SENgoKU anD VISIon -乱世を追う-

2009年 GW その2(四国土佐編)

宇和島から高知へ。
早朝高知駅前からバスで移動。

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高知県立歴史民俗資料館
「特別展 兜-もののふの美意識-」
鎌倉時代から江戸時代までの兜がなんと100頭も展示!色々な時代の色々な種類の兜がずらずらと並びまさに圧巻の一言。他にも具足、陣羽織や軍配の展示もありました。
森長可所用 二十六間阿古陀形筋兜
森蘭丸の兄で鬼武蔵の異名をとった。この兜は長久手の戦で戦死した際に着用していたそうだ。
展示場は2ヶ所に分かれており1階は郷土コーナーとなっていて、山内氏ゆかりの兜・具足や仁井田五人衆が高岡神社に奉納した五頭の兜が展示されています。しかし高知といえば長宗我部氏です。
長宗我部元親所用 十二間突盔形兜
土佐神社に奉献された一頭。現在は漆がとれているが元は黒漆塗りで、内眉庇は赤だったそう。
長宗我部信親所用 金小札緋威二枚胴具足
元親の長男。戸次川の戦で島津軍に討たれた時若干22歳であった。
胴に日輪を置き、兜に龍を載せ全体的に派手な造り。若武者らしい甲冑である。
香宗我部親泰所用 金茶糸威二枚胴具足
元親の弟。三本笹前立は金箔押だが全体的には落ち着いた一領。陣羽織を着せた状態で展示されていた。
今回の四国行は現存天守を中心にした城巡りは勿論だが高知では長宗我部氏縁の場所も巡ってみたいと思ってた。その最初にこれらを観られた事は非常に良かった。

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岡豊城
高知県立歴史民俗資料館はこの岡豊城の一角にある。岡豊城は古くから長宗我部氏の居城で元親が浦戸城へ移るまでの本拠だった。

バスで南へ行きます。
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秦神社
元親を祭神とする。隣に元親の菩提寺である雪蹊寺があるが、明治時代に廃仏毀釈のため一時廃寺になった時、元親を祀るために建立された。

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雪蹊寺
四国八十八箇所霊場の第三十三番札所で、雪蹊寺の名は元親の戒名からとられている。一角には信親のお墓がある。

歩いて移動。
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若宮八幡宮
元親が初陣の際に戦勝を祈願した所で、元親はその戦で自ら槍をもって奮闘し勝利に導いた。さてその近くには
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長宗我部元親公初陣之像
なかなかカッチョイイ銅像です。元親の初陣は22歳の時だったそうなので、この銅像は22歳の時の姿って事になる。それまで軟弱そうに見えた事から「姫若子」と呼ばれていた元親は初陣での働き以後「鬼若子」と呼ばれる事になる。もちろんこの銅像は「鬼若子」であろう。

さらに歩いて。
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長宗我部元親の墓
天甫寺山というところにあります。四国統一目前までいった人にしては非常に寂しいところにあります。初陣像の華やかさとは対照的な感じがします。

移動・・・
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桂浜
ここには以前高知に来たときにも行きました。その時は台風が近づいていて波が高く海が荒れていましたが今回は結構穏やか。

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浦戸城
桂浜の近くにあるが「坂本龍馬記念館」等が建ち城の残存度は低い。天正19年元親は岡豊城より本拠をこの浦戸城に移した。その後、盛親の時に関ヶ原で敗れ代わって山内一豊が高知城を築くと廃城となった。

市街に戻る。
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高知城
ここには2度目の登城。多くの建造物が江戸期より残っていて、天守・本丸御殿・追手門の三点セットが現存するのはここだけである。

その本丸御殿(懐徳館)に展示されている中で最も注目したのがこれ。
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仲間由紀恵所用 打掛
いやネタである・・・。大河ドラマ「功名が辻」の千代(山内一豊室)役の際着用したものだそう。

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土佐山内家宝物資料館
「特設展 山内家の兜」
土佐藩主山内家伝来の品を蔵し展示している。今回は山内家に伝わる兜30点を特別に展示。兎耳など変わり兜が多く観ていて面白い。が、毛利勝永所用の白糸威水牛兜が見れなかったのは非常に残念だ。

以上で高知は終了。最終日は四国で最後の現存天守が有る場所へ。
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