SENgoKU anD VISIon -乱世を追う-

2307 本行寺 丸山梅雪と高山右近

今回も七尾の山の寺寺院群から

本行寺
隠れキリシタンの寺として知られる寺院。
敷地内には、「ゼウスの塔」があり、またキリシタン遺物を多く所蔵している。

今回はこの寺に関係する2人の茶人を紹介。1人目は


高山右近像
キリシタン信仰の為、秀吉から追放された右近は前田利家に預けられ、一時この七尾に滞在していたらしく、右近が建てた修道所跡がある。

右近公園
この場所に修道所があったのだとか。

右近井戸
右近はこの井戸から汲み上げた水で茶を点てたとされます。

本堂
右近関係の宝物としては、蒲生氏郷より右近に贈られたとされる短刀や、「日本決別の書」と称される高山右近がマニラに旅立つ前に書かれた書状があります。
「日本決別の書」は9月10日付で、長崎で書かれたと考えられている。実は同内容のものが細川忠興にも送られていますが(永青文庫蔵)、本行寺のものは宛名が不明です。
細川忠興は右近とともに利休七哲に数えられており茶の湯を介した交流がありました。

さて、もう一人の茶人の紹介。
丸山(円山)梅雪です。
高山右近に比べると無名ですが、能登畠山文化に貢献した人物です。
梅雪は畠山氏の家臣・遊佐氏の出身とされ、管領畠山氏が衰退すると能州畠山氏を頼って能登に下向した。茶の湯に堪能であったとされ武野紹鷗と交流があり、また京の貴族である三条西実隆の日記「実隆公記」にも名が見える文化人であった。

茶室「きく亭」
梅雪が七尾城に本行寺を建立した際に造ったとされる茶室。前田利家により現在地に本行寺を移す際に、この茶室も再建されている。
この茶室は高山右近や前田家も使用したとされる。

内部は八畳で書院造りの茶室。
床・床脇に違い棚と天袋・付書院があるが、これらは梅雪時代には少々苦しいところ。
前田家の改修によると考えられる。

真向兎の釘隠し
前田家が改修した折に配した。

三見(絃)の庭
「きく亭」の露地。

高山右近愛用の茶碗

本行寺なかなか濃いところでした。ここでは右近と梅雪の紹介に終始しましたが、実際は隠れキリシタンの資料がメインで、ここら辺は実際に見ていただければ。
他にも秀吉、前田利家、小西行長ゆかりの品などもあります。

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