばかり発言はあなたが自分の都合に合わせて評価を捻じ曲げる人だということを明白に語っています。

あなたと違って、元自民党衆議院議員の早川忠孝氏の平和の少女像への評価は素人としては非常に的確です。
「私は未だに件の少女像を目にしていないが、愛知県の愛知トリエンナーレ展の会場の一角に件の少女像が置かれているのを見たとしても、
あ、これが噂の少女像か、くらいにしか思わなかったはずである。
いわゆる慰安婦の像だとも思わないし、韓国の方々の反日・嫌日感情を象徴する像だとも思わない。
ロダンの考える人や長崎の平和公園の平和の像ほどの特別の感興を呼び起こす芸術的な作品だとも思わないので、
私にとっては、あ、そう、と一瞥して通り過ぎてしまう一群の作品の一つでしかない。」
ちなみに、早川氏はトリエンナーレ自体については「それにしても、実におぞましい展示である。私には、とても正視できない。」と言っている。
恐らく、主に大浦作品に対しての評価でしょう。
大浦作品は非常に難解なのでこういう反応が出ても不思議じゃない。
もちろん、私は大浦作品のこういう否定的な反応については間違っていると思っていますが。(これは別の回に)

町山智浩氏の評価も的確です。「平和の少女像そのものは韓国の民族衣裳を着て無表情で黙って座っているだけで、
怒っても泣いてもないし、特に美しくも醜くもない。でも、それに対する反応が鏡のようにその人の正体を映し出している。
その意味でアートとして成功していると思います。」

芸術性が認められなかった作品に対しての反応として、プロパガンダだとかキッタネー少女像等という反応はあり得ない。
キリストや天皇に対して中指を立てるような一部のアナーキストでない限り、早川氏のように自分には分からなかったとか、
自分の好みではないとか、自分には芸術性が感じられなかったという評価になるはずです。
素人では真面目に芸術性を論じようとすれば、展示すべきではない等というような傲慢な態度になる筈が無いんですよ。
鑑定団を見ている日本中の視聴者の全てが偽物と見抜くような作品でない限りはね。
Unknown (あ~あ)
2019-11-17 14:14:48
宇治金時さん

先に言っておきますが自作自演ではありませんよ。
何が争点になっているのか理解できていないあなたのお仲間が
私の主張の正しさを証明してくれました。
つまり、彼の発言を見れば実際の作品など見ずに背景のみで評価しているのは明らかだ。
(作品自身の論評が全く無いので。これ、後述します。)
まあ、あなたはお仲間では断じてないとでも言うかもしれませんがw

>モーツァルトとカラオケのおじさんの歌は同じ音楽です。

そもそも比べるものが違っています。
モーツァルトの生歌は有りませんし、生演奏すら有りません。
それを言うならショパンコンクールの覇者とピアノを習い始めた小学生とでピアノ演奏の芸術性を比べるべきです。
(正直、この辺のあなたのセンスの無さも芸術を語れるレベルなのか疑問です。)
で、そういう比較を考えた場合、少女像作者は曲がりなりにも大学の彫塑科を卒業し、
少女像作成前から作品は売れていたわけです。
ピアノを習い始めた小学生のレベルではないですな。
まあ100歩譲って音大の学生レベルとしましょう。
はっきり言ってあなたに音大の学生とショパンコンクールの覇者の区別がつくようには思えないのですよ。

例えば、なんでも鑑定団の鑑定なんかを見ていると、
鑑定士は美術の評価を生業にしているのではなくて美術の鑑定を生業にしている。
両者は本質的に別なわけです。
しかし、それでも鑑定の中で線に勢いがあるとか緊張感が無いとか論評するわけですよ。
で、鑑定団では偽物に対して「いけませんな」「非常にたどたどしく雑」などと酷評されるわけですが、
依頼人は本物だと思っていたわけです。
それも、我々とは違ってコレクターである依頼人がです。
鑑定人の鑑定が必ず正しいかと言えば、それは分かりません。
しかし、少なくともあの番組で偽物とされたものの大部分はやはり偽物でしょう。
素人には無理なんです。
まして、鑑定では巨匠の癖も大いに対象になります。
素人に巨匠でもない人の作品について普遍的な評価などできる筈がない。
我々にできるのは個人的な評価までです。普遍的なものじゃない。
Unknown (Unknown)
2019-11-14 08:22:51
>少女像をプロパガンダと決めつける
>恥ずかしいとおもわないんですかね

元々朝日新聞の誤報を元に、挺対協が世界中に設置し続ける像を喜んで持ち上げる日本人。間で利益を得る日本人。本当に恥ずかしく思います。現在像は韓国内には100体を超え、アメリカ、カナダ、チャイナ、またアジア、ヨーロッパ諸国にも拡散され続け日本人への憎悪を植え付ける活動を続けています。少女像は一体340万円との事、同じ型で出来るもので、作者は既に何億もの利益を得ているといいます。随分と儲けますね。真面目に活動する芸術家には到底手にする事の出来ない額でしょう。
Unknown (宇治金時)
2019-11-13 13:07:27
あーあさん、
モーツァルトとカラオケのおじさんの歌は同じ音楽です。しかし同じ芸術かというとそれは聴いた人の感想はそれぞれ違うと思います。稀におじさんのカラオケも凄い芸術だと感じる人もいるかもしれませんが、それはどう感じようと自由なのでしょう。(あなたの理論によればです) 芸術の表現が自由であるなら、それを見た人がどんな感想を述べようが自由。感想も公平であるべきでしょう。私はダヴィンチ、ピカソ、ゴッホ、セザンヌ、フジタは天才だと思います。ゲルニカの前に立った時は感動に震えました。ピカソが天才画家であると思う理由は、絵の素晴らしさは言うまでもありませんが、絵はただ絵の為に描く、と言い切っているところです。たとえそれが政府に依頼されたものであれ、芸術家の表現欲、抑えられない湧き上がる創作欲とはそういうものだと思います。現代アートも同じです。芸術とは抑えられない衝動です。対してプロパガンダは芸術的衝動ではありません。政治プロパガンダとコンセプチュアルアートは根本的に異質なものだという事を勉強なさって下さい。
Unknown (あ~あ)
2019-11-13 04:14:28
>芸術作品は間近で鑑賞して初めて理解、納得できるものですからね。ではあなたは実際に鑑賞されたのでしょうね。

あのさあ、あなたのその話術で何とかしようとする癖、辞めたらどうですか?
少しは自分の立場だったらどうか考えてみたらどうです?
なんで、ちょっと考えればわかることができないのですかねえ。
あなたは「アッツ島玉砕」を実際に鑑賞しましたか?
「アッツ島玉砕」は実物を鑑賞したかもしれませんが、ダビンチの「モナリザ」は?
ゴッホの「ひまわり」は?セザンヌの「りんごとオレンジ」は?ピカソの「ゲルニカ」は?

あなたの言動や芸術に対しての姿勢から、芸術を生業としているとは到底、思えないわけです。
そして、私もまた素人です。
そんなあなたが「根拠は作品を見れば一目瞭然です。」などと言う。
おかしくないですか?

