上下ともクリックしていただけると大変うれしいです。
政権与党の自民党と公明党に、第2自民党の日本維新の会、第3自民党の国民民主党、そして野党第1党の立憲民主党まで賛成するんだから、そりゃあっさり通りますよね。
しかし、2026年から共同親権制度が導入されるということで、今から恐怖におののくDV被害妻、虐待被害児童がどんだけ全国にいるか。
そして現場で苦悩する我々弁護士など実務家がどれだけ怒っているか、地獄逝こうと立民はよく心得ておけよ。
離婚後も父母双方が子の親権を持つ「共同親権」を導入する民法などの「改正」法が2024年5月17日の参院本会議で、自民、公明、立憲民主、日本維新の会、国民民主各党の賛成多数で可決、成立しました。
今日、実はなんとわたくしの誕生日ですよ。。。。。
「離婚後に
共同親権にできると君らが言ったから
5月17日は
離婚記念日(最悪)」
まだ現実味がなく、この世の出来事と思えない。。。
最近特に聴いている藤井風くんの「何なん」がずっと頭でリフレイン。なんでこんなイミフな法律作ったの?何なん??
弁護士ドットコムによる共同親権に対する弁護士アンケートで80%が反対。「進学等で協議がまとまらず子どもにしわ寄せがいくおそれが強い。離婚後も力関係を引きずる。百害あって一利無しの制度」
これで戦後ずっと維持されてきた、離婚後は父母どちらか一方の「単独親権」に限るという現行制度を77年ぶりに見直すことになります。
新制度は2026年までに始まる見通しですが、そんな必要性いったいどこにあったんですか。
現場の我々は、別れた夫が養育費を払うようにしてほしいとか、夫も面会ができるようにしてほしいとは言ってきましたが、共同親権なんて誰も要求してきていませんよ?
この法制度の最悪なのは遡及効があり、法改正前・施行前に離婚が成立した人でも、家庭裁判所に親権者変更の申し立てをして、認められれば共同親権に変更できるところです。
世界では共同親権制度での暴力をどう食い止めるかの見直しが進んでいて、米カリフォルニア州の裁判所で共同親権を認められた男が2017年に幼い息子を殺害した事件が起こり、再発防止のために、裁判官に対して虐待やドメスティックバイオレンス(DV)に関する研修を義務付けた州法が今年発効したんですけど?
だから、すでにやっとの思いで離婚できたDV被害妻・モラハラ被害妻たちも恐れおののいて泣いているわけです。
【#共同親権反対】#共同親権は危険。やっとDV夫から逃げ出し離婚できたシングルマザーと子どもたちが、暴力男・虐待親からの共同親権申し立てを恐れて泣いている【#共同親権を廃案に】
この新制度は、父母の協議で共同親権か単独親権かを選択可能とすることが柱ですが、この「協議」がくせもので、DVやモラハラの加害者が離婚してやるから共同親権にしろ、と言いかねません。
それどころか財産分与・慰謝料・養育費の離婚に伴う経済的利益を「餌」に裏で共同親権を相手に飲ませるかもしれないんです。
つまり肉体的・経済的に優位なほうが劣位の相手に共同親権を押し付けるかもしれないわけで、これって性別問わないんです。
世の中、皆さんが思っているよりはるかにDV妻もいっぱいいますからね。知らんでほんまに男ども。
そして当然、加害者側は家庭裁判所に気づかれないように裏で共同親権に同意させるわけですから、神ならぬ身の家裁調査官・裁判官が気づくわけがありません。
【#共同親権反対】専門家「精神的・経済的なDVや物的証拠がない場合は、裁判所が適切に判断せず、共同親権になるおそれがある」。子どもの権利をも侵害する【#共同親権を廃案に】
そして、協議不調=被害者側が同意しない場合でも、家裁が「子の利益」を考慮して、どちらにするかを決める、DVや虐待の恐れがある場合、家裁は単独親権にしなければならない、というのですが、DVの時に
「ボディだ。ボディを狙う!」
という加害者もいますし、診察に行かない場合もありますから、診断書が出ないこともあります。
どうやってDV被害を立証するんですか?
