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SENgoKU anD VISIon -乱世を追う-

戦国・江戸時代 武将 甲冑・刀剣・茶道具 博物館・美術館・城・茶室などを巡る拝見記。その他の雑記もあり。

2012年 今年のBEST5

2012-12-31 | 徒然


2012年もこれが最後の更新。やはり年内分を最後まで更新する事は出来ず。残りは来年順次UPします。
最後に今年見た作品からベスト5を紹介します。

1.尼子経久所用 色々威腹巻
2.榊原康政所用 黒糸威二枚胴具足
3.徳川光圀所用 鉄黒漆横矧胴具足
4.唐物肩衝茶入 銘 松屋
5.赤楽茶碗 銘 早船


紹介していない作品が2つ(1位、5位)もありますが追々と言う事で。
今年は茶道具の展示を沢山観たのが変化点といえるでしょうか。
アニメ「へうげもの」とその後にやっていた5分程の番組「へうげもの名品名席」から興味が湧き「上田宗箇 武家茶人の世界展」が決定打となり戦国武将と茶湯の関係に関心が出てきました。
来年もこの傾向は続くと思います。
もちろん武具・武器ももっと拝見したいと思います。

それでは、また来年

松井秀喜 引退

2012-12-28 | 徒然
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松井選手が引退。
ファンの一人としてお疲れ様と思う心ともっと続けて欲しいと思う気持ち。非常に複雑です。

元々巨人ファンだった私は松井選手の入団から彼を観てきました。
ただ巨人時代は巨人を応援している中での一選手でした(もちろん非常に重要なひとりですが)。
それがヤンキース入団となってからは、その一挙手一投足に注目していきました。
2003年には渡米してニューヨークで試合を観戦。
2004年は巨人VSヤンキースと夢の対決を観戦。高橋投手からホームランは鳥肌モノでした。
2008年1月にはイベントで松井選手と握手したのは良い思い出です。
2009年ワールドシリーズMVPは最後の花火の様にドデカイ印象を与えてくれました。

今後の動向が気になるところですが、古巣で監督とか有るんでしょうか。もう一度巨人のユニフォーム姿が見たいところです。

本当にお疲れ様でした。

1210 東京国立博物館 特別展「出雲―聖地の至宝 ―」

2012-12-25 | 探訪
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東京国立博物館

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特別展「出雲―聖地の至宝 ―」
期間:10月10日(水)~11月25日(日)

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尼子経久所用 色々糸威胴丸
阿古陀形五十八間筋兜で三つ鍬形の前立にはそれぞれ「天照皇大神宮」、鍬形には「八幡大菩薩」「春日大明神」の神号を透かしている。胴は浅葱・白・紅の三色で威している。
尼子晴久所用 兵庫鎖太刀
太刀を腰に下げる部分に兵庫鎖を用いた太刀拵で鎌倉時代に造られた。1552年に尼子晴久が須佐神社に奉納した。

常設展示より

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太刀 長船兼光 (名物 福島兼光)
南北朝期の作。福島正則が広島の本覚寺から入手したことと事から福島兼光と呼ばれる。後に加賀前田家に伝来した。

出雲の、ってか尼子家のモノが観たかったので行ってみました。色々糸威胴丸は細部までしっかりした造りの甲冑で、当時の中国地方を席巻した経久らしい。
んーしかし、2点だけではちと少ない。もっと尼子分が欲しい所ですねぇ。

1210  徳川美術館 秋季特別展「 徳川将軍の御成」

2012-12-20 | 探訪
名古屋や~

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徳川美術館

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新館開館25周年・徳川園80周年記念 秋季特別展「徳川将軍の御成」
「将軍が公式に臣下の屋敷を訪問する御成の儀式は、大名屋敷における重要な儀礼の一つです。室町将軍家以来、天下人がおこなった御成は、徳川将軍家にも引き継がれ、諸大名との主従関係を再確認する場として機能しました。特に二代将軍秀忠による尾張徳川家江戸屋敷への御成は、御三家筆頭の威信が見事に示され、その後の規範となるほど盛儀を極めました。徳川将軍による御成儀式の実態と変遷を明らかにし、将軍饗応に用いられた茶道具の名品をはじめとする美術品の数々を紹介します。」(公式より)

