青龍神界鏡

次はまた首相してみんかお前。
https://www.youtube.com/watch?v=CsI7GSs4d1s

五面目   全知の養蜂

2012年07月27日 21時00分00秒 | 投稿


蜂の巣

人間が全知となるのは不可能である。
大勢は上の一行に同意するでしょう。
私もその通りです。
ところで私の場合、実際の可能性の具備と実践の検討の上での同意です。
全知になれるのですが、そのような事をしようとすると私の現実的生活や今まで磨いてきた感動能力が破綻してしまうのです。
副作用のない、超絶的快楽を齎す薬物の日々や、言葉を唱えるだけで巨石を動かす文明の利器の情報の詳細を知ろうとし、また知って耽溺してしまったならば、私の日常への回帰が困難となってしまうのです。
それには大変な時間がかかり、そして既に大変なことになっているのです。
私は自身の言論活動に必要と思われる情報を知っています。
それだけで十分と思っております。
そして、初めの一行から人間が恐らく想像しうる便益を十分に引き出すことができます。
要するに欲しい情報は自由に降ろせるのです。
そういう意味で私は全知になれます。
一行目とは全知の用法が違うのです。
現在となっては、注意は必要ですが情報収集に対価はありません。
霊能力を使っているのです。
興味に任せた情報収集により、好奇心の満足が達成されたか。
そうでもありません。
大部分はその時の状況や強いられた戦いに付随して知っていった次第です。
緊張が知的満足を大いに減じていました。
上の状況が終わったころには、私には人間が立ち入ってしまった秘密の宇宙図書館の古文書数十巻の読了の知識が溜まっていました。
懐中電灯で逃げ込んだ暗闇の宇宙図書館で喧嘩をしながら敵の情報を探っていっていたようなものでした。
必死だったのです。
私は幼少時から文系人間でした。
古代インドや南米、エジプトの現代の科学者ですら屈する難解な数学理解、天文学の知識、惑星間の距離や光の速度にまで言及している文学に惹かれていました。
少年ながら何となく異星人の足跡を匂っていました。
数年前から神道に興味を持ちだし、霊能力の覚醒時には神名は七十柱ほど言えました。
自分でもかなり多い方だと思います。
哲学者や心理学者の本が魅力的な書名で本屋に並んでいれば必ず立ち読みをする人間です。
英語を長らく勉強しておりましたが英英辞書を数冊駆使しておりました。
超絶的霊能力に覚醒した男には知的体力にそこそこの自信があったのです。
戦いの終わった今となっては、日本史に混ざりこんだ異星人の真意をくつろぎながら探ることもできます。
そして私は読者の好奇心の範囲は分かる人間なのです。
読者の知的関心の範囲の淵を刺激し、驚きと理解の定着を推測しつつその淵を更に押し広げる事が出来ます。
自信があります。
既に私の手元にある情報だけで好奇の眼差しが大いに集まるでしょう。
情報の根拠は物理的に挙げられません。
しかし読者が納得に追い込まれる状況説明と背後論理を言語でつらつらと展開できます。
自身の長期間に渡る知的誠実さは、脚本会社の壮大な社会変動計画に絶対に服属しないのです。
私が大勢を虚偽で籠絡に成功したとしても、その後の私の精神が破綻していくのです。
証拠を挙証せずに真実性を高められる科学論理の展開の際に再度説明します。
科学論理は異星人に教えられました。
私の同志達です。
以下のような情報はいかがでしょうか。
関心が集まると思います。
かつて太平洋に存在した広大な大陸は異星人の兵器で沈められた。
理由は自分達が降ろしめた兵器や状況を収められなくなったからだ。
聖徳太子と豊臣秀吉は異星人だった。
降臨の目的は侵襲行為を現地民との同化と合法性で隠蔽するためであった。
小アジアの地下には巨大な地下空間と邪神殿が存在している。
大西洋に存在した大陸では獣人形象の異星人が強姦を繰り広げた。
民主党のある政治家は愚かにも異星人に接触を試みた。
自民党のある政治家は異星人と契りを結んだが、全て霊的存在である神霊に筒抜けであり、後に叱責を受けた。
崑崙は実在しており、欧州のある国が資料を収集した上、入口を封印している。これは危険な霊的空間と人類の接触を遮断する摂理の発動だ。
欧州の大勢の社会学者は異星人の知的啓蒙を受けた。
レオナルド・ダ・ヴィンチや古代ギリシアの数学者達は異星人だった。
古事記の記述が意味蒙昧なのは、霊的摂理発動による攪乱を受けたため。
日本の神に完全な魔物がいた。
大西洋の魔の三角海域の犯人は異星人だ。
大和三山は異星人が造った。
米国の有名映画に異星人の脚本が混じっている。
月は人工天体だ。
脳に薬物を注射し、霊的能力の意図的覚醒により異空間の扉を開こうとしている異星人がいる。
日本のテレビに異星人が堂々と名乗って登場した。
日航機墜落事故は自民党のある政治家達が犯人だ。
秦氏の起源はユダヤ人だ。
殺されて完全に肉体を模写され、戸籍を奪われている日本人がいる。
寝ているときに電波を照射され、脳を一時的に殺されている日本人がいる。
密教は異星人が編み出した。
情報のネタはその他大量に引き出しにあります。
開示には一生かかるでしょう。
何度も折に触れて述べることでしょうが、異星人の科学技術と残虐性にはとにかく絶句させられます。
地球人とは脳の構造が根本的に異なるようで、思考過程に地球人が通過する躊躇がないようでした。
自身の好奇心と情報の背後の知的論理に誘われた読者はしかし、読み進めてしまうでしょう。
私は宇宙究極の酸鼻を、人間性の皆無を凝視しました。
地球に三つとない瞳を持っております。
稀有な男です。
ところで花に誘われた蜂は養蜂業者に囲われていても蜜を降ろしめるのです。
読者も私のように、目は涙に濡れ、必ずこの問いを構築することでしょう。
“神はこの世にいないのか。”
そして養蜂業者は蜂を放ち、蜜を不当に吸ってきた魔物共を襲わせるのです。
力を求める意志を持つ者がより高位の神なのです。
戦いの忌避を上品と謳うだけの道徳本の路上販売などやかましいのです。
その内に読者は気づく事でしょう。