ほんま、この法案に賛成した大多数の国会議員さん、教えてくださいよ。
あんたら責任取れるんですか。
【#共同親権を廃案に】離婚する女性と子どもの権利を蹂躙する天下の悪法、「共同親権」制度の民法改悪案が4月12日にスピード採決の予定。DV被害者らが「怖い法案」 と国会前で反対集会【#共同親権は危険】
揺れる子どもの最善の利益――東アジアの共同養育――
広がる懸念と不安の声をよそに、今日の参議院法務委員会で民法改定案が採決された。
— 山添 拓 (@pioneertaku84) May 16, 2024
現在婚姻中の人だけでなく、過去に離婚した父母でも新たに親権者変更の請求ができ、父母に合意がなくても裁判所が強制しうる。
国民的合意なく押し切ろうとするなど断固反対。#共同親権を廃案に https://t.co/HVStY5JDfW
年を取るとお誕生日ってそれでなくても嬉しくなくて鬱になるのに、今年は最悪や。
上下ともクリックしていただけると大変うれしいです。
共同親権「裁判官研修が必要」 米加州、男児殺害で義務化
【ロサンゼルス共同】米カリフォルニア州の裁判所で共同親権を認められた男が2017年、幼い息子を殺害した事件があり、再発防止のため裁判官に対して、虐待やドメスティックバイオレンス(DV)に関する研修を義務付けた州法が今年発効した。同法を推進したスーザン・ルビオ州上院議員は15日、共同通信の取材に「子どもの安全のため裁判官の研修は絶対に必要だ」と訴えた。
日本では、離婚後の共同親権を選べるようにする民法改正案が17日に成立する見通し。虐待やDVの被害者らからは、共同親権を認めることで被害が続くケースが起こりかねないと反対する声がある。
米メディアなどによると、男はカリフォルニア州で17年、裁判所に共同親権を認められた数カ月後、一緒に出かけた当時5歳の息子を殺害。妻だった女性は息子が男から虐待を受けていたことや、自身のDV被害を裁判官に訴え単独親権を望んだが、聞き入れられなかったという。殺害の動機は離婚を求めた女性への報復だった。
© 一般社団法人共同通信社
離婚後も父母が共同して親権を行使する仕組みを盛り込んだ改正民法が17日、参院本会議で可決、成立した。国会では親権行使のルールや家裁の役割を巡って政府側をただす質問が相次いだ。審議を通じ、制度に対する懸念や疑問は解消できたのか。【三上健太郎、巽賢司】
離婚後の共同親権導入は、父母が離婚後も子に関わることが「子の利益」にかなうというコンセプトで制度設計されている。しかし、子に関する決定で父母の意見が分かれることもあり得るため、どう対処していくことになるかが国会審議の焦点となった。
現行民法は婚姻中の共同親権を規定するが、実は親権の共同行使の具体的なルールは定められていない。このため改正法は、離婚後共同親権の導入をきっかけに、婚姻中も含めた共同親権のあり方を明文化した。
改正法は、親権は父母が共同で行使するとし、意見が合わない場合は家裁が調整する手続きを創設した。加えて「急迫の事情がある」場合や「日常の行為」に当たれば、父母の一方が単独で行使できると規定した。
ただ、衆参の法務委員会では、共同行使と単独行使の境界が曖昧だとして、質問が集中した。
政府側の答弁を総合すると、親権の共同行使の対象となるのは「子に重大な影響を及ぼす決定」だ。進学先の選択や子を伴う引っ越し、命に関わる医療行為、就職の許可が主な例として挙げられる。
父母の意見が合わなければ家裁が調整することになるが、結論を得るまでに時間がかかり、子の利益が損なわれることもあり得る。家庭内暴力(DV)や虐待からの避難のほか、試験合格後に短期間で入学手続きが締め切られる場面や、事故に遭って緊急に手術が必要になる場面では、速やかな決定が必要だ。
政府は、こうしたケースを「急迫の事情」とみなして、単独で親権を行使できる道筋を提示。母体保護法で手術可能な期間が制限されている人工妊娠中絶については、妊娠初期段階でも「急迫の事情」に含まれると明言した。
また、子の身の回りの世話や教育に関する事柄は「日常の行為」に該当し、単独で決定できる。
