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山之口貘(1903-1963)「東の家」『鮪に鰯』(1964年):片や浮世で、片や憂世だ!

2018-04-18 16:06:24 | 日記
 東の家 The house in the east

時計を買っては
時計を買ったと
ラジオを買っては
ラジオを買ったと
長屋を建てては
長屋を建てたと
たのみもしないのにそんなことばかりを
いちいち報告に来るのだが
お米で買ったお米で建てたと
つまりはそれが自慢なのだ

When they bought a clock, they said to us, “We bought a clock.”
When they bought a radio, they said to us, “We bought a radio.”
When they built an apartment, they said to us, “We built an apartment.”
They intentionally informed me of only such things though we didn’t ask them to do so.
In short, they boast about buying them and building it by much money they got by selling rice as a farmer.

東の家ではその日もまた
お米で仕入れて来たものなのか
島田に結ったひとり娘が
牛馬にゆられながら
花婿さんを仕入れてきた

At the house in the east, on that day again, their only one daughter who dresses her hair in Shimada style riding on a horse and a cow has brought a bridegroom.
It looks as if they bought him by money they had got by selling rice.

《感想1》
戦後すぐの食糧難の情景だ。都市の近郊農家は、コメを買い出しに来る者たちから、金をたくさん手にいれた。農地改革が進み、農家は自作となり、鼻息が荒かった。
《感想2》
時計もラジオも当時、貴重品だ。長屋を建てれば、住宅難の時代、さらに収入が増える。農家は戦前、多くが小作だったから、戦後は天国になった。時計、ラジオ、長屋を自慢するわけだ。
《感想3》
この詩人は、「東の家」の自慢を苦々しく思う。花嫁さんも島田に結って、お金がかかっている。嫌味の一つも言いたくなるわけだ。
《感想4》
時のめぐりあわせで、幸運をつかむ者、不幸になる者、様々だ。片や浮世で、片や憂世だ。同じ日本人でも、天地の差だ。
《感想5》
1946年食糧メーデーでは、皇居前に、政府の食糧配給遅延に抗議し25万人が集結。大変な時代だ。高度成長など予想も出来なかった。1946-47年、休日は買い出しの人で上野駅は大混雑だった。手持ちの晴れ着や袴、コートなどを食糧に換えることが多く、「タケノコ生活」と呼ばれた。

《注》
詩の区切りは、評者による。原詩は区切りがない。
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