海辺暮らし

都会を離れて海辺でスローに暮らす…のはいいんだけど

元気は他人からもらうものではない。

2009年02月15日 | Weblog
一週間前、母は妹に伴われて上京、弟夫婦や孫たち(私の長男も)と愉快な時間を過ごした。
ひとりぼっちでない母は放っておくに限ると、電話もメールもしなかったのだが。
今朝電話がかかった。そろそろかけないと、と思っていた。独り暮らしに戻っているからね。
まあまあ元気である。
東京での一日、1万2000歩も歩いたそうな。歩いたら歩けた。おまけに何かにつかまらず立ち上がれた。若い人たちから元気をもらった。
等々、それは大喜びだ。
自信がついたのだろう。
それを「若い人たちに元気をもらった」と言うのは、対外的には感謝の表明で構わない。
が、自分に向かってはこう言いたいもんだ。
「私が決意して上京したのが正解だった」と。
いつも他人様のおかげで…と感謝ばかりしていると、「自己愛」が萎縮することがある。
私ってやればできるじゃない、とまずは自分を誉めた方がいい。
特に歳をとって自信を失いがちなときは。
私向けのお愛想なのかどうか知らないけれど、
「あんたの言うようにフィットネスに行くよ」だそうだ。
私の力説する「運動が元気の源!」に納得がいったと。
いずれにしろ、よぼよぼ歩きの母を東京に連れて行った妹。手を引いて?一日案内をした息子など、さまざまな人との交流も含めて、元気が甦った。
何よりいいのは、自ら動こうという意欲が出てきたこと。
近くに妹がいるのをいいことに、何でも妹頼りにするのはよくない。
ないと思えば工夫も生まれる。
前を向いて歩こう、という欲。
これが生きる力になる。
「元気」は、若い者にもらうものではなく、自ら動いてみなぎるものである。
何かと言うと、元気やパワーを他人からもらう、という発想の人が多い。
それはちゃっかりしすぎ。
与えたりいただいたり、のやりとりなのである。ほんとはね。

家政婦もまた愉し!