素人の我々が芸術を評価する場合、作者が有名な画家かどうかという権威主義に引きずられてしまいます。
そして芸術を生業としているキュレーターや評論家の評価にも大きく引きずられる。
それは仕方がないことですし、それを悪いことだとも思いません。
しかし、それ以外にも描いた時期とその時の社会情勢、その時の作者の背景、作者の意図を調べ、
自分なりの評価、好みを加えて総合的に評価するのが正しいあり方ではないですか?
つまり、評価する材料はたくさんあるし、実際に鑑賞した方が良いのは当然としても、
実物を鑑賞しなければ評価できない程の精度が求められるわけでもないはずです。
そして、われわれのような素人が芸術品の評価を一目瞭然などということもあり得ないはずです。

あなたが「アッツ島玉砕」評で言っているのは「戦争の悲惨さをも訴えてくる」、「迫力ある」だけです。
それが実際に鑑賞しなければ得られない評価なのですか?
はっきり言って薄っぺらい。
藤田がどういう人間なのか?、戦争画を描いた時の状況、その時の言動、
「アッツ島玉砕」については評論家の解説も様々あります。
そこに自分なりの感想を加えて総合的に評価すべきですよ。

例えば私は「アッツ島玉砕」が悲惨だという評価については少しだけ疑問があります。
現実の戦場はもっと酷かっただろうと思ったからです。
そう思って実際に調べてみたらアッツ島玉砕からの数少ない生き残りの老人は「これは絵でしがねえ。現実はこんなでは、ねえ」と言ったそうです。
あるいは迫力があるという点についても中村研一の「コタ・バル」の方が私には良く見えます。
それから戦争の悲惨さを訴える迫力ある作品は他にもあるはずです。
例えば、丸木夫妻の「原爆の図」や福井芳郎の「炸裂後15分」も悲惨で迫力があります。
これは私の個人的な感想です。私の好みも関係しているものですから当然人に強いるものじゃない。
しかし、少し調べれば色んな情報は得られるはずだし、われわれはそれ無くして評価できる程の芸術家でもない。
いや、芸術家であっても作者や作品が作成された背景無くして評価などできないでしょう。
例えば、あなたはスペインのフランコ独裁政権によるゲルニカ爆撃を描いたという事実、
ピカソが描いたという事実、そしてタイトルも知らずに、
純粋に絵を見ただけで「ゲルニカ」を評価できますか?
そもそも、あなただって平和の少女像を見ただけで評価などしていないでしょう。
慰安婦問題への抗議のため韓国の団体が日本大使館前に設置したという背景無くして
単なる少女の像を見て、それだけで否定的な評価が出る筈がない。

「アッツ島玉砕」についてはググれば一番最初に出てくるような「戦争の悲惨さをも訴えてくる」、「迫力ある」だけで
都合よく持ってきて優れていると評価しているようにしか見えないし、
「平和の少女像」については慰安婦問題への抗議のため韓国の団体が日本大使館前に設置したという点のみで恣意的に劣っていると評価しているのは明らかです。
もちろん、慰安婦の背景を含めての作品ですし、それは作者の望むところだと思いますので、それ無くして評価するのもおかしい。
しかし、作品の内容を無視してそれだけで評価して恥ずかしいと思わないんですかね。
[大阪在住さぁ〜〜〜ん!!] (バードストライク)
2019-11-12 11:18:32

オトモダチの、宇治金時さんがピンチだよ!
彗星のように現れた「あ〜あ」氏に、コテンパンにやられてるよ!
おまけに「余計なお世話」氏に、過去の大奮闘?まで晒されて、ほんと、“ 首吊りの足を引っ張る ” って、こういう事じゃないかな ww

バードは、宇治金時さんが可哀想でならない。
だって、1行〇円なんていう激安価格でこんな知的労働を請け負う、厳しい環境に生きている人を、寄ってたかって糾弾してるんだよ!
宇治金時さんを弁護してあげたい・・・
でも。
でも、バードってバカだから、とても「あ〜あ」氏の論理の爆撃を躱せそうにない。

だからぁ・・・
大阪在住さん、ぜひ宇治金時さんを助けてあげてちょ (^_^)v

Unknown (Unknown)
2019-11-10 21:53:37
あーあさん、
あなたの言う芸術作品、「馬鹿な日本人の墓」も「平和の少女像」もきちんと吟味していなかった事は認めます。芸術作品は間近で鑑賞して初めて理解、納得できるものですからね。ではあなたは実際に鑑賞されたのでしょうね。もしかしたら作品の問題提起が自分の意に沿うものであるから肯定されているのではないですか?私の考えは違います。内容はどうであれ、芸術作品として優れたものであれば肯定します。そういった意味から、少女像は使い古されたプロパガンダレプリカであり、馬鹿な日本人の墓は普通の反日活動であると理解したまで。あえて言うなら、表現の不自由展そのもの、今回の日本を混乱に陥れたドタバタ劇が、津田さんの斬新な前衛アートと理解できなくもないとは思います。藤田の戦争画はプロパガンダ作品として依頼されたものですが、こちらはプロパガンダを超えた芸術作品です。根拠は作品を見れば一目瞭然です。もちろん賛否はあるでしょうが、芸術家の才能に公平はなく、少数頭抜けた天才というものが存在します。
Unknown (あ~あ)
2019-11-10 19:47:05
>芸術は芸術として認める、これは保守、革新関係ありません。藤田の戦争画は芸術作品であり、
>少女像は朝鮮プロパガンダレプリカであり、芸術作品ではない。ただそれだけの事です。

何を言っているんだ?
私が長々書いていたのをまるで理解しようとしていない。
あなたの言っているのは、「俺が芸術作品だと思ったから芸術作品なんだ」ということでしかない。
そんな話なら少女像を芸術作品だと思った者がいる時点で芸術作品ですよ。
あなたが認めなくても他に認める人がいる以上、トリエンナーレに展示されるのは全く問題ないことになる。

あなたは、藤田の戦争画がなぜ芸術と呼べるのか根拠をまるで示していません。
芸術であるかどうかという観点と芸術として優れているかどうかという観点は違います。
藤田の戦争画は間違いなく軍から依頼されたプロパガンダです。
しかし、そうであってもそれが芸術でもあるということは有り得るわけだし、私もまた芸術だと考えている。
それはアッツ島玉砕が心を動かす、考えさせるという面を持っているからです。
(これは私の芸術に対する考え方であり、あなたはまた別の考え方があるのかもしれないがそれは示されていない。)
では、少女像はどうでしょうか?
あなたは少女像のプロパガンダ性ばかり言いますがその点に言及している限り、藤田の戦争画も同じ立場だと言っているのですよ。
私は少女像は単に日本を非難するためだけではなく、考えさせる側面があるし、工夫もされていると思っています。

>岡本太郎氏は義理人情に厚く、人としては素晴らしいですが、以外に画家らしからぬ発言であると、私は思います。
>画家がいつもいつも清廉潔白である必要があるかといえば、それは疑問です。芸術家に与えられた使命は、素晴らしい作品を後世に残せるかどうか、それに尽きると思います。

私はそういう意図で書いていません。
藤田が批判されるのも仕方がないという観点で言っています。
藤田への批判も様々あり、あなたが言う責任を押し付けたというものだけではありません。
もう一つ、あなたが藤田を持ち上げて、藤田を批判した画家たちを貶めていることを批判する意味で書いています。
あなたは全く公平ではない。

>本来純粋であるべき芸術の世界に土足で踏み込んだ活動家のずる賢さに、心から怒りを覚えます。

だからね、それを言っちゃうと藤田の戦争画は芸術ではなくなってしまうんですよ。
藤田の戦争画は純粋とはほど遠いものですし、その点を考えれば藤田も活動家ですよ。
だから平野政吉は純粋芸術ではないと批判し、藤田も記録画のようなものだからと批判を認めたのです。
そもそも、あなたは中垣作品を碌に吟味もせずに日本を揶揄したなどと頓珍漢なことを言ったのです。
他の作品についても同じことが無いとどうして言えますか?
吟味しないなんてあり得ない。
そんな人は芸術について語る資格などありません。
Unknown (余計なお世話)
2019-11-10 14:16:22
>Unknown (あ~あ) 2019-11-09 18:07:39
>宇治金時氏の発言に対しての批判(1)
>宇治金時氏の発言はいつ見ても薄っぺらいのですよ。