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唐物茶壺 銘 松花
壺の上3分の2は緑黄色をしており、そこから灰釉の流れが景色を成している。現存する茶壷では最も茶会記に登場する回数が多く古くから有名であった事が判る。足利義政より管領・斯波氏へ、以降は侘びの開祖とされる珠光、その養子となった村田宗珠、珠光の弟子であった誉田屋宗宅、利休最初の師とも云われる北向道陳が所持。その後は当然のように信長・秀吉・家康へと渡っていきました。
虚堂智愚墨蹟「与徳惟禅者偈」 虚堂智愚筆
虚堂智愚は南宋時代の禅僧。彼の書は茶人の間で重宝された。細川幽斎が所持し1587年幽斎邸への関白秀吉の御成で使用された。幽斎以前には北向道陳が所持した。
三島茶碗 銘 三島桶
高麗茶碗の一種。細川三斎は書状で「天下無双の名物」と称している。千利休所持でその後は子の千道安が所持した。
灰被天目
大名物。唐物茶碗で渋い赤味を帯びている。名人・鳥居引拙が所持しその後は油屋常祐から徳川家康に渡った。
油屋常祐は堺の商人。茶湯を 武野紹鴎に学んだとされ、大名物「油屋肩衝」「曜変(油滴)天目」を所持していた。
遠浦帰帆図 玉澗筆・自賛
南宋の画家・玉澗が描いた瀟湘八景の一つ。足利将軍家に伝来し以降、連歌師の宗長・太原雪斎から今川義元・北条氏と渡り小田原征伐によって秀吉所持となった。
一休宗純墨蹟「初祖菩提達磨大師」
らしい豪快な八字一行書。一休の書は珠光との関連から茶掛として好まれた。
竹茶杓 古田織部作
さび竹の茶杓。共筒に「宗句参 古織部」と書かれていることから、古田織部が五奉行の一人・前田玄以に贈った事が判る。
三島筒茶碗 銘 藤袴
大名物。高麗茶碗の一種。茶碗中央の花丸紋が狂言師の袴に付く文様に似ている事から狂言袴茶碗と呼ばれるもののひとつ。織田有楽所持。箱の貼札の「蘭茶碗」の墨書も有楽筆と伝わる。藤袴とは蘭の和名だそうで、狂言袴との「袴」を掛けた洒落っ気なんでしょうか。
唐物茄子茶入 銘 富士
大名物。天下三茄子のひとつ。飴釉の美しい姿で景色も変化に富んでいる。附属の茶杓は利休作と大変豪華な組合せ。
足利義輝・医師の曲直瀬道三・信長・秀吉が所持し、死の前年にあたる1597年に秀吉は富士茄子を前田利家に与えている。
唐物肩衝茶入 銘 山井
大名物。樋口石見守知秀が所持したことから樋口肩衝とも呼ばれる。1610年駿府にて家康より伊達政宗が拝領。
唐物肩衝茶入 銘 師匠坊
大名物。数々の茶会記に登場する落着いた印象の茶入。元は東大寺四聖坊に有った事から同じ読みの師匠坊と呼ばれた。徳川家康から山内一豊へ、その後は藤堂高虎や大老・酒井忠勝も所持した。
肩衝茶入 銘 勢高
大名物。すらりとした姿勢から背い高から転じて勢高とされる。
松永久秀の子ともされる住吉屋(山岡)宗無が所持し後に織田信長に献上された。本能寺の変で罹災した後に秀吉が所持する所となったが焼け物を嫌った事から利休七哲の芝山監物に与えられた。その後は古田織部が所持した。
漢作肩衝茶入 銘 靫
矢を収納する道具「靫」に似ている事から名付けられた。足利義政から管領・細川家に伝来し細川忠興から秀吉、更には木下長嘯子(勝俊)に渡った。

以上、特別展からでした。
第二展示室からもひとつ

漢作肩衝茶入 銘 宗無
大名物。堺の商人住吉屋(山岡)宗無が所持。その後は佐竹義宣の所持する所となった。義宣の茶湯師匠は織部で大坂の陣中でも交流があったようだ。

今までココで紹介していなかった道具を中心に紹介しましたが、もちろん利休の「泪」茶杓や紹鴎の白天目、荒木高麗等の徳川美術館を代表する茶道具がずらりと並んでいました。更には他所からの借物もあって、まあここまで揃えたものだと関心しました。

1210  福井市立郷土歴史博物館 特別展 「大坂の陣と越前勢」

2012-12-10 | 探訪
金沢から福井へ

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福井市立郷土歴史博物館

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秋季特別展「大坂の陣と越前勢」
期間:10月12日(金)~11月19日(月)
「徳川氏と豊臣氏が戦った大坂の陣で忠直に率いられた越前勢は奮戦し、特に夏の陣では真田幸村(信繁)を討ち取り、大坂城一番乗りを果たすなどの活躍をみせました。当展では、大坂の陣に関わる絵図・屏風や記録類、幸村や忠直の甲冑や武具、大坂城からの出土品を通して、大坂の陣と越前勢の戦いについてご紹介します。」(公式より)