2009年02月14日 | Weblog
あらためて言うのもなんだけど、介護って女性にとってのみ重大な問題みたいね。
男性には安全保障という超重要な問題がある、っておっしゃるの?
まあいいでしょ。
目くじら立てるつもりはありません。
今朝のテレビ、藤沢市のNPO法人が市民の出資で介護の施設を完成、運営しているという話。
入所するには900万円、三食付きで月々19万円の費用がかかるそう。
ふう。とため息をついたけれど。
ケアの施設で最も大事なのは「人」なのよね。
人の質。
お金が第一義ではない、という代表者の話におおいに頷いた。
こういう施設はたぶんスタッフが温かい。
お金もうけの施設には往々にして虐待が起きる。
歳をとれば必然的に弱者となる。
そこにつけこむ「強者」(=もともと他のところでより強いものにいたぶられた者である可能性大)たちが、お年寄りを虐待する。先日熱湯をかけて火傷させたのは介護福祉士だったね。それも女性だった。がっかり。
「お金」という強大な「力」に屈服させられた者たちは、より弱い者を屈服させんとする。当たり前の循環。
この世界に、おそらくは見切りをつけて、自らの足で動き始めた人たちに拍手を送りたい。政治なんてあてにできない、と誰かが言ってた。
と同時に、私はなんて小さな世界で生きてるんだろう、と思った。
夫との暮らしを選んだ私は、彼に「吸収」されず、自らの足で立ち続けることを最優先の課題としてきた。
究極の支配とは、相手の足腰を立てなくし、人形同然にしてしまうこと。
夫の無意識に、男の無意識に、いえ人の無意識にそれがないとは言えまい。
それを遂行するだけのエネルギーがないから助かっている場合が多いけど。
アメリカと日本の関係に置き換えてもいい。
私の場合は、ここで夫と暮らすこと、あるいは夫の老後&介護を引き受けた。
ところが「さみしがり」の男(に限らないが)は、介護する人を常に自分の傍らに置いておきたい。
見えない綱引きが、ケアする人とされる人の間で行われる。
暗く不機嫌な身体全体で、妻のフィットネス行きを阻もうとする夫もいる。
「ああ可哀想だわ。フィットネスなんか別にどうでもいいんだし」と引き返したらどうなるか。
ここでは心を鬼にする必要がある。
子どもを独り立ちさせる親の辛さも似たようなもんだ。
年寄りだって独り立ちしたほうが、幸せなんではないか。
至れり尽くせりのお世話は、ケアされる人の機能をどんどん奪う。
このことを実感として知っているから私は強い。
世話はし過ぎぬほうがいい。要所を観察していればいい。
おっと、何の話でしたっけ?
そうそう。
介護の施設を、まずは友人ら5人での勉強会から始めたという藤沢の人たちに啓発されたのだった。
私になぜそれができないか。
それをまあ、妻の自由な活動を認めない夫がいるから、と夫のせいにしているのである。
で、最も気になるのは自分が介護を必要とするときになったらどうするか、だ。
男性は、特にうちの亭主は、介護者を私と決めてしがみついているわけなので、彼の不安はもっぱら私が去ることのみ。
はっきりしているのである。
私はというと、12歳も年上の夫であるから、その先こそ不安である。
このあたりについて、わが愛しの夫さまは、知らぬふり。
もちろん生命保険なんて、ゼロ!
しかも妻が「働く」ことを徹底的に拒んだので、自宅で細々と内職程度の収入を得るしか道はない。
「お金がすべてではない」と言っているのも、何割かは強がりかもしれないな
夫と二人の生活は安定した。
二人で暮らす淡い喜びもある。
しかしその先の不安、独り、この辺地に取り残される不安。
子どもはあてにしていない。
子どもに対して私がしてきたこと、見せてきたこと、それはまず自分を大事に生きろ!である。
親のために犠牲になれ、なんて教育は表も裏も、していない。
であるから、夫亡き後も、足腰丈夫で、おつむもしっかりしている必要がある。
フットワーク軽く転地し、その時点からでも仲間を求め、より快適な生き方を探さなければならないからである。
ね。
というわけで、「心を鬼にして」週4回フィットネスに通うのが、とりあえず私のやるべきこと。
どんな展開にも柔軟に対応できるしなやかな心と体を維持しようってわけだ。
ああ、我ながらタフ!
タフって、しなやかさだよね。
この頃そう感じる。
清原みたいにマッチョに仕上げて怪我ばかりしていては、さ。
ムキムキマンになる気は毛頭ないけど、ストレッチ体操&エアロ&サルサ&ヨガ&水中ウオークで、しなやかな身体になるのよ、私。
人から嫌がられるくらいタフに生き延びるの、おほほ。

そう言えば昨日、また夫がむっつり不機嫌。
「普通」の時との落差に、私の警戒信号が点滅する。
この警戒センサーも、サバイバルのためにはほどほどに動いている必要があることからすると、夫の気分の変動も○である。おおいに。
で、週のうち半分ほどは鬱(本人は鬱になぞなったことはない!と言い張るが)っぽい。いやあえてそうしているのか、よくわからぬ。
この不機嫌小僧と二人きりで部屋にいるのは、愉快なことではない。
「外」に出て、笑顔いっぱいで帰ってくるとこうなのである。
(しかし外に出て、作り笑いだろとなんだろうとしたほうがいいよ。外づらがいい、とか悪い意味で言うけど、これはチャンネルをオンにする、他者の目を意識する、つまり自らの脳と身体にほどよい緊張が走るということ!引きこもりが悪なのはこのあたりのこと。わがまま放題できるオフが続くと人間だれて弛緩してそのうちアウトですぞ)
家に仏頂面のご主人様がいる。
おおノー!
しかし私は外に出たおかげで元気である。
さてと、おいしい晩ご飯を作りましょ。
昨日はふかしたジャガイモのまん中に鶏ミンチと椎茸を入れて、甘めの餡をかけていただく、という料理。
当然私の好みである。
料理する人間の楽しみは、食べたいものを作ること。
で、夫には彼の大好物であるステーキを用意した。
ご主人さまには豪勢なステーキ。
家政婦である私はちゃっかり自分の好みの和食を作る。
そうなのです。
夫が不機嫌な時は私は自ら「賄い婦」になるのです。
家政婦になりきって、ふんふん、と鼻歌まじりに台所仕事をするのもなかなかよ。
ご主人さまは不機嫌なことも多いけど、私のフィットネス通いもお許しくださるやさしいところもあるし、無給とは言え家計は預からせてもらっているわけだし。なかなか良い仕事じゃない?
夫の不機嫌の攻撃を、このようにしてかわすのである。
この方法は、いやいいね。
気に入った。
「家政婦は見た!」のイメージが助けてくれる。
家政婦もまた愉し、である。
いくつもの人格を引き出しに持っていれば、どんな事態にもしなやかに対応できようというもの。
女優になんかならなくても(そんな気もないけど)、日常が舞台になるのである。ただし、観客ゼロに耐えられればね。

