一週間前、母は妹に伴われて上京、弟夫婦や孫たち(私の長男も)と愉快な時間を過ごした。
ひとりぼっちでない母は放っておくに限ると、電話もメールもしなかったのだが。
今朝電話がかかった。そろそろかけないと、と思っていた。独り暮らしに戻っているからね。
まあまあ元気である。
東京での一日、1万2000歩も歩いたそうな。歩いたら歩けた。おまけに何かにつかまらず立ち上がれた。若い人たちから元気をもらった。
等々、それは大喜びだ。
自信がついたのだろう。
それを「若い人たちに元気をもらった」と言うのは、対外的には感謝の表明で構わない。
が、自分に向かってはこう言いたいもんだ。
「私が決意して上京したのが正解だった」と。
いつも他人様のおかげで…と感謝ばかりしていると、「自己愛」が萎縮することがある。
私ってやればできるじゃない、とまずは自分を誉めた方がいい。
特に歳をとって自信を失いがちなときは。
私向けのお愛想なのかどうか知らないけれど、
「あんたの言うようにフィットネスに行くよ」だそうだ。
私の力説する「運動が元気の源!」に納得がいったと。
いずれにしろ、よぼよぼ歩きの母を東京に連れて行った妹。手を引いて?一日案内をした息子など、さまざまな人との交流も含めて、元気が甦った。
何よりいいのは、自ら動こうという意欲が出てきたこと。
近くに妹がいるのをいいことに、何でも妹頼りにするのはよくない。
ないと思えば工夫も生まれる。
前を向いて歩こう、という欲。
これが生きる力になる。
「元気」は、若い者にもらうものではなく、自ら動いてみなぎるものである。
何かと言うと、元気やパワーを他人からもらう、という発想の人が多い。
それはちゃっかりしすぎ。
与えたりいただいたり、のやりとりなのである。ほんとはね。
ひとりぼっちでない母は放っておくに限ると、電話もメールもしなかったのだが。
今朝電話がかかった。そろそろかけないと、と思っていた。独り暮らしに戻っているからね。
まあまあ元気である。
東京での一日、1万2000歩も歩いたそうな。歩いたら歩けた。おまけに何かにつかまらず立ち上がれた。若い人たちから元気をもらった。
等々、それは大喜びだ。
自信がついたのだろう。
それを「若い人たちに元気をもらった」と言うのは、対外的には感謝の表明で構わない。
が、自分に向かってはこう言いたいもんだ。
「私が決意して上京したのが正解だった」と。
いつも他人様のおかげで…と感謝ばかりしていると、「自己愛」が萎縮することがある。
私ってやればできるじゃない、とまずは自分を誉めた方がいい。
特に歳をとって自信を失いがちなときは。
私向けのお愛想なのかどうか知らないけれど、
「あんたの言うようにフィットネスに行くよ」だそうだ。
私の力説する「運動が元気の源!」に納得がいったと。
いずれにしろ、よぼよぼ歩きの母を東京に連れて行った妹。手を引いて?一日案内をした息子など、さまざまな人との交流も含めて、元気が甦った。
何よりいいのは、自ら動こうという意欲が出てきたこと。
近くに妹がいるのをいいことに、何でも妹頼りにするのはよくない。
ないと思えば工夫も生まれる。
前を向いて歩こう、という欲。
これが生きる力になる。
「元気」は、若い者にもらうものではなく、自ら動いてみなぎるものである。
何かと言うと、元気やパワーを他人からもらう、という発想の人が多い。
それはちゃっかりしすぎ。
与えたりいただいたり、のやりとりなのである。ほんとはね。