このコメントを見て、下の記事のコメント欄で宇治さんの発言をめぐり起こった2年前の出来事を思い出しました。記憶を頼り探し出すのに時間がかかりましたが関心がお有りならばお暇な時にでも、どうぞ。

>加計学園問題 安倍首相の強い意向を示す文書は文科省の複数部署で共有されていた
>2017年06月07日 | 安倍自民党の危険性
>https://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/7cae0263a0ea2c3849719513e52ffdda#comment-list
Unknown (宇治金時)
2019-11-10 13:55:31
あーあさん、
トリエンナーレへの批判の根本は、天皇陛下の写真を燃やしたからどうの、という話しではない、という事をご理解下さい。
芸術祭なら芸術作品でなければ意味がないのです。反天連の面々による、皇室破壊を目的とした活動は明らかに反皇室活動であり、純粋な芸術活動ではありません。少女像は明らかに慰安婦プロパガンダのレプリカです。皆が怒りを感じているのは、作品にではなく、意図です。本来純粋であるべき芸術の世界に土足で踏み込んだ活動家のずる賢さに、心から怒りを覚えます。
Unknown (あ~あ)
2019-11-10 13:40:53
宇治金時さん

私の批判はそんな話では無い。
藤田嗣治を否定していない。
私が批判しているのはあなたの態度です。
あなたが名ばかりと言った画家達も藤田ほどでは無いかもしれないが優れた画家です。
あなたは人間性に着目して他の画家を否定していますが、人間性に着目するなら藤田が賞賛に値すると言えるのかどうか。
他方、芸術性に着目するなら藤田は優れているのでしょうが、他の画家が藤田をスケープゴートにしたという人間性を批判するのもおかしいということです。

なお、あなたの発言にはおかしい所が沢山あるのでまだまだ続く予定です。
今回の発言は電車内で取り急ぎ書いたものです。
Unknown (宇治金時)
2019-11-10 13:10:56
あーあさん、
> 岡本太郎氏の話し、「パリで仕事をしていて、戦争中だけは日本に逃れて軍国主義と協力し、戦後また平気でフランスに戻って行った者も多い。私は憤りと軽蔑を感じた。筋を貫かない、無責任でイージーなご都合主義。それについて何の自覚もないというのが、いかにも日本的だ。」と批判。

岡本太郎氏は義理人情に厚く、人としては素晴らしいですが、以外に画家らしからぬ発言であると、私は思います。画家がいつもいつも清廉潔白である必要があるかといえば、それは疑問です。芸術家に与えられた使命は、素晴らしい作品を後世に残せるかどうか、それに尽きると思います。
Unknown (宇治金時)
2019-11-10 13:00:12
あーあさん、
>それまでの藤田の絵画よりアッツ島玉砕のような考えさせるものの方が私の好みでもあります。しかし、これを保守勢が評価するのが分からない。彼らはクライアントである鍾路区長のアイディアで芸術作品の形にして法律問題を回避したという平和の少女像についてはプロパガンダアートと言って認めない。芸術性の優劣や好みの問題はあるでしょう。しかし、藤田の戦争画が芸術ならば平和の少女像もまた芸術とするしかないはずです。

芸術は芸術として認める、これは保守、革新関係ありません。藤田の戦争画は芸術作品であり、少女像は朝鮮プロパガンダレプリカであり、芸術作品ではない。ただそれだけの事です。
Unknown (宇治金時)
2019-11-10 12:47:40
あーあさん、

>芸術性の観点は置いといて、人間性という観点で考えれば、
両者の違いはどこにありますか?藤田がそんなに人間的に素晴らしいという根拠もどこにもない。

藤田嗣治が人間的に素晴らしいかどうかはわかりませんし、また全ての芸術家が人間的に素晴らしいはずがありません。

>藤田嗣治という人は、調子の良い人であり、絵を描くことが大事なのであって、天皇を侮辱するような絵でも平気で描くでしょう。

それが悪いとは思いません。画家であるなら絵を描く事が一番で当然です。しかし芸術家にとって最重要課題は、秀でた才能と作品です。創作せずにはいられない程の創作への想いでしょう。しかしそれは天才のみに与えられた特権でもあります。
Unknown (あ~あ)
2019-11-10 10:52:29
宇治金時氏の発言への批判(7)

公金についての批判も話術でどうにかしたい気持ちはわからなくもないのですが、
それで良いのでしょうか?
天皇を題材にした目をそむけたくなるような表現でも
公金を使わなければ問題ないとのお墨付きを与えることになりますよ。
大浦作品などとは比べ物にならないほどはるかに下品な表現なんていくらでも可能ですが、
残念ながらそういうことまで考えている保守勢はいないようです。

補助金を申請している文化活動はほかにもあります。
トリエンナーレがお金目的だというなら、補助金を申請するすべての文化活動がお金目的になります。
愛知県が単純にお金が欲しくて問題にしていると考えるのは頭が悪いとしか言い様がない。
こんなことは少し考えれば分かることでしょう。

公金は多数の人の為だけに使われるわけではありません。
少数の人の為にも使われるべきです。
過疎の村は滅びるべきだとでもいうのでしょうか?
こんな当たり前の議論さえされていません。
多数が不快に感じているというのは感じている人にとっては損害であり、
それは小数の人の為にも使われるべきという点を超えているというのであれば議論の余地がある。
公金が使われることに問題があるとすればこれを踏まえてからの話でしょう。
しかし、そんな主張さえ誰もしていません。
Unknown (あ~あ)
2019-11-09 20:38:11
宇治金時氏の発言への批判(6)

トリエンナーレに関して私が分からないのは肖像写真を燃やすと侮辱になるのかということです。
確かにそういう意味合いを持つこともあるでしょう。
しかしそもそもそれって日本的な考え方ですかね?
韓国などで日本に抗議する場合にそういうことをやっているのを見た記憶はありますが、
日本でそういうやり方で侮辱しようとしているのを見た記憶が無いんですね。

人物写真を燃やして処分することに抵抗があるというならわからないでもないのですよ。
しかし、侮辱というのは、私には理解できません。
昔、ドラマなんかで写真を燃やすシーンなどを見たことがあったような...
とても侮辱するようなシーンでは無かったと思います。

そういうこともあって侮辱の意味合いがあるのかなあと思って「肖像写真 燃やす」等をキーワードに調べてみたのですが、
ネットではトリエンナーレについてばかり出てきて結局わかりませんでした。
しかし、思い出を燃やすとして別れた恋人との写真を燃やしたり(そういうアプリまであります。)、
単純に写真を処分する場合にも燃やすというのは行われています。
神社や寺ではお焚き上げといって不用になった愛用品などを感謝の気持ちを込めて、
天に返すという意味で燃やすことも行われています。
侮辱の意味合いもあるのかもしれませんが、そうではないこともあり得る以上、
大浦作品が侮辱ではない可能性も有る筈ですが、そういったことを吟味した上で
それでもやはり侮辱であるとする保守の意見というのは皆無です。
全ての保守勢が最初から燃やす=侮辱という意見です。