私たちの再就職

2009年02月11日 | Weblog
何かと忙しい。
「あそこの山で木を伐ったから」と近所の人に紹介されて、連日裏山へ。
クヌギの丸太が転がっている。
夫がそれをチェンソーで輪切りにし、私はそれを斧で割る。
斜面をえっちら薪運び(しんどい)、これを繰り返して、車に積む。
林業で働く派遣切りの若者のニュースをテレビで見た夫が、こう言った。
「ぼくも再就職したようなもんだな」
「私だって、まさか薪割りできるようになるとは思わなかった」
発想の切り替えはこのようにすると良い、という見本である。
わが家の冬の暖房費は自らの労働によって賄われる。
立派な働きである。稼ぎである。
仕事したい!と喚いていた私が、薪割りにより家計に貢献し、しかもそれを喜んでいるとは!
夫婦共働きである。(老後の生活はそのバランスが一番大事ね)
頭も身体も、使わなければ機能が低下する。
ほっとけばぐんぐん低下する。
骨だって減る一方だ。
テレビの麻生首相や鳩山法相、あるいは竹中氏などの面々を並び替えつつ、
郵政の周りでいったい何が起きているのか?
なんて推理をめぐらすホームズとワトソンである。
これはささやかな頭の体操。
一人ではなかなかできない。
その道に私より通じている夫と、裏の裏をひっくり返すしぶとさが真骨頂の私。
この二人の知恵比べである。
一人ではこうはいかないだろうな。
と、夫と二人の暮らしを否定する方向には行かないことが前提。(オトナだね)
生クリームたっぷりのケーキを食べた後、夫が言う。
「カロリー摂取オーバーだから、山へ木を伐りに行こう」
ふふふ。ね。これは私の教育(ナイショ)の成果。
男の人は、なんだかんだ言っても、狭い世界で生きてきた人が多い。
情報戦=生活の周りの=では完全に女が優勢である。
生活者として一日の長である妻が、上手に、それと知られずにリードしなくてはならない。

なんて自慢話はこのくらいにして。

「おしゃべり」ってなんだろうね。
女のおしゃべり、とよく言われるけれど。
と言うのも、老母がおしゃべりしたがるのである。
それも一方的にしゃべりたがる。
相手の話を聞いてそれに答え、といったコミュニケーションのかたちとはちと違う。
これが一人母だけの話なら、まあ老化現象よね、で済む話だ。
ところがね、どうも私自身にそのような傾向があるのである。
ここにこうして書いているのもおしゃべりと言えば言える。
相手構わず一方的に、というのも同じ。
なんだろう、これは?
キャッチボールを楽しむようなおしゃべり、とは色合いが違う。
困ったねえ。
過剰なエネルギーの放出の手段なのか。
私の場合「書いて」整理したいという欲望がある。
あの老母もそうなのだろうか。
「聞いて聞いて」という感じだからさ、やっぱり承認が欲しいのだ。

この「おしゃべり」についてちょっと考え中の昨日今日。
しかしお日さまは待ってくれない。
また山へ行くのよ。
では。


しばらく!!!!

2009年02月05日 | Weblog
寒い場所から足が遠のくのは動物園の猿たちに限らない。
薪ストーブの周辺で、私と夫はほとんどの時間を過ごす。
というのは今年に限っては少し違う。
なんたってフィットネスに週4回通う妻である私。
決まった時間に外出するということは日々のルーティンができるということだ。
夫との楽しい晩餐の仕度もきれいに日課に組み込まれ、ほとんど暇な時間がなくなった。
おかげで手料理の腕が上がった!?
暇な時間は相変わらず数独。
これももう超絶技巧のレベルをクリアしつつあるけれど。
以上は、長い長いご無沙汰の言い訳である。

