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278 映画『パンク侍、斬られて候』(2018年)脚本・宮藤官九郎(1970-):《付和雷同する人間》という愚民観!&この世界は「虚妄」か「現実」か?

2018-07-10 16:55:22 | 日記
町田康(1962-)の小説の映画化。
(1)《書き言葉》でしゃべる
①映画の中で、誰もがペラペラとよくしゃべるが、話し言葉というより、《書き言葉》でしゃべる。変わっている。

(2)排泄、糞尿、性器のくさい臭いなどを好む
②普段の社会生活(職場、商談、儀式、デート、社交等)ではあまり触れない人間の排泄行動が、しばしば強調される。排泄、糞尿は、生物の異化作用で、これなしに生物は生きていけない。ただしそれは、人間に固有でないので、人間行動を描くのに、排泄行動を強調するのも、おかしい&淋しい。
③性的行動、例えば動物が性器の臭いを嗅ぐことなどが、強調される。つまり人間が有性生殖の動物であることが強調される。これも有性生殖の動物には、見られることで、人間に固有でない。
④以上②③より、人間の固有性(尊厳性)に焦点があてられていない。人間の固有性を認めず、もっぱら生物一般、有性生殖の動物一般のレベルでのみ、人間をとらえる。これが著者・脚本家の好みだ。人間に特別な《尊厳》などないと、言いたいのかもしれない。
④-2 だが「人間に特別な《尊厳》などない」と言ったら、そう主張する者以外、全員を敵に回すだろう。なぜなら、それはすべての他者に対し、《お前は生きる資格がない、奴隷になれ、死ね、殺されて当然だ》と言うことだからだ。
⑤排泄、糞尿、性器のくさい臭いなどを好むのは、それらを好まない日常生活の常識に対する、悪意あるいは相対化行動だが、それほど意味があるテーマと思えない。

(3)巨大な宇宙的動物
⑥この世界が何か巨大な宇宙的動物の体内であるとの宗教的世界観は、それほど特異でない。宗教集団「腹振り党」が、宇宙を、サナダムシの体内としたのは、排泄、糞尿、性器のくさい臭いなどを好む著者・脚本家の好みの反映だ。

(4)身体を通して、心をコントロールする
⑦リズムに合わせて腹を振ることで、嫌なことを忘れ超越の世界に至るという宗教集団「腹振り党」の宣教活動は、極めて正攻法だ。(Ⅰ)人間は身体を持ち、(ア)一方で身体を持て余すとともに(心身症、身体的欲望、食欲、性欲、恒温動物としての一定の温度維持の必要等々)、(イ)他方で身体によって快感を得る。二面(ア)(イ)から身体が、心を規定する。(Cf. (Ⅱ)もちろん心も身体を規定する。)「腹振り党」が《リズムに合わせて腹を振る》という身体動作を宣教活動に使うのは、身体が心を規定するからだ。((Ⅰ)とりわけ(イ)の側面!)
⑦-2 身体面(腹を振ること)が、心の面(嫌なことを忘れ超越の世界に至る)を規定する((Ⅰ))。身体を通して、心をコントロールするのは、宗教でも、政治活動でも、宣教・宣伝活動の基本だ。(Ex. ナチス党の宣伝相ゲッベルス)

(5)サル目(霊長目)
⑧猿が重要な役割を演じるが、ヒトもサル(映画ではニホンザル)も、ともにサル目(霊長目)(primate)で、外見が人に似ているので、登場させたのだろう。昔からの《猿回し》の伝統だ。

(6)腹が膨れて、バルーンのように上空に上昇する
⑨「腹振り党」の信者の腹が膨れて、バルーンのように上空に上昇するのは、想像世界だ。想像の枠組としてこの世界が採用されているので、上空に行くか、地下に行くか、あるいは海に入っていくか、三つくらいしか選択肢がない。やや貧困な想像だ。

(7)人間を、花火として爆発させる
⑩超能力を持つ男がすごい。上空に舞い上がった人間を、花火として爆発させる。これは想像世界の愛嬌だ。しかし現実世界で、人間が自爆テロで爆発する。現実世界と想像世界と、どちらが恐るべきか、分からない。

(8)「色仕掛け」
⑪パンク侍は、「くのいち」的に、女の策略で殺される。「色仕掛け」だ。かっこいいはずの男が、無様だ。「あばたもえくぼ」で騙されたのかもしれない。世の常だ。