ちなみに最近は燃やした後で足で踏みつけているなどとも批判されていますが、
トリエンナーレで問題になった当初においては、燃やしたことへの批判が殆どであり、
踏みつけていることを問題にした人はほとんどいませんでしたので保守勢の意見が
燃やす=侮辱であったのは変わらないと思います。
私は某匿名掲示板で批判するスレッドをいくつか見ていたのですが、
一番最初は平和の少女像についての批判ばかりでした。
その批判の中で誰かが天皇の肖像画を燃やした映像作品について言及し、
それを受けて燃やしたことを批判する発言が急激に増えました。
この頃は踏んだことについての発言は見た記憶がありません。
そしてその後に特攻隊を侮辱したと中垣作品が批判されるようになります。
踏んだことを批判するようになったのはその後でした。
Unknown (あ~あ)
2019-11-09 20:14:45
宇治金時氏の発言への批判(5)

>真の芸術家ならお金目的であるはずがなく、また芸術作品は普遍的且つ誰に対しても
>平等に感動を与えるべきものというのが私の主張です。

この発言や表現の不自由展についてのあなたの発言はどっかで聞いたことがあるなあと思ったのです。
「国民のなけなしの税金で、民族に奉仕すべき美術館やその職員たちが
出来損ないの作品を大量に買い集めて自己満足に浸ったことに怒りを覚える。」

いやあ、そっくりですな。
宇治金時氏の考え方は前衛的な表現や非ドイツ人的な表現を
「退廃芸術」として弾圧をしたヒトラーそっくりですよ。
トリエンナーレは非日本人的な表現というわけだ。

普遍的且つ誰に対しても平等に感動を与える?
そんな芸術があるとでも思っているんですか?
すべての人が平等に感動する?
そんなものはあなたに強制されるものではない。
ゴッホは生前誰からも評価されませんでした。
ゴッホの作品は芸術作品ではないとでも言うんですか?

岡本太郎の有名な言葉に「なんだ、これは」というものがありますが、
なんだこれはと衝撃をもって心を揺さぶられるものや考えさせるものが
芸術だという意味だと私は解釈していました。
そして実際に調べてみると岡本太郎はこうも言っています。

「いつも言っていることだけれども、芸術はきれいであってはいけない。
うまくあってはいけない。心地よくあってはいけない。それが根本原則だ。」

さすがに言い過ぎな気もしますが、私の解釈は間違ってはいなかったと思います。

>一番可哀想なのは、今回純粋な気持ちでアートに取り組んできた方々です。
>ずっと真剣に芸術に取り組んでいる人間のみ知り得る神聖なものだと思います。

一番可哀想なのは、今回純粋な気持ちでアートに取り組んできたのに、
宇治金時氏のような人に吟味もせずに揶揄しているなどとされた中垣さんのような方ですよ。
ずっと真剣に芸術に取り組んでいる人間の作品を碌に吟味もせず日本を揶揄しているなどと
決めるつけるような恥ずかしい人に、日本を侮辱しているなどと発言する資格などありません。
Unknown (あ~あ)
2019-11-09 20:09:17
宇治金時氏の発言への批判(4)

少し違った視点から藤田嗣治に対して強烈な批判をしているのが岡本太郎です。
日本が戦争に勝てないと思っていた岡本はそれを上官に正直に言ってしまい、マークされてしまいます。
ことあるごとにしごかれた岡本なので、軍からの要請で要領よくやった藤田を批判したという見方を
している人もいますが私は少し違うと思います。
岡本太郎はフランスから引き上げる時、ナチスに対してのレジスタンス運動に身を投じる友人たちを
見捨ててパリの危機から逃げ出した自分は友人達を裏切ったと考えました。
そしてフランスを離れる時、裏切った自分はもはや同志ではないとしてこれをフランスとの永遠の別れとしたのです。
岡本の文章にはこの時の話が何度も出てきます。

「私の若き日の十年を葬ったフランスの土地、私は今この土地を見殺しにして去るのである。
そして又私の生命の一部でもあるべき親友達は敗戦のフランスを護りつつ、或は死んで行きつつあるのかもしれない。
共に生活した彼らとこの土地を捨て去るのは裏切りであるのに違いないのだ。許してくれ!」

「それまで本当に兄弟以上につきあって来た。われわれは同志なのだ。同じフランス人でも、
近所の肉屋やパン屋の親父、弁護士やサラリーマン、そんな連中とは関係ない。
それよりもおれたちこそ、国籍とか人種などを超えて結びあい、一体なのだと誓いあったのに...」

「船尾に立ってじっとながめているうちに、涙がふき出て来た。
哀しみ泣く姿を見て、私の背中を優しくたたいて慰めてくれる人がいた。
「太郎さん、戦争が終わったら、また帰ってくればいいんだよ」
私はひどく腹が立った。何を軽薄なことを言っているんだ。この時点で去る以上、フランスとはもう永遠にサヨナラだ。
確かに戦後再びここを訪れてくるだろう。しかし戻って来ても、私はもう「訪問者」でしかないのだ。
それは私の決意だ。」

そして藤田を「後の話になるが、パリで仕事をしていて、戦争中だけは日本に逃れて軍国主義と協力し、
戦後また平気でフランスに戻って行った者も多い。私は憤りと軽蔑を感じた。筋を貫かない、無責任でイージーなご都合主義。
それについて何の自覚もないというのが、いかにも日本的だ。」と批判したのです。
Unknown (あ~あ)
2019-11-09 19:38:51
宇治金時氏の発言への批判(3)

当初、アッツ島玉砕は藤田のパトロンであった平野政吉に送られる(藤田の言い値だ買うこと)予定でした。
しかし平野はこれを純粋芸術ではないと言って断り、こういうものを描くべきではないと批判しました。

松本俊介は藤田が自分を軍国主義者ではないと弁解したことを批判して
「戦争画は非芸術的だということは勿論あり得ないのだから、体験もあり、
資料もゆたかであろう貴方達は、続けて戦争画を描かれたらいいではないか」と言いましたが、
藤田はその後、戦争画を描くことはありませんでした。

宇治金時氏は左翼画家が藤田を批判したかのように言っています。
確かにその通りですが戦後まもなくであれば別に画家に限らず、
一般人からも批判されるのは当然のことです。
ナチスの人体実験が医学に貢献したことはその通りであり、
医学単体で考えればその貢献自体は称賛されるべきかもしれません。
だからと言って実験をおこなった医者達を称賛できますか?

宇治金時氏の戦犯への感想も同じです。
戦犯に比較して驚くほど犠牲者に冷淡なのです。
どうも宇治金時氏の頭の中では犠牲者は記号のようなもので、
実際には存在していないようです。
Unknown (あ~あ)
2019-11-09 18:12:58
宇治金時氏の発言への批判(2)

>戦争の悲惨さをも訴えてくるような、ヨーロッパ絵画にも見劣りしない程の迫力ある立派な芸術作品でした。

何かのコントですかねえ。
あなたが立派だと思うのは勝手ですが藤田の戦争画はプロパガンダアートだという人もいたということですよねえ。
そしてこれを認めない人もいる。
つまり普遍的且つ誰に対しても平等に感動を与えているわけじゃないということですね。
あなたの言によれば藤田は真の芸術家ではないということになります。

藤田は陸軍報道部からの要請で戦争画を描きました。
つまりプロパガンダアートというわけです。
そんなものは優れているかどうかを吟味する以前に芸術と呼んで良いのでしょうか?
私はそれでも芸術と呼んで良いと思います。
それまでの藤田の絵画よりアッツ島玉砕のような考えさせるものの方が私の好みでもあります。
しかし、これを保守勢が評価するのが分からない。
彼らはクライアントである鍾路区長のアイディアで芸術作品の形にして法律問題を回避したという平和の少女像についてはプロパガンダアートと言って認めない。
芸術性の優劣や好みの問題はあるでしょう。
しかし、藤田の戦争画が芸術ならば平和の少女像もまた芸術とするしかないはずです。