さて。
母が大腸がんの手術をし、明るい入院患者」を実践したおかげで、医師や看護師にそれはやさしくしてもらい、その結果「甘え癖」なるものがつき、何もかも誰かの手を借りたい人になっている。
もともと依存的に生きてきた人である。
というかねえ、こういう人は母に限らない。
女の人には、夫のため、子どものため、舅・姑のため等々、誰かのお役立ち人として生きてきている人が多い。
81歳になる母を見ていると、
ー中断ー
そうそう、母は、術後の補助的化学療法とやらで抗ガン剤治療を選択して始めたのだが、わずか1週間でものすごい嘔吐に見舞われ、きっぱり断念した。
つまり無治療を選択したわけだ。
いろいろ調べてみると、抗ガン剤というのは治療の効果と副作用を天秤にかけて慎重に選択すべきもののようだ。
特に母のような高齢者は、抗ガン剤と格闘しながらわずか3カ月ほどの延命を望むのか、はたまた副作用なんか全くない日常を呑気に送るのか、の選択だ。
QOL、クオリティオブライフ、生活の質、なんて話である。
で、何ごとも決断が早い母は、即刻無治療を選んだ。
たまたまテレビで、有機農業をしながらガンに対しては無治療を選んだ患者の話を聞いて、
「私もそうする!」とおっしゃるのであるが。
そんな母が、とにかく近くに住む妹およびその娘=つまり孫を、手足のように使いたがる。
当然妹はあっぷあっぷだ。
実は母自身が自分の両親、夫の両親、及び夫に三女を一人で看取った人。
その時にそばにいた娘が、今近くに住む妹である。
妹によれば、母にぴったりついて看護の助手的役割を果たしたのだそうだ。
(私は遠くにいたのでほとんど知らない)
その記憶が、妹と孫への依存度の高さにつながっているのだろう。
しかし妹とすれば、まだまだ長期戦の様相であるにもかかわらず、あと半年しか命がない人のような頼られ方をしているわけで。
私も、数ある親不孝の罪滅ぼしのつもりで、懸命にサポートしているつもりだ。
どちらかというと妹の負担を軽くする立場を明確に宣言してね。
であるので、妹の冷たくされると私に母がすがってくる、というパターンが定着した。

ああああ。
夫のお呼び。
近所の人が、山の木を伐りだしたからいかかが、とのこと。取りに行くんだって。
書きたいことの本題に入る前に、また頓挫。

書きたいことは、女の人はというより私のことだけど、何か自分のためにやること!をいくつか用意しておこう。
夫の看取りに夢中になっている間にもね。
と、私の未来予想図を書き留めておくつもりだった。
簡単に覚え書き。
私はね、彼が、夫です、死んだら、夫との事を「書く」ぞ!
書くための技術はそこそこある。
あとは中身。
中身を押し出す力は、動機。
動機とはエモーショナルなもの。
悲しみだったり怒りだったり。
そういう力を借りないではもはやなかなか書けない私である。
だってもう、世に出たいとかの欲望はほとんど消えたから。
ふふ。
というわけで、山へ木をいただきに行ってきます。

二人だけのシーソーごっこ

2009年01月09日 | Weblog
また17歳の少年の父殺しのニュース。
また、と書いたけれど、そんな感じだから。
父を好きだけれど好きではない、といった書き込みがあったらしい。
うむ。
よく分かる。
自ら110番した彼は、警官が到着したとき玄関で震えていたと言う。
何とかできなかったのだろうか、と思う。
10年近く父と子で支え合って生きてきたのだろう。
支え合う…もっとはっきり言えばよりかかりあって。
よりかかりあって暮らしている老夫婦である私たち。
その片割れである私だから分かる話なのだけど。
もたれあい=依存しあう人間関係がいけないとは言わない。
しかし子どもが大人になるときは問題だ。
子どもは親から自立して、社会に出ていく。
このときこそ親が幸福であることが重要になる。
そう「幸福」だ。
不幸な親は子どもを自らのつっかい棒にしようとする。
もちろん無意識にね。
子どもだけが生きがい、なんてセリフには気をつけたほうがいい。
子どもへの親の愛が、まるで真綿で首を絞められるような苦しみとなる。
父親を好きだけれど好きではない。
この感じ、わかる人は多いのではないか。
巣立とうとすると、危ないからと引き止められ、
外に出るのをためらっていると、巣立てよと言われ…。
二人の間でシーソーごっこが展開する。
おそらくはこの息苦しさから脱出することの必要性を感じていたのだろう。
少年は父親を殺すつもりなんかなかったのだろうに。