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真田幸村所用 六十二間小星兜
小星兜で朱漆塗の四段錣がつく。前立・脇立の立物は欠損している。
幸村を討ったとされる西尾家に伝来していたが、いつの頃にか流出したものらしい。
松平忠直所用 緋威鉄五枚胴具足
忠直が大坂夏の陣で着用したとされる甲冑。鹿角の脇立と三日月の前立の兜。厚手の鉄板を用いた胴は大振で忠直が偉丈夫であった事が判る。
松平忠直は結城秀康の嫡男で第二代福井藩主。大坂夏の陣で大功があったが、戦後それに見合った恩賞が与えられなかった為か不行状な行いが多く幕命により豊後萩原に流された。
松平忠昌所用 紺糸威二枚胴具足
鍬形の脇立。胴には葵紋の金具が付く。
松平忠昌は結城秀康の次男。大坂夏の陣では兄・忠直の越前勢に加わり戦功を挙げ下妻藩3万石を領した。忠直が豊後に流された後、福井藩主となる。
松平忠昌所用 十文字槍 銘 広正
広正は室町時代の相模の刀工。この槍は忠昌が大坂夏の陣で使用し、大坂方の剣豪に片方の鎌部分を折られながら相手を討ち取った。その為現在は片鎌槍になっている。
松平直政所用 雉子形兜
鉄打ち出しで雉子を表した変り兜。元は父・結城秀康所用でその後松平忠直に渡ったが、直政が元服の際に祝いとして贈られた。大坂冬の陣に参戦時に着用したと伝わる。
松平直政は結城秀康の子であったが兄二人(忠直・忠昌)とは異母兄弟であり、幼い時は家臣に預けられ育てられた。この辺は父である秀康と似ている。大坂冬の陣では真田丸の攻撃に参加、そこで奮戦する直政の姿を敵将真田幸村が見て感嘆し持っていた軍扇を投げ与えたとされます。大坂の陣での活躍により1616年上総姉崎1万石を与えられ以降は加増転封を重ね、1638年出雲松江19万石の国持大名となりました。
茶壺 銘 初花
瀬戸焼の葉茶壷。中央に白い牡丹模様が浮き出ている。大坂夏の陣の戦功により徳川家康より松平忠直に与えられたが、家臣の為に領地の加増を望んでいた忠直は不満の表れかこの茶壷を叩き割ってしまう。後に家臣が修繕し現在に至る。
この当時忠直は茶入の「初花肩衝」も所持していた。両手に「初花」であるが忠直の希望は別のところに有ったようだ。

幸村ファンの私としては、憎い敵である越前松平家ではありますが相手も中々に波乱にとんでいたようです。

1210 藩老本多蔵品館 特別展「尾山神社の名宝」

2012-12-07 | 探訪
10月です
最初は金沢


藩老本多蔵品館

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特別展「尾山神社の名宝 甲冑・鞍・鐙・太刀拵」
期間:8月24日(金)~11月28日(水)
「加賀藩の藩祖・前田利家を祀る「尾山神社」に奉納された前田家伝来の宝物を特別公開。」(公式より)

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前田利家所用 大鯰尾形兜
正確には長烏帽子形兜になる。後方に結んだ鉢巻がアクセントになっています。
前田利家所用 小鯰尾形兜
こちらは鉢巻を前方で結んだタイプ。大鯰より小さくインパクトに欠ける感じがしますが、左右に角本がありなんらかの立物があったようで現存していればイメージも変ったかも。
前田利家所用 鉄打出二枚胴
胴の真ん中に「天満宮」の字を打ち出し、胴右側に「前田又左衛門利家」と線彫りされている。

二階の展示室の左半分はこれらの展示。右半分はいつもの本多政重関係の展示でした。変っていたのが中央で通常は馬具の展示なのですが、企画陳列「ふたたびの出会い・・・ 金沢エキゾチックジャパン」としてエキゾチックジャパン・キャンペーンのポスターで使用された所蔵品を展示していました。

1209 藤田美術館 秋季展「藤田傳三郎の想い」

2012-12-01 | 探訪
大阪です



藤田美術館

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秋季展「藤田傳三郎の想い」
期間:9月8日(土)~12月9日(日)

曜変天目茶碗
国宝。日本でいや世界中でたった3碗しか存在しない曜変天目のひとつ。徳川家康より子の頼房に渡り以降水戸徳川家伝来した事から「水戸天目」と呼ばれます。見込に小宇宙が広がるこれは他の茶碗と同種とはとても思えませんでした。
国司茄子茶入
伊勢国司であった北畠氏が所持した事からこの名で呼ばれる大名物。後に松花堂昭乗が所持し八幡名物の筆頭に上げられる。
茶杓 銘 神無月  木下長嘯子作
胡麻竹の茶杓で露は剣先形。
木下長嘯子こと木下勝俊は北政所の甥で大名であったが所領を失い京に隠棲、歌人として名を成した人物。
白楽茶碗 銘 白狐  本阿弥光悦作
白く荒れた肌合いから銘が付けられた丸味をおびた茶碗。現存する光悦の楽茶碗では白楽が最も数が少ない。
本手御所丸茶碗 銘 藤田
銘は村田珠光の弟子であり武野紹鴎の師であった藤田宗理が所持していたことにちなむ。その名が「藤田」であるところから藤田傳三郎が求めたとされる。
横から写した写真を見た事があったのですが全然良さが分かりませんでした。しかし本物を見るとそのユガミ具合が素晴らしく、また青白く場所によってはほのかに紅い色合いと相まって気に入ってしまいました。

今回はやはり曜変天目が良かった。妖しく輝く様は茶碗の枠を超えていました。