花壇

二千三百八十青字


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四面目   究極の力

2012年07月27日 02時00分00秒 | 投稿


画像は太陽観測衛星ひのでが撮影した金星の太陽面通過

私たちは魂を持っています。
肉体は日々、社会で利益を追求して働いています。
この物理力が支配する世界との接点が肉体において許容されている以上、私たちは利益を追求しなければなりません。
食わなければいけないのです。
肉体を維持しなければならないのです。
利益至上主義者、快楽至上主義者、科学便利至上主義者は初めの一行をこんな反応で切り捨てるでしょう。
非科学的だ。
古臭い。
無益だ。
精神論には興味がない。
ところで私たちの現実的利益は力によってほとんどが齎されます。
学歴の力、人脈の力、身体能力、知力、外見的魅力、家柄などです。
皆は力を求めます。
堂々と自身の意志で力を求めれば良いのです。
私はそう考えています。
では利益の最大化が、最大化された力によって齎されるであろう非科学的な破滅について、私たちはどれほど意識して注意しているのでしょうか。
何の矜持もなく、ただただ力を求め続けるのです。
現実的利益の係数は増大していくでしょう。
その過程で他者を傷つけても、自身の欲望のために他者の非難の眼差しを無視し続けていくのです。
強欲な経営者、政治家、暴君の国家指導者、政党など挙げればきりがありません。
規律力として働く、力の冠となる美しい矜持がないまま、力を求め続けているのです。
私はある異星人が求めていたものを察知し、集まっていた知識と掛け合わせた際に、結論に達しました。
究極の力は無だと。
これには異星人の哲学者も同意していました。
彼らは触れてはならない、摂理の淵に存在する恐ろしい力を利用していました。
霊術の体系です。
何故触れるのか。
利益があるからです。
他者を傷つける力であることを彼らは知っていました。
そして自身はその力で傷つけていませんでした。
力のみを大量に集積していたのです。
彼らは宇宙を破壊していました。
無にしていたのです。
討論でその異星人を問い詰めました。
「自由と快楽を許容し、そして時には許容しない可能性を残す自身の身体は自身にとって形而下の危険であると言える。
如何なる可能性も許容しない存在と自身が合一を果たせば、究極永遠の力を得るだろう。
力とは自由や快楽の不足感、伸長意思に起因しているからだ。

