学問の独立性や自主性が失われ、政権の介入を招く懸念が強まっている。

 法案は、学術会議を国から切り離し、特殊法人に移行させる。首相が新会員を任命する現行の方式は取りやめ、学術会議の総会で決議する形に変更する。

 「独立性を保つ」とするが、一方で、運営の透明性を高めるためとして、学術会議の業務を監査する監事や、活動を評価する評価委員を新設し、これらはいずれも首相が任命するという。法人発足時の会員選考にも首相が関わる。

 政府が影響力を及ぼすことが可能な仕組みが織り込まれており、現行に比べ政治の介入が強まるのは明らかだ。

 先月の衆議院内閣委員会で、坂井学内閣府特命担当相は「特定のイデオロギーや党派的な主張を繰り返す会員は解任できる」と答弁した。「制度の説明をした」と釈明したが、学術会議の活動や会員選考への介入を示唆する政府の本音だろう。

 法人化の議論は2020年に菅義偉首相(当時)が新会員候補者6人の任命を拒否したことに始まっている。

 問われるべきは、なぜ拒否したのかということだ。歴代は会議側の推薦に基づき任命されてきた。

 根本の懸念が明らかにされないまま、立法化を急ぐべきではない。

■    ■

 法案が衆院を通過した際には、同会議の歴代会長6人が連名で廃案を求める緊急声明を発表した。「人類社会のため、時の政府と違う意見も言う組織、より良い組織になるとは思えない」という当事者の指摘は重く受け止めるべきである。

 今月9日には会員への任命を一方的に拒否された当事者らを含む学者たちが参院会館前で法案の廃案を求めて抗議の座り込みを行った。

 日本は戦前、政府が意に反する学者を弾圧し、国民が自由にものを言えない中で戦争へと突き進んで行った苦い経験がある。憲法が学問の自由を保障するのはその反省に立っているからに他ならない。

 「学問の自由や思想信条の自由を侵害する恐れがある」とする危機感に耳を傾けるべきだ。

 当事者の懸念が払拭されないまま、ごり押しするべきではない。

■    ■

 「学者の国会」とも呼ばれる学術会議が、政府から独立した立場で政策の提言や勧告ができなくなるようなことがあれば、日本を代表する学術会議としての信用を失う。

 科学的な根拠から国の政策や社会の在り方を検証する機会が失われてしまうことを見過ごすことはできない。

 米国のトランプ政権は学問への攻撃を強めている。学問の自由を脅かす政治権力の暴走は過去のものではない。