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木内昇(キウチノボリ)(1967ー)「てのひら」(2008年):さすがお母さんだ。①娘の気持ちを配慮してくれる。②また、母親は年寄りとして「苦労人」だ、酸いも甘いもかみ分けている。

2018-06-08 19:06:30 | 日記
(1)
母が上京し、佳代子の家に来る。2年ぶりに合う。盆や正月に、佳代子は夫と連れ立って帰郷する。だが、母は、弟夫婦と同居するので、遠慮してか、上京したことがなかった。
(1)-2
幼い頃から、佳代子は、母が自慢だった。母は、結婚前、初等学校の教員だった。①夜中、気付くと母は一心に本を読んでいた。②きれい好きで、家中、磨き上げた。③料理は、一工夫凝らしたものを作った。④家族の誕生日には赤飯を炊いた。④-2とりわけ、佳代子の誕生日には型紙を起こしハイカラなワンピースを作ってくれた。⑤母自身も、質素だが趣味のいい服を着て、身ぎれいだった。⑥母には気品があった。
《感想1》
子供時代、親は尊敬される。だが、しばらくして思春期頃から、子供は親を批判し始める。このケースでは、結婚した佳代子が、今も母親を尊敬しているから、母娘はずっと良い関係だったのだ。
(2)
母の上京、1日目、夫が上野駅まで、車で迎えに行く。玄関に着いた母は、何一つ変わっていなかった。品のいい鶯色の和服を身につけ、福々と笑みを浮かべていた。「東京で家を構えられるなんて立派です」と母が、夫に言った。佳代子と夫は、共稼ぎで、子どももいないので、経済的に多少、余裕があった。明日から母を案内するので、佳代子は、会社を休み、タクシーを雇い、少し贅沢な東京観光を計画した。
(2)-2
3人で食事をしていた途中、ビールを飲んだ母が、大きなゲップをした。行儀・躾に厳しかった母は、愕然として口を抑え、うつむいた。佳代子も、動揺した。夫が「ビールのせいでしょう」ととりなす。うつむく母の髪は薄く、つむじの辺りに大きく地肌が見えた。
《感想2》
年を取れば、身体が老化する。勝手にゲップが出る。髪は薄くなる。啄木は、子どもの立場から、「たはむれに母を背負ひてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず」と詠んでいる。
(3)
2日目、銀座へ向かうタクシーの中で、母は落ち着かない様子で、「こんな無駄遣いはいけないよ」と拝むような口調で言った。資生堂パーラーでは、母はメニューを見て「高いよ。高いねぇ。」と呟(ツブヤ)いた。
《感想3》
娘が、親より、経済的に成功した。母親は、それに引け目を感じる。しかし思えば、「出藍(シュツラン)の誉れ」だ。親が引け目を感じることはない。親は、むしろ自慢し、威張ってよい。
(3)-2
母は、歯のちびた下駄を履いていた。「もう十五年も履いてる」と言った。佳代子は、貧乏くさいと思う。
《感想4》
母親にとって「つつましい暮らし」は、お金がないことも理由かもしれないが、だが、同時に、生活信条であり美徳だ。贅沢は、悪徳だ。佳代子は、それが分かっていながらも、気に入らない。
(4)
3日目、浅草では、母親は人の流れに乗れず、人波を遮断して立ち止まるなど、迷惑扱いされた。地方に住む母親は、都会の人混みに無頓着だ。
《感想4》
ここには、少し、都会に住む者の優位感情がある。「田舎者」は、野暮・野卑とされる。これは、奈良・平安の昔からだ。文化的とは、支配者的・上層的・エリート的と同義だ。
(5)
4日目、上野見物に行く朝、母が、「今日は、ご飯を多めに炊いてくれないかい」と言った。出かけるとき、母は見慣れぬ風呂敷包みを持っていた。「私が持ちましょう」と佳代子が言うと、慌てて母が風呂敷包みをかき寄せた。母の爪で、佳代子の手の甲(「てのひら」)にひっかき傷ができた。
