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SENgoKU anD VISIon -乱世を追う-

戦国・江戸時代 武将 甲冑・刀剣・茶道具 博物館・美術館・城・茶室などを巡る拝見記。その他の雑記もあり。

2205 安土城考古博物館 戦国時代の近江・京都-六角氏だってすごかった!!

2022-08-27 | 探訪

まだ安土にいます。

安土城考古博物館

戦国時代の近江・京都-六角氏だってすごかった!!
期間:4月23日(土)~6月5日(日)

足利尊氏画像
冠を被り黒色の袍を着し、右手に笏を持ち細太刀を佩いた人物の肖像画。表褙に「尊氏公尊像」とあり、所蔵する天龍寺では足利尊氏画像として伝わっている。
ただし像主の容貌が若く見える事、それが地蔵院の足利義尚とする騎馬武者像と顔が酷似しており本画像も義尚ではないかとの説がある。
ややこしい事に、地蔵院本も足利尊氏像として伝来してきたが、研究の結果、義尚が近江の六角高頼征伐に出陣時の装束と一致しており義尚説が支持されている。
桑実寺縁起絵巻 詞 後奈良天皇・青蓮院尊鎮・三条西実隆筆 絵 土佐光茂画
六角氏の居城・観音寺城に隣接した古刹桑実寺の由緒を描いた絵巻。天文元年(1532)第12代将軍足利義晴により桑実寺に奉納された。
この頃の義晴は対立する細川晴元により京を追われ近江の六角定頼の庇護を受け六角氏の居城・観音寺城に隣接した桑実寺に居て復権の機会をうかがっており、その祈願こそが義晴の狙いだった。
義晴は絵巻作成を古典の碩学である三条西実隆に依頼、実隆は縁起文を起草し後奈良天皇や青蓮院尊鎮に詞書の書写を手配、絵を担当した朝廷の絵所預である土佐光茂との調整も行っており今的に言えばプロデュース業を手掛けている。
足利義輝画像
真正極楽寺蔵。立烏帽子を被り、白地に緑の格子文と青鈍と白の段熨斗目の片身替の小袖の上に、紅色の薄物の直垂と袴を着くす。尚、青鈍地には白の桐紋が散らされている。
同時に展示されていた紙形の容貌は眉間に皺があり、頬にあばたが有るが肖像画からは略されている。
野寺勧進奉加帳
「野寺」と称される寺院の復興の際に勧進(寄進)の為に作成された文書。
六帖の奉加帳に記された名前は、八代将軍・足利義政、12代将軍・義晴、六角定頼、六角義賢(承禎)、細川晴元、美濃守護・土岐頼芸、斎藤道三など。
六角定頼が広く協力を呼び掛けており、その影響の及ぶ範囲が読み取れる。

やや地味な存在の六角氏ですが、一定の影響力があった事が分かる内容でした。


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