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藤沢の第三艦橋 - 藤沢へ行ってきた⑧

2020-09-07 16:22:39 | 藤沢へ行ってきた
先日の「月刊マニアブログフェスタ」でも取り上げていただきました(🙇‍♂️🙇‍♂️🙇‍♂️)、長い長い藤沢シリーズの完結篇です。

駅を中心に放射状にとにかく歩き回ってきましたが、
最後に取り上げるのはこのへん

駅(とそれを中心とするエリア)からはやや離れた第三艦橋みたいな(?)一帯。
ホテル・商業施設・公園・文化施設がなんとなく集まっております。

このエリアも、シリーズで散々言及している南口の再開発でええ感じに整備されたようで、中核にあるイトーヨーカドー藤沢店は1974年ごろの開業です。ヨーカドー の中ではそこそこ古参みたい。


歩いてみましょう。
ヨーカドー の裏手とかそこらへんです。
駅からだいぶ離れているので、人人人〜〜でガヤガヤしてはおらず落ち着いた感じ。マンションも多く、周辺住民と思しき通行人が目立ちますね。

左がホテルで右がIY。
ホテル側も低層部にはお店が入っておりやす。物販店もあるけど飲食店が中心かな
正面奥には壁のように聳え立つ集合住宅が見えまして、こちらもおそらく70年代以後の物件。

表通りの国道からホテルを見ております。
建築には割と疎いのでアレですが、客室一つ一つにベランダがついている・・?と思って拡大したらベランダでも無いっぽいですね。室外機が1つ1つ律儀に据付けられてるようです。あんまり見たことない様式だ

低層部の商業部分もそれなりの数のお店があります。

↑の写真の左側を向くと壁のようなヨーカドーがあります。すごくデカい。百貨店みたい。
そして2階部分を取り囲むように後付けっぽくペデストリアンデッキ(歩行者空中用通路)が作られていますが、ヨーカドー の2階部分と近隣の「奥田公園」を結ぶ以外の役割が見当たらない・・わりにはかなり豪勢な造りに思えます、どちらかといえば駅前ターミナルにあるような雰囲気。どんな経緯で作られた設備なんでしょうか

バカか煙なので高いところに登ってみました。デッキの上です。
やはりというかあまり活発に利用されている様子ではなく長閑です。
写真奥の白い建物は藤沢市民会館。独特な形が目を引きますが、老朽化で建て替えられるそうな。
このテの施設、「〇〇市文化会館」「〇〇市民会館」「〇〇市民文化会館」みたく似た複数の接尾辞になりがちで名前を間違えそうになりますね


似たアングルで失礼しますが、右側のビルたくさん〜〜な市街地と道を一本挟んで敷地利用に余裕ありまくり公園施設が対峙しています。そこそこまちなかに広い憩いのスペースがある都市はよきです



デッキの上で落ち着きすぎてやたらたくさん撮影してたようです

これは国道467号の図ですが、道路のキャパが明らかに足りてないのがひと目でわかりますね😇😇 首都圏郊外の拠点都市にありがちなのですが、人口や都市規模の急拡大に都市インフラのリストラクチャリングが追いついておらず、バイパスなども整備できないとなると①都市内交通②都市⇔周辺都市の交通③周辺都市⇔周辺都市の交通の全部が市街地のほっそい道路を経由する事態になり、もれなく道路が死にます。
左がS29年、右が現在の地図
右側で「467」と表記がある道路の、左側では市役所(◎印)から南の真っ白なところを大胆にぶった切っている道路の写真です・・・道を通した当初はマジで何もなさそうな所だったのにね


ということで、みなさんも街を作る際の参考にしてください。

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関東有数の拠点都市・藤沢を歩いてきました。
東京都心から直線距離でおよそ45km(青梅・坂戸・久喜・佐倉・横須賀などぐらい)とそこそこの距離にありながら、同時に横浜都心から20km、鉄道の結節点ともあり、戦後のインフラ整備で駅を中心に急速に湘南随一の都会として発展した藤沢の街−−江戸時代には宿場町としての藤沢もありましたが、駅からかなり離れていて現在の市街地とはあまり重なりません−−。戦前から現代にかけてゆるゆると発展、成熟してきた北口と、1970年代の怒涛の勢いの区画整理・開発のころの形を現代に残す南口、の対比も面白いところでした。

辻堂など近隣のまちに大型ショッピングモールが建設され、商業面では最盛期と比べると少々落ち着いてしまった感も否めませんが、それでも業務機能や歓楽街なども集まった総合体としての「賑わい」を持つ街としてのポテンシャルはまだまだ感じられる街でした。



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