(5)-2
母が嫌がるので、この日、タクシーを頼まなかったが、母は軽く足を引きずっていた。「お昼は精養軒を予約してあるから」と佳代子が言うと、母は「得意顔に」風呂敷包みを解いた。そこには塩むすびが四つと、日水のソーセージ2本が入っていた。「お母さんのために、そんなにお金を使うことはないよ。佳代ちゃん、食べるものなんてなんでもいいんだから」と母が言った。
《感想5》
経済的に成功した立場から見て、佳代子には、母親が《貧乏人で、みじめったらしく》見える。
《感想5-2》
確かに、貧乏はみじめだ。なぜなら、貧乏と、金持ちであることはセットだから。言葉の定義上、貧乏とは、金持ちでないことだ。金持ちがいるから、貧乏人がいる。
《感想5-3》
他方、金持ちとは、貧乏でないことだから。言葉の定義上、金持ちがいれば、必ず貧乏人がいる。言い換えれば、貧乏人がいないと、金持ちもいない。だから、金持ちには、彼らに侮蔑・傲慢を許す貧乏人が、必ず出現する。
《感想5-4》
娘・佳代子と違い、母親は、自分を、《貧乏人でみじめだ》と思っていない。母親にとって、節約は美徳である。
(6)
その時、道を塞(フサ)いでいた母の背に、通りかかった若い二人連れがぶつかった。その拍子に、ソーセージが転げ落ちた。佳代子が突然、大きな声で言った。「道の真ん中で立ち止まっちゃ迷惑じゃない!」「ちびた下駄を履いてちゃダメじゃない!こんなところでおにぎりなんか、みっともないんだわ。どうしてお金のことばかり言うの?」
(6)-2
かつて佳代子が癇癪を起すと、母は凛として、必ず佳代子を叱った。ところが、今回は、母はうつむき「お母さん、田舎者で・・・・・・佳代ちゃんに恥ずかしい思いをさせちゃって」と謝った。
《感想6》
母親は、成人した娘に対し、弱気になった。(謝る!)ところが佳代子は、自分を、今も母親に対する子どもと定義する。だから母親は、自分に対し、凛としてくれるべきだと思った。(母親は、謝るべきでない!)
(7)
その夜(4日目)、佳代子は母に詫びた。母は、なにもなかったかのように優しく居て、その後、数日を過ごした。
《感想7》
さすがお母さんだ。①娘の気持ちを配慮して振る舞ってくれている。②また、母親は年寄りとして「苦労人」だ、酸いも甘いもかみ分けている。「亀の甲より年の功」だ。③母親は、娘に対し寛容だ。それは娘が可愛いからだ。そして娘を、まだ一部、子どもと定義しているのだ。
(7)-2
佳代子は、母の上京を台無しにしてしまったと、後悔した。これを「取り戻す機会は残されていない」との予感もあった。
《感想7-2》
人との出会いと別れは必然だ。この世の現実だ。佳代子は、不安だ。「サヨナラ」ダケガ人生ダ。(井伏鱒二)
(7)-3
母が帰る日、佳代子は夫と一緒に上野駅まで送った。母は、夫に何度も頭を下げ、「お世話になりました。安心しました。佳代子をよろしくお願いします」と言った。
《感想7-3》
母親は、《今後、娘の相手をするのは夫だ》という現実をわきまえている。お母さんは賢い。そして娘の幸せを願う良いお母さんだ。
(7)-4
母親は、佳代子に向かって「ほんとに楽しかったよ。いい思い出ができたよ。」と何度も何度も礼を言った。
《感想7-4》
母親は、年を取り、肉体的に弱くなり、精神的にも気弱くなった。また母親は、もしかしたら、経済的基盤が不安定かもしれない。夫がすでに亡くなり、年金は半額。しかも下の息子(弟夫婦)の家に厄介になり、遠慮している。
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