ラッシーママのひとりごと

仕事を辞め好きな事に一日を費やしている主婦です。

樋口季一郎さん!

2024年08月21日 | 日記
八月後半になり未だ暑い日が続いてますが、午後になると爽やかな風が吹き出し秋の気配が感じられるようになってきましたね。
私は、外交官でユダヤ人を6000人も助けたという杉原千畝さんの奥様が書かれた「六千人の命のビザ」の本を読んでから
ネットで杉原千畝さんの事を調べている内に、ユダヤ難民を助けた人が他にもいて、その方の名は樋口季一郎さんという軍人さんでした。
その事は前回の私のブログ記事で書いてますが、今回は樋口希一郎さんの「アッツ島とキスカ島の戦い」です。





昭和17年6月に、米国領のアスカ島とキスカ島を日本軍が占領した。
約1年後にアッツ島2638名守備隊全員玉砕・キスカ島5183名守備隊、全員救出
この両島の運命を分けた事に、樋口希一郎さんが大いに関わっているのです。


樋口希一郎は大本営に対し、アッツ島・キスカ島から早期撤退を申し出ていたが
大本営は増強を支持し、アッツ島に向かう山崎大佐に樋口季一郎は
「アッツ島に事あらば万全を尽くして兵員兵備の増強増援を行ってみせる」と約束した。
ところが色々な事情でアッツ島放棄と決定となり、アッツ島2638名は見殺しになったのです。
樋口季一郎は自分の力が足りなかったと号泣したそうですが、アッツ島放棄と決めるにあたり
キスカ島5183名は全員助けるのを条件に承諾したそうです。


何かと陸軍と海軍は仲が悪かったそうですが、キスカ島の守備隊の半々づつが陸軍と海軍の兵士だったそうで
此処で陸軍と海軍の気持ちが一致して、奇跡に近い撤収が出来たようですが
キスカ島から日本軍守備隊撤収作戦を成功させた指揮官が木村昌福で
収容部隊を指揮した木村指揮官がキスカ島を包囲していた連合国軍に気づかれることなく
無傷で5000名以上の日本守備隊撤収を成功させたそうです。
キスカ島撤収は木村昌福指揮官ですが、樋口季一郎がアッツ島玉砕でキスカ島全員を助けると約束が無ければ
キスカ島全員を助けるのは、現実的には難しかったと思います。
のちに米軍からは「パーフェクト・ゲーム」と称賛されたそうです。


コメント (2)
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