このように一対一の人間関係は、外に向かって閉じてしまうから怖い。
二人だけのシーソーごっこには、終わりがこない。
引きこもりを打開したかった、と彼は言った。
誰かに助けを求めろよな。

わが夫婦の二人暮らしも、なんとか落ち着いた。
しかしやはり出てくるのである。
当然だろう。
人は自らの力で生きていく。
誰の指示でもなく。
人と人は、奴隷と主人ではないのだからね。
しかし時に、密着しすぎた関係は、相手の領域に踏み込みすぎるのである。
わが夫婦にとって、訪問者もない、外出する用事もない正月は危険であった。
夫はそんな見方はしないと思うけどね。
何となくいらいらしてきた私は、
身体を動かしに行きたい、と表現した。
彼はなんでもなさそうなふりをした。(あるいは私にしがみついた?)
私にとって「身体を動かしに行く」=「フィットネスに行く」とは、窮屈な檻から出る、ということでもある。
たいへん申し上げにくいのですが。
夫だって同じだと思う。
24時間同じ顔ばかり見ているのは、苦痛でしょ。
どんなに惚れた相手であっても。(じつは相手の、特に惚れた部分ほどいやになる)
びろうな話だが、便秘の原因を運動不足に求める私に異議を唱える夫。

その夫さまが、ホームセンターに行くそうである。
午後一のフィットネスの前に、行くことにした。
なのでまたね。

尻餅ついた恋。

2009年01月06日 | Weblog
昨年の暮れに、「生活」が楽しい、と書いた。
これはね、日常こそ愉し、という意味。
昔から、そう若い頃から「非日常」が大好きで、
だからもちろん祭りが好きで、恋が好き。
旅が好きで、空想が好きで、おはなしが好き、であった。
よほど「日常」=リアルが居心地悪かったのか。
いやいや、非日常の快感に味をしめたに違いない。
今や私は日常大好き人間になった。
なんなんだろうね。
つい数日前、この問いに対する答えが頭に浮かんだ気がしたが。
忘れてしまった。しょうがない。
日常っていうのは、退屈なものである。
昔、私は退屈に耐えられなかった。
もしや、ちやほやと大人に囲まれて王女のごとき扱いを受けていた幼少期の影響か?
どうしてか、なんて分からないでよろしい。
ただ退屈が苦でなくなったのは、とても嬉しい。
だって、退屈ってけっこう辛いんだから。
退屈している暇に、床磨き。
本当なのよ。
私の年末、「掃除の時間」だった。
文字通りあっちこっち掃除をしながら、いいなあいいなあ、とひとりごちた。
60歳を過ぎて、ああそうか、私、人生のお掃除の時間なのだ、なんてね。
ずっとお掃除なんか大嫌い、家事も苦手、お手伝いさん付きで結婚したい、と豪語していた横着娘だった。
結婚して子どもを産んで、家事・育児に奮闘した時期はおよそ10年。
さあ時間が出来た。退屈はいや。
仕事を求めたら運良くいい仕事に恵まれた。
この仕事が私の「非日常」好きにぴったりだったね。
やっちゃば=青果市場のような活気。
これは「祭り」じゃありませんか。
ここで私の能力が開花した。
仕事が早い! 呑み込みがいい! 要領がいい!
あっちとこっちと同時にこなす業師だ。
自分の能力が全開状態のとき?
それは当然快感でしょ。
祭りだ、祭りだ! 
ノリで突っ走る。
前進あるのみ。脇目もふらず前へ行け。
攻撃こそ最大の防御なり。
ねえ。
これって、私ひとりのことかしら。
時代とともに走っていたのだと、つくづく思う。
バブルがはじけても、まだ祭りは続いていた。
祭りは祭りを招く。
そう、恋ってやつ。
やたらでっかいサカナと波長あってさ。
とほほとほほの大波乱が起きた。
恋はやがて日常に落下する。
尻餅ついた恋。
おほほおほほの大落下。
お尻の痛さは半端じゃない。
痛みというのは、幻想を壊すに最も適した感覚だった。
痛みに耐え、いや痛みのない肉体なんてあるもんか。
そうかそうか、夢心地の「非日常」は、日常ではないという自明。