具体例としては日々の食事や服装・格好、習い事の選択のほか、高校生の放課後のアルバイトの承認や一般的な薬の投与・ワクチン接種が挙げられる。法務省幹部は「単独で親権行使できる規定は設けたが、単独で好きに決めていいと推奨しているわけではない。子にとってどのような選択が望ましいか、父母間で話し合うことは重要だ」と指摘する。
衆参法務委は単独で親権行使が可能な具体例をガイドラインで明らかにするよう求めた。小泉龍司法相は国会答弁で「子の利益の観点から、父母双方が適切な形で子の養育に関わり、その責任が果たされることを期待している」と訴えた。
上下ともクリックしていただけると大変うれしいです。
ーーーーー
共同親権の導入が決まる前、最後の夜になるかもしれないので、はじめて元父親の話を書いてみようと思う。
【以下、かなり具体的なDVの描写があります】
全然珍しい話ではないけど、自分は物心がついた時から殴られることが日常の家で育った。
握り拳で殴られる方が痛いので、平手だとラッキーに感じていた。
「もうパーで叩かれても痛くないんだよね」とヘラヘラしてみせると呆れて笑ってくれたので、忘れた頃を見計らって時々このセリフで追撃を免れていた。
もちろん自分以外の家族も殴られていたし、殴るのを見せられてもいた。
家だろうが外だろうが人前だろうが関係ない。
思い通りに行動しなかったり、気に入らない返事をしたりすると、殴った上でもう一度同じセリフを繰り返す人だった。
夜、両親が大声で喧嘩を始めると、途中で母親が殴られて涙しながらも更に張り合って、というお決まりの流れがあった。
それを見るのがとても怖くて辛かったので、まだ小さかった弟と一緒にこたつに潜って、泣きながら自分と弟の耳を塞いだ。
小学生になって、父親が学生時代からやっていたバドミントンを自分も習うようになってからは、殴りの選択肢にラケットも加わった。
ラケット競技をやっていた人ならグリップの硬さが分かるだろうか。
最新の物は分からないけど当時のグリップは木製だったので、長めの太鼓のバチとかを想像してもらうと分かりやすいかもしれない。
その上ラケット自体がかなり”しなる”ので、もちろん握り拳とは比較にならないほど痛くて、たんこぶもボコボコに増えた。
これはもしかしたら殴られあるあるかもしれないが、ある時から殴られ察知能力が上がり、回避できる瞬間が増えた。
ただ、避けたり逃げたりすると頭にヒットするまで延々と追い回されるようになったので、結局大人しく一発殴られておくようになった。
周りの人は(よっぽど酷い時に母が間に入るのを除いて)誰も止めてくれなかった。
父親は気に入らないことがあると食事の乗ったテーブルをひっくり返すこともあった。
夏場のある日、カレーを作った母は「暑いから」と珍しく味噌汁を作らなかった。
味噌汁が無いことにブチギレた父親は、全員分のカレーとらっきょうが乗った食卓を力いっぱいひっくり返した。
ひっくり返った食事を片付ける母を見ているのが忍びなくて、一緒に素手でカレーを拾い集めたら、「1人でやらせろ!」と父親から怒鳴られた。
怖くてそれ以上は動けなかった。
その後、父親は当時一緒に暮らしていた犬2匹を茶の間に連れてきて、残ったカレーとらっきょうを片づけさせようとした。
「犬にとってネギ類は毒になる」とどこかで聞いたことがあった自分は、無邪気にらっきょうを咥えようとする犬たちを号泣しながら必死に止めたのを今でも覚えている。
そういった日々が続いて数年、母親が文字通り死ぬ気で夜逃げを計画した。
母親からは事前にそれを打ち明けられ、「どちらに行くか、自分で選んで良い」と伝えられた。
自分と一緒に来て欲しかっただろうに、「父方はお年玉が十分にもらえて少なくとも金銭的に困らなさそうだね」みたいな子どもに効きそうなことも言っていたと思う。
この時は正直、こんな仕打ちに遭いながら「父親とも一緒に居たい」と思ってしまう自分も居た。
だけど決死の思いで夜逃げを果たした後、数年間に及ぶ元父親とその親族からの執拗な加害・嫌がらせを経験して、そんな気持ちは微塵もなくなった。
元父親と父方の親族は我々の姿が見えなくなってから、市内にある母方の親族の家々や、母と親しかった友人の家を片っ端から恫喝して回った。
時にはヤクザの名前を出し、「この町に居られなくしてやる」などと脅すこともあった。
