しるべの記し

教会音楽家でクリスチャン・エッセイストのしるべです。
イエスさまの十字架を「道しるべ」として歩んでいます。

コスモス畑

2013年09月29日 | お出かけ
今日は立川教会の礼拝に、娘のマナ、孫のらさちゃんとさりーちゃんと出席しました。

その帰り、立川にある昭和記念公園に遊びに行き、マナとらさは自転車、しるべはさりーちゃんを初めてバギーに乗せてコスモス畑までお散歩・・・しかし、しかし、広い、広ーーーい
なんと、4キロも歩いてしまったので、さりーちゃん大丈夫だったかな

コスモスは、まだちょっとしか咲いていませんでした、残念でした。

朝、寒くなってきた

2013年09月27日 | 日々の出来事・思うこと
今朝は本当に寒くて、ヒロを送る車にヒーターをつけてしまった。
送った後走ったけど、涼しいからずいぶん楽に走れたから、ちょっとやる気になってきた。
11月には、耐久レースに出るんだから、そろそろ真剣にやらないとね

夕方は、夫とヒロとプールに行って、泳ぎまくった。
「もっと疲れない泳ぎ方できないの?」って夫に言われたけど、ホント、誰かに教えてもらいたい。
ヒロは小学校のプールの時間、ヒロ専任の水泳担当の先生が付いてくださったので、今も水泳は大得意。手足が不自由なのに、ずいぶん楽にクロールが泳げる。うらやましい。
一対一で教えてくださった佐々木先生とは、その後も個人的に交流があり、お世話になったのだけど、神奈川県に引っ越してからお会いしていない。連絡してみようかな。
そういえば、佐々木先生の御嬢さんはソウルオリンピックの水泳の選手だったんだよ

名古屋は遠かった

2013年09月16日 | お出かけ
「ヒロの夏休み」、ナゴヤドーム、横浜VS中日戦に向かいました。
しかし・・・台風だ
でも、しばらく待ってれば、雨も風もやむだろうし、とにかく行くことにしました。

新横浜の駅で新聞紙敷いて、ヒロと本読みながら、新幹線の再開をまちましたが・・・冨士川の氾濫でどんどん水かさが増え、「ご旅行の方はお取りやめください」というアナウンス・・・
結局諦めて帰宅しました…>_<…

今頃、ひつまぶしをツマミに勝利の美酒を呑んでたはずなのに〜
でも、旅行代金全額返金されるというので、嬉しかったのです

被害が大きいという京都のceciさん、風さんは、大丈夫でしたか

さりーちゃんの献児式

2013年09月15日 | 信仰 平和
さりーちゃんは生後一か月半になりました。
神さまにお献げする献児式でした。
しるべは、らさちゃんの時は牧師をしていたから、こういう行事には参加できませんでしたが(自分の教会があるから)、今は「浪人中」なので、初めて出席できました。
さりーちゃん、神さまからも人からも愛される子として成長してくださいね。

村の鍛冶屋

2013年09月11日 | 信仰 平和
「村の鍛冶屋」という唱歌は、大正元年にできたといわれていて、作曲者も作詞者も不明です。
頑固一徹の村の鍛冶屋のおやじが、朝から晩まで仕事に精出すという歌です。
鍛冶屋という仕事も現代では本当に珍しいものになっているのでしょうけれど、もともとは武士の時代に武器の生産をしていた「刀鍛冶屋」「鉄砲鍛冶屋」のことでした。

この歌は、時代と共に色々変わっていったのだそうです。
戦時中は武器の生産のために精をだす鍛冶屋の姿が歌われたようですが、戦後は料理道具や農具を作る「野鍛冶」の姿を歌う歌詞に変化しました。
今、歌いつがれている「村の鍛冶屋」の3番は、本当に素晴らしい、平和を祈る歌詞となっています。

3.刀はうたねど、大鎌小鎌(おおがまこがま)
  馬鍬(まぐわ)に作鍬(さくぐわ)、鋤(すき)よ、鉈(なた)よ
  平和のうち物 休まずうちて 日ごとに戦う、懶惰(らんだ)の敵と

この歌詞を読んで、旧約聖書イザヤ書2:4,5を思い出しました。
『彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする』

道具を作る者の立たされた時代・・・先日観た「風立ちぬ」もそうでしたが、戦時中には武器なんて作りたくないと思っても、それが許されない不幸な運命の中に生きなくてはいけない鍛冶屋もいたことでしょう。
でも、戦争が終わった時に歌われたこの「村の鍛冶屋」は、武器ではなく平和を造りだす生活の道具を作るために、鍛冶屋たちは汗水たらして働いている様子が伝わってきます。

そしてその時の敵は、「相手」ではなく、「懶惰の敵」、すなわち自分自身の中にある「怠け心」という敵と戦いながら日毎働く姿に、心打たれる思いがしました。

一か月検診で

2013年09月03日 | らさちゃん/さりーちゃん
さりーちゃんの一か月検診でした。
おっぱいをたんまり飲むので、1キロも体重が増え、二週間目はうまく吸い付けなくてむしろ体重減少してたから、本当に「よかったね~」って、大喜びしました。

・・・が、なんとなくさりーちゃんのお腹が固い気がして、そのことをマナから聞いた主治医が、「じゃぁ、エコーかけてみましょう」ってことで、検査することになりました。
そしたら、「水腎症」という病気がみつかりました。
ただし、これから成長するにしたがって、正常になるかもしれないということで・・・複雑
エコーかけなかったら、早々と心配の種を見つけなくて、そのまま大きくなって気が付きもせず、何でもなかったってことだったかもしれない。
でも、やっぱり、早期発見で心に止めておくことができるから、よかったのだろうな。

医療の発達によって、心配が多くなることもあるんだと、あらためて思いました。

聖書の言葉

2013年09月01日 | 信仰 平和


今日から9月。まだまだ暑い。
9月1日。
1日が日曜だと、気持ちが引き締まる。教会での礼拝から一か月が始まるから。

一昨日息子のヒロと映画「少年H」を観にいったのだけど、伊藤蘭扮する少年Hの母親は熱心なクリスチャン。
戦時中は色々な弾圧を受けるけど、いつもいつも祈ることを忘れない。
そして戦後の混乱の中の食糧難、隣の家に貴重な白米のおにぎりを分けてあげたり、食べ物をねだる男に同情し、これまたおにぎりを握ってあげる。
それに対して少年Hは母親に反発。「そんなことばかりしてたら、きりがない!!また欲しがるに決まってるんだから!!」
そこで母は聖書の言葉をはっきりと息子に告げるのです。
「イエスさまはおっしゃっています。『与うるは受くるよりも幸いなり』使徒行伝20章35節

またNHK「八重の桜」は、いよいよ八重が新島襄と出会い、今日はプロポーズされるところなのだけど、先週の場面にも聖書の言葉がでてきた。
初めて聖書のマタイによる福音書を読んで、八重は叫びます。
『悲しむ人たちは幸いである』・・「なんで、悲しんでいる人が幸せだなんてことがあるの
『汝らの敵を愛し、汝らを責むる者のために祈れ』「敵を愛することなんで、できるわけない私は「敵は殺してきたのだから

これまでの人生観、生き方の方向がいっきに変えられていく瞬間だ。

このように、聖書の言葉が映画やTVで語られることは、本当に大切だと思う。
ましてや、敗戦の時、絶望し道を見失っているその時に、このように聖書の言葉によって、人々が立ち上がってきたのだ、立たされてきたのだという事実を伝えることは、本当に大切なことだ。