また、アッツ島玉砕は「悲惨なもの」を「勇気あるもの」と捉えさせ、「一億玉砕」の信念を植え付けたと批判した人もいます。
藤田がどういう思いだったかは別にして、これはあったでしょうね。
百田尚樹の小説のように、「お国を護るために自らの命を投げ出した尊い犠牲」にみんな心動かされたということでしょう。
戦時中の人々が心動かされるのは仕方ない。
けれども現在を生きる我々は「お国を護るために自らの命を投げ出した尊い犠牲」を強いるような世界にしてしまった
馬鹿者共に怒りを覚えるべきだと思います。
Unknown (あ~あ)
2019-11-09 18:07:39
宇治金時氏の発言に対しての批判(1)

宇治金時氏の発言はいつ見ても薄っぺらいのですよ。

藤田嗣治についての文章もどこからコピペしたんだろうと思ってしまいます。
藤田を称えて、藤田を追放に追いやった者を貶める文章。
芸術性の観点は置いといて、人間性という観点で考えれば、
両者の違いはどこにありますか?
藤田がそんなに人間的に素晴らしいという根拠もどこにもない。

随分、都合がいいなあとしか思えません。

藤田嗣治という人は「これは、私の奉公だ。絵でもって国のために戦う」などと言っておきながら
「日本が負けても、おれや、君は困らない」等とも言ってしまう人です。
きちんと調べればわかると思いますが、ある意味調子の良い人です。
絵を描くことが大事なのであって、天皇を侮辱するような絵でも平気で描くでしょう。
終戦後、批判を恐れたのか、藤田は全作品をアトリエに運び込み、日本語の署名に英語で T. Foujita というサインを追加し、
皇紀2605年を1945に書き変え、「我身ヲ以テ太平洋ノ防波堤トナラン」という文を消したりもしました。

それからパリへ帰りたいと言い出したのはアッツ島玉砕を書いた頃です。
藤田は元々パリへ帰りたかったのです。
藤田が戦後批判されたのはその通りですが、彼の二面性を考えれば彼の言葉を額面通り受け取るのはいかがなものかと思います。
Unknown (宇治金時)
2019-11-03 08:33:21
ついでにもう一つ言っておきましょう。
戦後日本の美術界はGHQ政策により、画家、藤田嗣治一人に責任を取らせ、事実上追放に追いやりました。藤田が戦意高揚を目的とする戦争画を依頼され描いていたという事を理由としてです。(自分達も描いていたくせに。)しかし藤田の絵は戦意高揚のプロパガンダアートなどではなかった。戦争の悲惨さをも訴えてくるような、ヨーロッパ絵画にも見劣りしない程の迫力ある立派な芸術作品でした。それに嫉妬したのか、実際のプロパガンダ絵画を描いていた者達はこぞって藤田に責任を押し付け、日本から追い出しました。日本は一人の素晴らしい天才画家を失ったのです。そして画家とは名ばかりの残った者達が日本美術協会を作り上げました。日本美術協会は今現在でも日本美術界の中心におり、美大など教育機関には左思想が蔓延しているのです。美術家は左思想でなければ居づらいという風潮があるのはそういった経緯があります。
武士道精神とは (kei)
2019-10-30 23:26:09
失敗の責任を取らずに済む為に、言い訳を並べ立て、精神的に弱い人を指す言葉だったのですね。
Unknown (宇治金時)
2019-10-29 10:21:29
最後に一つだけ。

>日本は極東軍事裁判を受諾している。リンチが嫌なら抵抗すればよろしい。それこそ自存自衛の為に開戦時よりも必要なことです。実際はリンチではないから抵抗する必要も無いし受諾したのですよ。

武士には犠牲の心はあれ、自分の命乞いの為には戦いません。これから自分は縛り首になり吊るされる、こんな地獄はないでしょう。しかし死刑を宣告された7士は孫や子供達に対し、にこやかに、これで顔を見るのは最後になるが、よく勉強して暮らしなさいと静かに話したといいます。死ぬのは構わないが、やってもいない事で処刑されるのは残念だと、松井石根は話したといいます。ご理解いただけるかどうかわかりませんが、武士道精神とはこのようなものなのです。連合国の一方的で理不尽な判決に黙って従った侍達を尊敬せずにはいられません。良い議論が出来ました。ありがとうございました。
Unknown (あ~あ)
2019-10-28 21:28:03
>あーあさん、
中垣氏のインタビュー記事は知っています。

今さら何を言っている!!
間抜けな日本人の墓などと揶揄するのはいかがなものと言ってるじゃないか。
不自由展には他にも作品があります。
にもかかわらず、あなたは不自由展を否定するためにこの作品を挙げているじゃないか。

あなたは碌に作品について吟味していません。
Unknown (宇治金時)
2019-10-28 15:06:31
失敗であったという事は同意します。しかし非難はしません。その時はそれしかなかった、むしろ英霊の方々に感謝します。歴史に学び、これからを考えていけば良いと思います。まずは完璧な抑止力の完成(武力だけとは限りません。知恵をしぼるのです)。お金をたかられるだけもいけません。これからの若者に期待します。湛山氏は何が言いたいのかよくわかりません。日本の味方なのかそうでないのか、偏っているのか、またはチャイナとの結束があるのか、、どうにでも取れる話しでわかりにくいです。
Unknown (Unknown)
2019-10-28 12:50:45
あーあさん、
中垣氏のインタビュー記事は知っています。私が疑問に思うのは、表現の不自由を前面に被害者を装い、補助金を得ようとするイベンター達です。真の芸術家ならお金目的であるはずがなく、また芸術作品は普遍的且つ誰に対しても平等に感動を与えるべきものというのが私の主張です。先の戦争で300万人の方が亡くなられた事は本当に悲しい事だと思います。だからこそ歴史に学び、次からは犠牲者を出さないように手を打つ必要があるのでは?話しが言葉遊びと言われるので、少し具体的な話しをすれば、大東亜戦争に至る抗日戦争については、1937年8月、中ソ不可侵条約により、(実際はソ連政府と中共とのコミンテルン間の相互援助条約により)ソ連はチャイナに援助し、日中を戦わせている間にソ連は勢力を拡大し、モンゴルを経てチャイナ心臓部である揚子江に侵入しようとしました。ソ連ほど信用出来ない国はなかったのです。あーあさんは、はなから日本を悪と決めつけているようですが、本当の悪はなんでしょう。現在でも一党独裁国家の恐ろしさはご承知と思います。中共のチベット、ウィグルへの残虐な政策は批判されないのでしょうか、あれこそが人権侵害の最たるものと思われますが。比べてあいちトリエンナーレなどは、あわよくば大金が手に入る、という程度の津田さんのお遊びだと思います。
Unknown (あ~あ)
2019-10-28 11:41:10
>これはif、理想ではあります。では同じように考えて、もし日本が最初から抵抗せずに相手のいいなりになっていたらどうなったでしょう。

全くその通りです。
私は窃盗や強盗のように悪意をもって悪いことをしたと言っているのではない
失敗したと言っている。

原発は事故が起こらなければ夢のエネルギーであり、チェルノブイリは必要なものでした。
これもifです。
しかし事故は起きました。
チェルノブイリには誰も責任を取る必要が無いと言いますか?