地に足のついた暮らしの楽しさを、身体が思い出した。
箒で掃く。
雑巾がけをする。
これってねえ、やってごらんなさい。
掃除機で掃除するよりずっと楽しい。
目線は対象に限りなく近づく。
高いところからエラそうに掃除する気分と、明らかに違う。
床や窓ガラスと身体が接触する。
これがどうやら楽しさのようだ。
凍るように冷たい水、ってわけじゃなし。
お湯を使い、仕上げに掃除機で吸い取るのよ。
楽しんじゃいけないかしら。
夫をはじめ一部の人は、辛気くさい顔していないと仕事していると見ないようだから、たまには真面目な顔をするけれど、ほんとは楽しい、るんるん。

話は戻る。
非日常の幻想破れて、ドライ&クールになった私。
夫は相変わらず「一杯のかけそば」に涙したころの心情を持ち続けて、
先日は「きみの父さんこそヒーローだよ」という木村拓哉のセリフに泣いていた。
引くね。
父親という自らのアイデンティティが満たされぬことに涙したのか、なんて深読みもしてみた。
でも、なんだこの人、変わってない。
私ひとりが幻想破れたのか。
このギャップは何でしょね。
彼がぶちあげたアドバルーンを、勝手に誤解したのはわ・た・し。
だからまあ、「夢」とか「幻」にご用心、ってわけなのだろう。
そうでもしていないと私って、危ういからなあ。
今度はどんな風船に魅せられるか。
まさか、もうないと思うけど。

このように私は、自分がマインドコントロールされやすいことを知っている。
恋をする人としない人の差は、そこだもんね。
しかし、である。
時代にマインドコントロールされてしまった人間は多い。
そう時代の空気に、ね。
それを自覚しているかしていないかの違いはあるけれど。
無縁な人はいないと思うよ。

今、世界中が金融という幻想のシャボン玉が壊れて大慌て。
慌てることないよ。
ほら、日常の楽しさを思い出してみない?
これが私のメッセージ。

たたえあう循環

2009年01月05日 | Weblog
2009年のブログが今日から始動です。
なんだかずいぶん長い間留守にしていた感じで、
そんなときは戸を開けるのが怖いもんです。
ずっと学校を休んでいるとますます行けなくなる不登校にも似て。

暖かい冬です。
母の病気のおかげで、弟妹とのやりとりが増えました。
いえじつは、母との交流が深まったのですね。
私個人について言えば、狂言回しの役割が板に付いたと言いましょうか。
とにかく筆まめなのが私の一台特徴ですので、
筆無精な人々の間を縫うようにメールを届け、
まあ、関係の潤滑油の役割を発揮できたというところです。
もともと家族のなかでの役割が酷いものだったので、
このポジションを得て、
これは私の成長を物語っているな、と自画自賛。
自画自賛なんて言いますけど、
まずは自分を誉められないでどうしましょ。
他人を心から祝福することなどできません。
世の中がギスギスしているときほど、たたえあう心が大事よねえ。

新年早々、ため口日記で申し訳ないけれど。
とりあえず更新、です。

雨上がりの清々しい朝

2008年12月22日 | Weblog
長子、つまり両親のもとに最初に生まれた子ども、というのは。
ということをも薪ストーブに薪をくべながら考えた。
なんだかんだ言っても、親からエネルギーを注がれている。
やたらと叱られたということにしても、親の期待を背負うということにしても。
であるので、なかなかスマートには生きられない。
効率よく、なんてのは一番無縁だろう。
省エネ、も無理。
七転八倒、周囲とぶつかったり、自分と格闘したり、えらいこっちゃ。
親からもらったエネルギーの量と比例するように、まあ暴れるわけである。
親が指し示す方向に反逆したり、反逆したら今度はどっち向いて歩いていいやら迷ったり。
大きく揺れたものほど収拾が難しい。
しかし自ら傷つきながらも収拾できるとなると、これはたいしたものである。
これが親からもらったエネルギーの凄さである。

