(9)
物の出現とは、相互的抵抗の出現(触覚という出来事)だ。宇宙の中心で相互的抵抗という出来事が起きる。物が境界的に出現する。その境界の両側に物が出現する。
(9)-2
《痛みの感覚が及ぶ範囲で、かつ感情・欲望・意図(参照1581:①②③④、またこれらは⑤⑥⑦に影響される)に従って動く物》、しかも《閉じている物》が常に宇宙の中心にある。これは普通、自己身体と呼ばれる。(ここで自己とは、《自発性(欲望)》を中心or基礎とする《「狭義の心」としての自己》のことだ。)ただしこの場合の自己は、まだ《他者を知らない自己》である。(つまり《他者を知った上での自己》ではない。)
物の出現とは、相互的抵抗の出現(触覚という出来事)だ。宇宙の中心で相互的抵抗という出来事が起きる。物が境界的に出現する。その境界の両側に物が出現する。
(9)-2
《痛みの感覚が及ぶ範囲で、かつ感情・欲望・意図(参照1581:①②③④、またこれらは⑤⑥⑦に影響される)に従って動く物》、しかも《閉じている物》が常に宇宙の中心にある。これは普通、自己身体と呼ばれる。(ここで自己とは、《自発性(欲望)》を中心or基礎とする《「狭義の心」としての自己》のことだ。)ただしこの場合の自己は、まだ《他者を知らない自己》である。(つまり《他者を知った上での自己》ではない。)