(9)《付和雷同する人間》という愚民観
⑫付和雷同の人間。行列があればとりあえず並ぶし、売れていると聞けば買う。そうした好奇心は、普通に人間にある。これをとりたてて、非難する理由はない。愚民観は、自分が優れた選民だ・エリートだとする見方の対応物だ。この小説・映画は、愚民観的だ。
⑫-2 人間はもちろん、他の人間によって操作可能だ。だがそれは、人間が馬鹿で、自分の脳でものを考えないからではない。普通、人は、自分で考えて、付和雷同する。だから、危険なものには、付和雷同しない。(一時的に、感情的になることはある。)
⑫-3 愚民観が成立するのは、専制支配の場合だ。つまり、人々に物を言わせず、情報から遮断し、暴力(専制者の意のままに動く軍隊・警察)で恫喝し、利益誘導する場合、専制支配する側は、愚民観を持つ。

(10)この世界は「虚妄」か「現実」か?
⑬パンク侍、フリーランスの牢人の掛十之進(カカリジュウノシン)は言う。「この世界は虚妄の世界なのかも知れない。僕はこの世界の前提を問いません。たとえ虚妄の世界であろうと虚構の世界であろうと僕は生き延びる。」
⑬-2 この世界が「虚妄」か「現実」かは、どちらで定義してもよい。問題は何をもって「虚妄」、or「現実」と決めるかの問題だ。《ここに君の身体が物体してあること》を、つまり《重さがあり抵抗がある身体》があり、その身体が《他の物体》と衝突(接触)し、また身体が《内部充填する物体、苦痛が生じる物体》としてあることを、「現実」と呼べば、この身体を含む物体世界は「現実」となる。だがそれを「虚妄」と呼べるか?
⑬-3 心のうち、《感覚》は物体世界の出現そのものだ。《心の残余》、つまり《感情・欲望・意図・虚構(想像)・夢・それらを覆う意味世界(イデア世界)(思考作用・想像作用は意味世界の展開過程だ)》は、物体世界に属さない点では「虚妄」だが、物体世界と連続する限りでは、「現実」だ。

(11)哲学者・エリートの独裁政治
⑭言葉をしゃべる猿の大臼(デウス)は、人間より《毛が3本多い》超人のように発言する。「人間は、根源にかかわる問題をきちんと解決しないとどうにもならない。でもあいつらは当面の問題の処理にばかり終始しているんだ。」
⑭-2 だが「根源にかかわる問題」とは何か?その問題を解決できるのは哲学者・エリートだとして、独裁を正当化した政治はすべて悲劇をもたらし、失敗だった。(a)200万人と言われる虐殺を行ったポルポト派独裁者、(b)300万人を無駄死にさせた日本の無能な戦争指導者、(c)暴力的な農業集団化や大粛清で死者1000万人超を生んだとされるソ連の独裁者スターリン、(d)ソ連で2500万人を殺戮したとされるヒトラー、(e)中国で1000万人以上殺戮したと言われる日本軍指導者、彼らは、みな独裁者でエリートを名乗った。

(12)「根源にかかわる問題」、つまり《人間が多数いる》問題、つまり「万人の万人に対する闘争」
⑭-3 この世で「根源にかかわる問題」とは、人間が多数いることだ。つまり「万人の万人に対する闘争」(ホブズ)が生じることだ。この「根源にかかわる問題」を解決するためには、各人が安全・幸福に生きられるような政治的組織(国家)を存立させるしかない。目的は、各人が安全・幸福に生きられることだ。このような政治的組織(国家)を存立させる制度は、民主主義と言われる。民主主義は、人類史の最終目標だ。
⑭-4 この世の「根源にかかわる問題」、つまり《人間が多数いる》問題、つまり「万人の万人に対する闘争」という問題を解決する、もう一つの方法は、人類が絶滅することだ。ただし、人類が絶滅するためには、人類全員の同意がいるが、それは無理だろう。
⑮かくて人間は、存在し続ける限り、「万人の万人に対する闘争」を回避するため、つまり各人が安全・幸福に生きられるため、苦労し続けるしかないのだ。
⑮-2 「あいつらは当面の問題の処理にばかり終始しているんだ。」と猿の大臼(デウス)は人間を批判したが、これは批判さるべき状態でなく、「根源にかかわる問題」の解決のための悪戦苦闘だ。「根源にかかわる問題」は、本来的に「きちんと解決」などできない問題だ。エリート的愚民観を持つ《猿の大臼(デウス)》の浅知恵だ。
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