今回は京都
ふるさとミュージアム山城(山城郷土資料館)
光秀と幽斎-花開く武将文化-
期間:10月26日(土)~12月15日(日)
前・後期拝見しました。
大原野千句連歌懐紙 細川藤孝筆
元亀二年(1571)二月に大原野の勝持寺において催された連歌で、細川藤孝筆の百韻十帖及び追加の一帖からなる。
参加者は藤孝の他に、聖護院道澄・三条西実澄(実枝)・里村紹巴・津田宗及・辻玄裁らに追加では熊千代(後の細川忠興)や松井康之の名も見える。
詠歌之大概
藤原定家の著した歌論書「詠歌之大概」を中院通勝が写したもの。
通勝の奥書によれば、三条西実隆が天文二年に書写したものを細川幽斎が入手、これを通勝が丹後田辺において文禄年間頃に書写したもの。
武野紹鴎が茶の極意を悟ったのは、三条実隆より「詠歌大概之序」の講釈を受けていた時であり後人への影響力がうかがわれる。
藤河百首注
連歌師の宗祇が藤原定家の百首歌「藤川百首」に注釈を付けた「藤河百首注」を細川藤孝が写したもの。
藤孝の奥書によれば、牡丹花肖柏が以前に所持していたものを写したとある。
また「兵部大輔源藤孝」と署名しており、本能寺の変で隠居する以前に書写したと思われる。
竹茶杓
天橋立の近くにある智恩寺所蔵。筒には峰山藩主京極高之の花押が添えられている。
解説には細川幽斎所持とあったが、作者とみていいだろう。
やはりというべきか、光秀より細川幽斎関連の展示が多かったです。
最近の「探訪」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事