>誰にも断言出来る話しではありませんが、おそらく今のアジア諸国、日本はないでしょう。

誰にも断言出来る話では無いですねえ。
おそらく間違いなく今のアジア諸国、日本はあったでしょう。

石橋湛山は言っています。
「例えば、満州を棄てる、山東を棄てる、その支那が我が国から受けつつありと考えうる一切の圧迫を棄てる。また朝鮮に、台湾に自由を許す。その結果はどうなるか。英国にせよ、米国にせよ、非常の苦境に陥るだろう。何となれば、彼らは日本にのみかくの如き自由主義を採られては、世界におけるその道徳的地位を保つ得ぬに至るからである。そのときには、世界の小弱国は一斉に我が国に向かって信頼の頭を下ぐるであろう。インド、エジプト、ペルシャ、ハイチ、その他の列強属領地は、一斉に日本の台湾・朝鮮に自由を許した如く、我にもまた自由を許せと騒ぎ起つだろう。これ実に我が国の地位を九地の底より九天の上に昇せ、英米その他をこの反対の地位に置くものではないか。」

誰にも断言出来る話では有りません。
歴史にifなど有りません。
ただ失敗したという事実があるのみです。
Unknown (あ~あ)
2019-10-28 10:55:37
>家族のためと信じ、命をかけて戦った方々を、トリエンナーレの展示のように足で踏みつけたり、間抜けな日本人の墓などと揶揄するのはいかがなものでしょう。

私が猛烈に怒っているのがここです。
「間抜けな日本人の墓」が命をかけて戦った方々を揶揄している?
下記を最初から最後まで全て読んでから、そんなことが言えますか?

https://iwj.co.jp/wj/open/archives/129037

あの作品は寧ろアメリカの占領政策と、それも受け入れている今の日本を批判するものじゃないか。

作品がそういうものだという作者の主張を受けても、そういう作品だとは思えないという批判や、それでも不快だという意見はあり得ると思います。
しかし、あなたには作者の主張を受けたという形跡が全く無い。

戦前にも戦争に反対する日本人は居ました。
しかし、その反対の意見を"吟味することなく"一方的に非国民と罵った国民が多数でした。
正に今のあなたですよ。

作者はこう言っています。
「80年前の国民もそういう状況にあったんです。経済的に逼迫し、それを打開しようとしたのが戦争の発端だった。だから、あれは国民が求めた戦争だったんですよ。みんなが一生懸命になってやったんです。軍部にだけ責任を押し付けても、反省にはならない。東条さんは、合意のもとでやったつもりだと思いますよ。国民が選んだんだから、国民にも責任がある。戦争をしたのは、少なからず国民の意思が働いたからです」
Unknown (あ~あ)
2019-10-28 10:29:43
宇治金時さん

日本政府及び国会は1952年(昭和27年)に発効した日本国との平和条約第11条によりこのthe judgments[2] を受諾し、異議を申し立てる立場にないという見解を示している[3]。

どんな言葉遊びを弄しても日本は極東軍事裁判を受諾している。
リンチが嫌なら抵抗すればよろしい。
それこそ自存自衛の為に開戦時よりも必要なことです。
実際はリンチではないから抵抗する必要も無いし受諾したのですよ。
あなたは戦犯の立場しか見ていないようですか、世界の破滅を避けるために無条件降伏を受諾したと言ってるじゃ無いですか。
あなたの主張に則れば戦犯の死刑など大した問題じゃ無いでしょう。
繰り返しますが私の主張ではなく、あなたの主張に則ればです。

あなたは不思議なことに日本人戦死者については言及しませんね。
戦犯は大事だけど300万の日本人犠牲者はどうでもいいということですか?
私は連合国の勝手な裁判を否定してるんですけどね。
都合が悪いのかな。
Unknown (Unknown)
2019-10-28 07:39:27
また、
>日本が生き残ったということは、生き残る為に必要な戦争では無かったとしか言い様がありません。
>世界の破滅を避けるために、天皇は非戦の道を選ぶべきだったじゃないですか。
これはif、理想ではあります。では同じように考えて、もし日本が最初から抵抗せずに相手のいいなりになっていたらどうなったでしょう。誰にも断言出来る話しではありませんが、おそらく今のアジア諸国、日本はないでしょう。実際今も残念ながら日本はアメリカの庇護の下になんとか生き延びている形ですが、日本や小さなアジア諸国は完全に欧米の領土か、またはロシアの領土になっていたかもしれません。手段は間違えていたかもしれませんが、当時の日本人は、決死の思いでそれを阻止しました。日本を見習いアジア諸国も独立のために戦いました。ですからほとんどのアジア諸国は皆今でも日本に感謝し、尊敬の気持ちを持っているのです。しかし日本人だけがWGIPのために自虐史観を植え付けられてしまっているのは情けない事です。三島由紀夫が命と引き換えに訴えた気持ちもわかります。
チャイナは今でも世界制覇、またはアメリカに代わり世界の代表の立位置を狙っています。大切な事はこれからの日本はどうするかです。戦争はいけない、これは当たり前の事で、重要なのは相手に戦争を起こさせない事です。日本はもっと徹底した独自の抑止を考えていく必要があります。スイスを見習っても良いでしょう。ただの平和主義はむしろ紛争を招くという事、吉永小百合さんのような優しい考えが実は一番危険なのです。こちらは皆と仲良くしたいと思っていても相手は違います。独占欲と支配欲から手段厭わず動く国が近くに存在します。つけ込まれるところから諍いは始まります。
Unknown (宇治金時)
2019-10-27 23:46:15
あーあさん、
まずWIGPではなく、WGIP、ウォーギルトインフォメーションプログラムです。私も別に全てを信じている訳ではありません。精神が汚染されていないというのは、WGIPに洗脳されていないという意味です。日本は東京裁判を受け入れたのではありません。東京裁判は決して逆らう事の出来ない、勝者による敗者への残酷なリンチでした。完全な捏造である南京30万人虐殺首謀者という汚名を着せられ、松井石根は処刑されました。もしあなたが死刑廃止論者でしたらそこはどうお考えでしょうか。それこそ矛盾ではありませんか?その時代時代の流れ、空気があります。世論や歴史の必然もあるでしょう。後世の価値基準では説明出来ない部分もあります。後からはなんとでも言えるし批判も出来ます。また小学校から大学教員までと言われますが、教育機関やマスコミには真っ先にGHQの手が入ったと言われています。日本のため、家族のためと信じ、命をかけて戦った方々を、トリエンナーレの展示のように足で踏みつけたり、間抜けな日本人の墓などと揶揄するのはいかがなものでしょう。私の主張はトリエンナーレとは違います。相手への侮辱や恨みではなく、真実を並べるのみです。そして真実を並べる事により、嘘や作り話をふるいにかける事が出来るのだと思います。とは言え、過ぎた事は水に流すのが日本人、アメリカとは今は固く友情関係を結び、世界の安定、平和のために協力していく事が重要と考えます。
Unknown (あ~あ)
2019-10-27 22:00:20
最後にもう1点どうしても申し上げたいことが有ります。

あなたにアメリカによる原爆投下や占領政策、それを受け入れている日本を批判する資格はありませんよ。
あなたは左右の違いはあれど、あなたの主張とそっくりな愛知トリエンナーレの作品を日本を侮辱したものと決めつけているじゃないですか。
Unknown (あ~あ)
2019-10-27 21:59:00
「生き残る為に戦争が必要だと思って戦争をした。
しかし日本、世界の破滅を避けるために降伏した。」
もしそうであれば日本は生き残らないのが必然です。
生き残るために必要なことが成されていないのですから。
さて実際はどうでしょう?
日本が生き残ったということは、生き残る為に必要な戦争では無かったとしか言い様がありません。

>日本国民を救うためだけでなく、世界の破滅を避けるために、天皇は降伏の道を選びました。

日本国民を救うためだけでなく、世界の破滅を避けるために、天皇は非戦の道を選ぶべきだったじゃないですか。
既に300万人が死んでしまっています。
彼らはどうでも良いということですか?
Unknown (あ~あ)
2019-10-27 21:56:09
WIGPによるプロパガンダには言及するくせに、日本によるプロパガンダには言及しませんね。

>日本国民は感謝こそすれ石を投げる者など一人もいなかったといいます。

あなたもこれを信じていますか?