とまあ、長子として生まれ、還暦を迎えた私の述懐である。
いろんな荷物を背負って、自分のなかで抱えかねているように見える娘に伝えたい気持ちでもある。
同時に、もちろん、混沌としたものであったにせよ、親からエネルギーをもらったことに改めて感謝しているわけ。
親の思い通りにはいかなかった不肖の娘として。
次女である妹は、母の思いに逆らわなかった娘であり、私は逆らい続けて拒まれた(と思った)娘である。
そんな優秀な妹が母のそばにいて、私は一抜けた!と遠くにいる。
妹が引き受けた役割が重たくなる今、少しは私が引き受けなくちゃウソだろう、と思っている。
ではあるが、当事者の苦労はなかなか分からないものだということを肝に銘じよう。

雨上がりの空気が清々しい朝である。

明るいガン患者

2008年12月20日 | Weblog
連日母と長電話である。
病室を出て面会室からかけてくる。
おしゃべりしているといろんなことが気にならなくなるのだそうだ。
退院は明日。
「明るい入院患者」をやり通したね、と私。
うん、自分でもびっくりしている、と母。
もともと病名が分かり、入院・手術となったときに私が提案したものだ。
ね、「明るいガン患者」になれば? まずは「明るい入院患者」。
明るさは装っているうちに本物になる、
と自分を暗示にかけ、母を巻き込んだ。
お母さんの武器は、「明るさ」と「好奇心」だから。
それが生命の源よ。明るくしていれば病気が逃げていく。
マイナス探しが大得意の母である。
もっと早く病院に行っていれば…など、ともすれば負のスパイラルに陥りがちだった。
そんなこと考えても一文の得にもならないよ、と繰り返したのだった。
医師や看護師もおそらくそのようなリードをしてくれる。
それに乗っかるのもひとつよ、というわけである。
おかげで病院スタッフとも明るい会話で場を和ませた。
医師も母のところに長居してしまうほどだそうだ。
時々調子に乗って、暗い顔した同部屋の患者さんへの迷惑を考えないときもあったけど。
とりあえずは、自分が生き延びるための方策として、「明るいガン患者」というネーミングは成功した。
このあとまた化学療法が始まり、身体的苦痛とどう折り合うかという問題もでてくるだろう。
しかしどうやら母の自負心はガンを機に甦ったようだ。
自信を取り戻したということ。
母さん、逆境に強いねえ、と私。
薬の選択も自ら資料を読んで決断したらしい。
あらまあ。
私のほうがよほど弱たれではないか。
まずはめでたい「明るいガン患者」の昨日今日である。

老人圏に住む私

2008年12月19日 | Weblog
こういう癒しの地に引っ込んでいると、それは極楽である。
しかし待てよ。
このたび母の入院等できょうだい間の交流が密になった。
きょうだいだけではない。
一番コミュニケーションがとれたのは実は母とだった。
母が私の話に耳を傾けるというのか、ためになった、とまで言う。
その中身を知らない妹や弟は、姉のおしゃべりは母の退屈しのぎになった、くらいに見ているかもしれない。
コミュニケーションというのは、そういうものだ。
一対一。
相手しだいなのである。
母との会話は、私の自信を深めるものになったのだが、
これもまたちょっと待てよ、と思う。
このように振り返ったり、思いを深めたりできる時間の豊かさよ!
なのではあるが、いやいや人とのふれ合いはもう少しあったほうがよさそうだ。
このような感想を持つにいたった。
すっかり老人圏に住んで、心が落ち着いてはいるのだが、
まだまだ成人圏にしかと踏ん張っている妹とのコミュニケーションでは、ちと反省もしている。
弟は半ば老人圏に首を突っ込んでいる。
成人圏の、それも働く女である。
彼女とその周囲の友人たちの会話が聞こえてくるようだ。
定年になる夫のしがみつきについて。
そばで面倒をみる責任を負うことを余儀なくされた老母について。
妹の友人たちは、そのあたりを共有して盛り上がっているのだろうか。
今や友人との関係は縮めてしまい、夫の絆に頼る私。
この違いは、価値観にもおのずと表れる。
母との距離の取り方が、私とは違うのである。
それは彼女が責任を持つことを決められているところからきてはいないか。
私のように、遠くから世話を焼くばかりの姉、というのはどこかで見た景色だ。
そんなこんなを、テープ起こしの仕事をしながら思った。
テープ起こしって、考える脳とは別のところでやるものなのね。
というところで、もう夕飯の仕度だ。
またね。