お陰で親子揃って親しかった幼馴染の家とは未だにしこりが残っている。
小さな頃、幼馴染のお母さんが作ってくれるスイートポテトが大好きだった。
夜逃げをしている間に、家にあった写真類は父方の実家に回収されたので、今も幼少期の写真は殆ど手元に無い。
決死の夜逃げから遠方の知り合い宅での居候を経た後、最終的には地元の祖母宅へ身を寄せ、母は仕事を掛け持ちしながらなんとか調停離婚を進めた。
父方に出くわすと命に関わるので自由に遊びにも出られず、家と学校を往復するだけの日々が続いた。
最終の通知が届いたのは、確かいつかのクリスマスイブだった。
思春期に突入した時期でもあったけど、この日ばかりは「クリスマスプレゼントになったね」と母・弟と3人で泣いて抱き合った。
中学校に入学し、ようやく地元でそれなりに生活ができるようになった頃、数年ぶりに父方のいとこにゲームセンターで遭遇した。
「パパに会いたくないの?連絡を取ろうか?」と聞かれたので、必死に逃げながら「全く会いたいと思わない」と伝えたら「本当に薄情な子どもだな!」といくつか罵倒された。
一緒に来ていた友人も周りに居たが、ゲームの騒音であまり聞かれなかっただろうことが救いだった。
地方に住んでいる人なら思い当たる部分があるかと思うけど、数万人規模以下の町は「今日あの人があそこに居たよ」「今はあそこで働いているみたいだよ」みたいな情報がすぐに広がる。
うちは母親がなぜか異様に顔の広い人間だったこともあり、地元ネットワークはこちらに味方してくれて、元父親を含む親族との接触を未然に防げたことも少なくない。
以降は(自分が知る限り)表だった被害も無く、成人を迎えるまで同じ町で生き延びることが出来た。
余談ながら、もし元父親や父方親族がこれを見ていたら覚えておいてほしい。
いくら正当化しようとしても、家族に対するあらゆる種類のDVと、家族以外への暴言・暴力・恫喝、その他数年に渡る嫌がらせを行っていた事実は消えない。
そちらこそ山奥の土地を手放して地元から去ってほしいくらいだ。
ーーーー
共同親権の導入が決まる前、最後の夜になるかもしれないので、はじめて元父親の話を書いてみようと思う。
【以下、かなり具体的なDVの描写があります】
全然珍しい話ではないけど、自分は物心がついた時から殴られることが日常の家で育った。
握り拳で殴られる方が痛いので、平手だとラッキーに感じていた。
「もうパーで叩かれても痛くないんだよね」とヘラヘラしてみせると呆れて笑ってくれたので、忘れた頃を見計らって時々このセリフで追撃を免れていた。
もちろん自分以外の家族も殴られていたし、殴るのを見せられてもいた。
家だろうが外だろうが人前だろうが関係ない。
思い通りに行動しなかったり、気に入らない返事をしたりすると、殴った上でもう一度同じセリフを繰り返す人だった。
夜、両親が大声で喧嘩を始めると、途中で母親が殴られて涙しながらも更に張り合って、というお決まりの流れがあった。
それを見るのがとても怖くて辛かったので、まだ小さかった弟と一緒にこたつに潜って、泣きながら自分と弟の耳を塞いだ。
小学生になって、父親が学生時代からやっていたバドミントンを自分も習うようになってからは、殴りの選択肢にラケットも加わった。
ラケット競技をやっていた人ならグリップの硬さが分かるだろうか。
最新の物は分からないけど当時のグリップは木製だったので、長めの太鼓のバチとかを想像してもらうと分かりやすいかもしれない。
その上ラケット自体がかなり”しなる”ので、もちろん握り拳とは比較にならないほど痛くて、たんこぶもボコボコに増えた。
これはもしかしたら殴られあるあるかもしれないが、ある時から殴られ察知能力が上がり、回避できる瞬間が増えた。
ただ、避けたり逃げたりすると頭にヒットするまで延々と追い回されるようになったので、結局大人しく一発殴られておくようになった。
周りの人は(よっぽど酷い時に母が間に入るのを除いて)誰も止めてくれなかった。
父親は気に入らないことがあると食事の乗ったテーブルをひっくり返すこともあった。
夏場のある日、カレーを作った母は「暑いから」と珍しく味噌汁を作らなかった。