終戦の直前、昭和二十年七月十二日に元首相・近衛文麿は「今や(国民は)皇室をおうらみ申し上げる事態とさえなっております」と天皇に報告していました。

戦争が終わったとき、昭和二十三年六月十三日に南原繁東大総長は、天皇退位を国民感情とし、「私は天皇は退位すべきであると思う、これは私一人ではなく全国の小学教員から大学教授に至るまでの共通意見となっている」と言いました。

昭和二十三年の五月十六日の週刊朝日では、当時の三淵最高裁判所長官も「終戦当時陛下は何故に自らを責める詔勅をお出しにならなかったか、ということを非常に遺憾に思う。」「公人としては自分の思慮をもって進退去就を決するわけにはいかないんだ。」「だけど、自らを責めることは妨げられない。だから、自分の不徳のいたすところ、不明のいたすところ、国民にかくの如き苦労をかけたということを、痛烈にお責めになれば、よほど違ったろうと思う」と言っています。

石を投げる者がいなかった理由は簡単です。
実際には日本国民は戦争に賛成でした。
朝日新聞が戦争に反対していたのは有名な話ですが、それにより新聞が売れなくなってしまい賛成に転じました。
このことは朝日新聞が賛成に転じて戦争を煽る前から国民は賛成していたということを示しています。
戦争に賛成した国民が敗戦したからと言って天皇に石を投げるような恥ずかしいことができると思いますか?
Unknown (あ~あ)
2019-10-27 21:41:28
そもそも何をもって私がWIGPの思惑通りに育っていると?
私は対外においての日本の罪悪のことなど論じていませんが。
もしかしてA級戦犯のくだりに反応したのですか?
それならば言い直しましょう。
他国に対して行ったことを一切評価せず、日本国内に対しての責任のみであっても東京裁判は勝者の裁判であり到底受け入れられるものではない。
300万人を超える死者を出し、その約半数が餓死であったことを考えると絞首刑では生ぬるい。
彼らには20日間分の食糧と弾薬を入れた20キロのリュックを背負わせ140日間ジャングルを行軍させた(これで生き残った人がいます。200人中6人が生き残りました。)後に処刑すべきです。

なお、日本は東京裁判を受け入れたので、あなた方の勝者の裁判との言い訳は何の意味も無いことも指摘しておきます。
Unknown (あ~あ)
2019-10-27 21:38:58
>私はそんなに素直ではありません。

はあ、そうですか。

>戦前の日本人は精神が汚染されておらず

こちらについては無条件に信じると。

>純粋に日本の武士道精神が生きていたと思います。

こちらについても無条件に信じるとw

>この戦いは日本自存自衛のためであったと、マッカーサーははっきりと提言しています。

なるほどw
WIGPは信じないけど、その責任者たるマッカーサーの言葉は信じるとw

全くアホらしい。
あなたは自分に都合が良ければ信じ、都合が悪ければ信じないだけでしょう。
Unknown (宇治金時)
2019-10-27 09:04:14
あと、
>民族が滅ぶまで続けるべきだったでしょう。
これは天皇は強い意志を持ってそうさせませんでした。日本国民を救うためだけでなく、世界の破滅を避けるために、天皇は降伏の道を選びました。さまざまな意見が論じられますが、この戦いは日本自存自衛のためであったと、マッカーサーははっきりと提言しています。日本は敗戦はしましたが、アメリカの方が敗北感は強かったのではないでしょうか。原子爆弾を使った事は、国として人として、決しておかしてはならない世紀の大犯罪だったのです。だからこそ、徹底的に日本精神を破壊し、日本人を大悪人に仕立てる必要がありました。
Unknown (宇治金時)
2019-10-27 01:29:21
あーあさんは素直な方ですね、正にWGIPの思惑通りに育っていられる。アメリカ戦後の占領政策は、日本人の心を変える事でした。天皇や日本を否定し、誇りは持たず、愛国心を持たず、贖罪意識を抱え、他国に何をされても何を言われても決して逆らわない日本人を作り上げました。私はそんなに素直ではありません。日本の官僚、政治家、文化人、学者、教育機関などに対し常に疑問を感じています。反日を武器にして利を得ているからです。戦前の日本人は精神が汚染されておらず、純粋に日本の武士道精神が生きていたと思います。
Unknown (あ~あ)
2019-10-26 11:29:35
自存自衛でどうしようも無いなら無条件降伏など選択してはいけない。
民族が滅ぶまで続けるべきだったでしょう。
一億総玉砕のスローガンのもと実際にそのつもりで戦死した人がたくさんいたのですよ。

無条件降伏を選ぶことが出来たということはじっさいはどうしょうも無いなどというものでは無かったということです。
Unknown (あ~あ)
2019-10-26 11:20:16
アホらしいね。
そんなものは全て分かっている。

それならどうして戦争が起きたのですか?
天皇と国民の心が一つであり、天皇が望まなかったのであれば戦争など起きる筈が無い。
実際は天皇が反対したにも関わらず戦争は起きた。
つまり宇治金時氏の言うような効力など無いということだよ。

天皇の効力などと自分に都合の良い場面に天皇を利用しようとする者にはうんざりだ。
Unknown (Unknown)
2019-10-26 00:34:55
あーあさん、
先の開戦の詔勅を読まれましたか?戦後GHQ占領政策により日本国民に隠された真実がここにあります。天皇は決して戦争を望んではいませんでした。日本は自存自衛の為に仕方なく立ち上がざるを得なかった、そして最後、徹底抗戦、玉砕を覚悟した国民をなだめ、ポツダム宣言を受け入れ、全責任は自分にある、国民にはただの一人も戦犯はいないと、自分の命と引き換えに国民の命と衣食の確保をマッカーサーに訴えました。これが大和魂というものです。最初から最後まで天皇と国民は心を一つにして動いていました。戦後日本中を巡った陛下に対し、日本国民は感謝こそすれ石を投げる者など一人もいなかったといいます。マッカーサーは天皇と会見し、劣等民族と見下していたアジアの有色人種に対し、初めて尊敬の念を抱いたのです。
Unknown (あ~あ)
2019-10-25 18:10:41
空虚ですね。
時の権力者が全ての権力を握らなかったのに大平洋戦争は起きてしまいました。
もし本当にそんな効力が在るのなら昭和天皇には明確に戦争責任がありA級戦犯として裁かれなければなりません。
主体的に戦争の決定に関わったということになりますから。
(そんな力が有るのに使わなかったのであれば極刑に値する)