味噌汁が無いことにブチギレた父親は、全員分のカレーとらっきょうが乗った食卓を力いっぱいひっくり返した。
ひっくり返った食事を片付ける母を見ているのが忍びなくて、一緒に素手でカレーを拾い集めたら、「1人でやらせろ!」と父親から怒鳴られた。
怖くてそれ以上は動けなかった。
その後、父親は当時一緒に暮らしていた犬2匹を茶の間に連れてきて、残ったカレーとらっきょうを片づけさせようとした。
「犬にとってネギ類は毒になる」とどこかで聞いたことがあった自分は、無邪気にらっきょうを咥えようとする犬たちを号泣しながら必死に止めたのを今でも覚えている。
そういった日々が続いて数年、母親が文字通り死ぬ気で夜逃げを計画した。
母親からは事前にそれを打ち明けられ、「どちらに行くか、自分で選んで良い」と伝えられた。
自分と一緒に来て欲しかっただろうに、「父方はお年玉が十分にもらえて少なくとも金銭的に困らなさそうだね」みたいな子どもに効きそうなことも言っていたと思う。
この時は正直、こんな仕打ちに遭いながら「父親とも一緒に居たい」と思ってしまう自分も居た。
だけど決死の思いで夜逃げを果たした後、数年間に及ぶ元父親とその親族からの執拗な加害・嫌がらせを経験して、そんな気持ちは微塵もなくなった。
元父親と父方の親族は我々の姿が見えなくなってから、市内にある母方の親族の家々や、母と親しかった友人の家を片っ端から恫喝して回った。
時にはヤクザの名前を出し、「この町に居られなくしてやる」などと脅すこともあった。
お陰で親子揃って親しかった幼馴染の家とは未だにしこりが残っている。
小さな頃、幼馴染のお母さんが作ってくれるスイートポテトが大好きだった。
夜逃げをしている間に、家にあった写真類は父方の実家に回収されたので、今も幼少期の写真は殆ど手元に無い。
決死の夜逃げから遠方の知り合い宅での居候を経た後、最終的には地元の祖母宅へ身を寄せ、母は仕事を掛け持ちしながらなんとか調停離婚を進めた。
父方に出くわすと命に関わるので自由に遊びにも出られず、家と学校を往復するだけの日々が続いた。
最終の通知が届いたのは、確かいつかのクリスマスイブだった。
思春期に突入した時期でもあったけど、この日ばかりは「クリスマスプレゼントになったね」と母・弟と3人で泣いて抱き合った。
中学校に入学し、ようやく地元でそれなりに生活ができるようになった頃、数年ぶりに父方のいとこにゲームセンターで遭遇した。
「パパに会いたくないの?連絡を取ろうか?」と聞かれたので、必死に逃げながら「全く会いたいと思わない」と伝えたら「本当に薄情な子どもだな!」といくつか罵倒された。
一緒に来ていた友人も周りに居たが、ゲームの騒音であまり聞かれなかっただろうことが救いだった。
地方に住んでいる人なら思い当たる部分があるかと思うけど、数万人規模以下の町は「今日あの人があそこに居たよ」「今はあそこで働いているみたいだよ」みたいな情報がすぐに広がる。
うちは母親がなぜか異様に顔の広い人間だったこともあり、地元ネットワークはこちらに味方してくれて、元父親を含む親族との接触を未然に防げたことも少なくない。
以降は(自分が知る限り)表だった被害も無く、成人を迎えるまで同じ町で生き延びることが出来た。
当時、共同親権が導入されていたら、離婚に至るまでの障壁はより多く、より高いものだっただろうことは想像に難くない。
まず間違いなくここまでスムーズに離れることはできなかった。
良くて離婚も出来ていないか、最悪の場合は逆に誰かしらが居なくなっていた可能性もある。
そして詳細の違いはあれど、そういった状況の親子は今も全国にいる。
今回の共同親権の法案審議中に小泉法相が面白い答弁をしていたけれど、「被害者が真剣に事実を裁判所に訴える」程度では全く、これっぽっちも簡単にはDV認定なんか通らない。
そんな現実と掛け離れた認識を持つ人たちによって通される法案が、一体どれだけ国民の助けになるのだろう。
余談ながら、もし元父親や父方親族がこれを見ていたら覚えておいてほしい。
いくら正当化しようとしても、家族に対するあらゆる種類のDVと、家族以外への暴言・暴力・恫喝、その他数年に渡る嫌がらせを行っていた事実は消えない。
そちらこそ山奥の土地を手放して地元から去ってほしいくらいだ。