昭和天皇がA級戦犯として裁かれるべきだったのか、それとも時の権力者に対してそんな効力など無いのかのどちらかを選んで下さい。
Unknown (宇治金時)
2019-10-25 02:49:50
バードさん、
> 天皇制を廃止したら、きっとアベとかアソーとかが、玉座にふんぞり返るような気がする。
だからこそ天皇という存在が意味を持つのでは?(安倍さんと麻生さんはふんぞりかえるようなお人柄ではないと思いますが、) 時の権力者が全ての権利を握ってしまったらどうなるか、それは近くの二つの国を見ればわかるでしょう。麻原彰晃は自分が天皇になりたかったといいます。これは極端ですが、そんな事態も起こらないとは限りません。憲法第一条、国民の総意により、天皇は日本国民の象徴としてその存在を許されています。つまり民主主義を基調とした大多数の国民の意思による体制です。これは皇室の品格を信頼出来るからこそ続いている、誇るべき日本の歴史です。制度を廃止したい場合は、日本は民主主義ですから、まずは選挙で勝たなければダメです。皇室を潰したい共産党、社民党、立憲民主党などが与党になれば可能性はあるかもしれませんが、それでも国民の総意を崩すのは難しいかもしれませんね。
Unknown (hkawai69)
2019-10-24 15:01:37
ネット上に「今生(こんじょう?)天皇」ってのが多数見られらるそうで、また「令和天皇」なんてとんでもないのもありますね。
Unknown (アメフトファン)
2019-10-23 14:01:58
私にとって即位の礼は「休日が増えて嬉しい」程度の話に過ぎないのですが、宮武嶺さんは、儀式の歴史を書いてみたり儀式の細部を述べた記事を紹介したりと、(私からすれば)とても即位の礼にお詳しく、かつ、ご興味がおありなのですね。
少し驚きました。
Unknown (ラベンダ)
2019-10-22 22:10:38
天皇の即位式、率直にすごく気持ち悪かった。
テレビのコメンテーターの臣民らしい話し方から、安倍の祝辞及び「天皇陛下万歳」までを観るに、戦前からの日本国民の臣民意識は依然変わりなくということですか(呆)
大体、日本国民なら天皇および皇室を自然に崇拝•敬愛するものだという価値観(同時にそうでないものを非国民とする価値観)そのものが民主主義を衰退させていることに右から左まで気付けないのだから、選挙制度も日本国民にとっては所詮、皇室の方々からお譲りいただいた「民主主義ごっこ」でしかないのでしょう。

私の感想も大体記事に同意ですが、まあ、それでも宮武さんの
「右にあるのが皇后の入る御帳台ですが、高御座と比べると大きさの違いが歴然!
こんな男女差別もアナクロニズムとしかいいようがありません。」
これは多分違うと思う。高御座はあくまで天皇の地位の人(男女問わず)のもので、御帳台は天皇の伴侶(これも男女問わず)のものなだけだから。勿論、それについての反論は受け付けます。
[今回の記事はめちゃストライクです!] (バードストライク)
2019-10-22 17:42:26
> 私の新事務所の前の大通りを・・・もう今から厳戒態勢。

→ おお!
お仕事、順調みたいですね!
バードもうれしいです。
更新が間遠なのは 仕事が忙しいからなのか、心身の具合が悪いからなのか不明でしたが、前者と判明したので、安心しました。

> ちょうど間が悪く・・・何か手荷物を持っているだけでいきなり開けさせられる・・・(開けたくないといってるのに警察官に開けられたら違法なのだが、めんどくさくてそんな争いをする気になれない)

→ 管理人様!
私のような者が言うのもなんですが、小さな 真っ当な闘争を疎かにしてはならないと思いますよ。
徹底的に闘って欲すい〜
みんなが
「それは違法だ」
「手荷物検査の強要の根拠は何だ?!」
「ケーサツ呼んでこい!」?
と 抵抗すれば、少しはこのイヌ達も考えるであろう。


嘘と妄想と歪曲で作り上げた国家神道に乗っかった天皇制 および天皇家の行事を、国の予算で行うことに大反対death!
日本における あらゆる差別の根源は、天皇制(と国家神道)にあるように思います。

特に今は、国家神道とアナクロな明治憲法への復古主義に基づく危険な極右カルト団体「日本会議」 および その関係団体(国会議員神道懇話会など)に所属する自民党議員が非常に多く、閣僚については8割以上だったと思います。

前と今の天皇は平和主義者のようですが、これも周りの教育の賜物で、日本会議みたいなのが教育係になれば、また昭和天皇のように 好戦的に育ちますよ。

しかも天皇は日本国憲法と相容れない、矛盾した存在であることは確かでしょう。
なんであの人らは超高額な生活費を貰って、都心の一等地に住み、その行動のいちいちを敬語で報道されるのか、さっぱりわからん。
逆に彼らからすれば、特に長男は、皇位継承を放棄する選択も許されない(だろう)。

なんとか上手く天皇制を廃止する方法はないのですかね?
ただ、天皇制を廃止したら、きっとアベとかアソーとかが、玉座にふんぞり返るような気がする。
やってくれましたアベ首相 (時々拝見)
2019-10-22 17:40:04
 天皇の前で、「わたくしたち国民(以下略)」と言ってくれました。いやあ、主権在民にぴったりの言葉を、科学分野日本人ノーベル賞受賞者0になってしまった世代のアベ首相から聞けるとは、、、、。?
 私達の達は公達の達と同じ尊敬語です。主権在民からするとピッタリ。
 ただし、耳障りな日本語ではあります。ま、目くじらたてるのは、国語に詳しい真性右翼くらいでしょうけど。

 旧皇室典範では「即位は京都で」となっていたそうで、東京で即位は、日本国憲法下になってからの話です。

※尊敬語:文科省が用語変えたかも。
※「耳障りの良い」という耳障りな日本語も時々。
記事の趣旨に賛成します (suterakuso)
2019-10-22 09:50:28
記事の趣旨に賛成します。
天皇制の問題に切り込んだ話をする人がめっきり少なくなってしまっているなか、有名ブログによる忖度のない貴重な記事だと思います。

天皇制の問題を言うと、人権において、「天皇」(および皇室)と「国民」との、あるいは「何人も」との、二重、あるいは三重の基準が実は日本国憲法にはその原罪としてあるということも忘れてはならないと思います。そういう意味で私は改憲論者です。
その程度でしょう (ゴメンテイタ―)
2019-10-22 08:40:03
今日は即位の礼の日だそうです。TVは各局そろって関連報道です。NHKは朝ドラの放送時間を変えて8時から午前中いっぱいこの件の放送ですね。

ところで、この日に合わせて各国から要人が来ているということですが、中国は王岐山国家副主席、そして韓国でさえ李洛淵首相が参列するのに、友好国のはずのアメリカ様からはチャオ運輸長官が式典に参列するそうです。

アメリカ様から見れば日々踏みつけている属国の一行事でしかないのでしょう。シンゾー君にとっては来ないよりはましですか。

所詮はその程度の出来事ということでしょうね。

ところで、警備に全国からやってくる警察官の皆さん、災害による行方不明者の捜索はもう終わったのでしょうか。
もう、災害は起きませんか?
警備の警備が必要 (ゴメンテイタ―)
2019-10-22 01:36:28
厳重な警備と言いますが、逮捕者続出の警察官を警備に当たらせて大丈夫なんですかね。
やくざとカネでつながっていたり、詐欺を働く程度なら、警備には影響ないかもしれないけれど、傷害や殺人となればもう何をしでかすかわかりません。

手荷物検査と称して、金品の窃盗や個人情報の詐取、詐欺の準備が行われるかもしれません。

庶民は、東京に犯罪者集団が総結集した、ぐらいに思っていた方がいいのではないですか。

そして今回の件は天皇の政治利用、つまり安倍政権の数々のスキャンダルを、天皇の即位でごまかそうということでしょう。

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