身体を力で消せ、無になれ。
良心や子孫や同胞も力を追求する上で足枷だ。
先に力で滅殺してしまえ。
何者にも脅かされない究極の力を手に入れろ。

何故しないのだ。
それはお前たちが矛盾を犯しているのだ。」
「良心や同胞は自身の言わば一部だ。
力で許容する。」
「永遠の力を求めて破壊を繰り返すも自身は無になろうとしない。
破壊を通じて得た力なのに、その力を同胞には振るわない。
その矛盾が宇宙の大勢の敵意を買い、お前の同胞が誘拐されたらどうするのだ。

多勢に無勢だ。
絶対に敵わない。
そして脳をいじられ、お前を襲いだしたらどうするのだ。
お前達は異星人を誘拐し脳を勝手に手術していただろう。
お前を襲ってくる同胞を殺すのか。
それとも矛盾の謎に答えようとするか。」
相手は答えられませんでした。
「自身の心を尊びたいならば他者のそれを尊べ。
力で良心を従えることは出来ないのだ。
他の異星人に賠償しろ。
出来ないか。
ならば矛盾を犯さず、究極の力を求め続けろ。
他の異星人にそうしていたように、良心、同胞、自身も何もかも力で破壊しろ。
他者に無にされる前に自身で無になれ。」
力で良心を黙らせる一方、同胞に対する良心には雄弁に語らせていたのでした。
そのような矛盾は積み重なっていくのです。
仮に核兵器で世界に壮大な花火を打ち上げることが出来る操作盤が死の淵にある人間の目の前にあるとしましょう。
快楽や利益の至上主義者はこの世界から去りゆく肉体に、他者犠牲による最後の禁断の映画を上映するはずです。
魂を信じない者にとっての死とは、現実的利益の還元先である肉体の入滅により、あらゆる価値が無となるはずなのです。
最後まで利益を齎す力を求め続けるはずなのです。
その際、彼らはこの世で無になりゆく自身の肉体周囲に存続するやもしれない精神的価値の可能性を無視し、核を使用するはずなのです。
故郷も仕事仲間も友人も家族ももはや要らないのです。
なのに使用しないのです。
快楽や利益の至上主義者は周囲を殴打してきました。
そしてもはや責任追及の心配はなくなります。
なのに、自身を尻目に残りゆくこの世界の人々を尊んでしまうのです。
では、その時絶対に発生する倫理的矛盾に去りゆく彼は答えられるのか。
答えられないのです。
実はそんな矛盾が彼の魂にずっと横たわっていたのでした。
力では黙らせられなかったのです。
気に入らない人間をすぐに殴る横暴な金持ちも、山奥に誘拐して何千秒かけて素手で目を抉ることはしませんでした。
しかし、相手の気持ちを考えず、その時の鬱憤解消に身を任せてきたのです。
おかしいのです。
山奥に誘拐して、究極の鬱憤解消を、愉悦利益追求を時たま実行すれば良いのです。
権力で捜査を黙らせれば良いのです。
何となく避けてきた、力では黙らせられないかもしれない倫理問題を匂っていたのでした。
刹那の肉体的欲望への従属してきたという蓄積的矛盾が核の操作盤により、必ず最後に頭をもたげてくるのです。
というのも、彼にもこの世から去りゆく肉体的欲望をどこかから何となく規律する魂のような存在があったのです。
「映画の爆発場面が好きだったろう。
利益を追求しろ。」
「今際の際に自分の良心を汚したくない。」
「周囲の人間を欲望のために傷つけてきただろう。
何故最後になり無視してきた良心に従うのだ。」
「最後になり、力で黙らせてきた良心が頭をもたげてきた。
身体的欲望の刺激を追求してきた私が肉体消滅の瞬間まで刺激を追求しないのは矛盾だ。」
「欲望の追求とは、充足状態を夢見続けることにより逆に永遠に満たされなくなる何かのために、充足感覚を与えられる瞬間を夢見続けるよう使役されることを言うのだ。
肉体がある以上、満たしたと感じた瞬間、次の欲望が湧いてくるのだ。
そして、渇望状態後の快楽の収集は、類似の渇望状態を命令してくる。
欲望回路が出来上がっているのだ。
欲望を追求してばかりの人間はただの反射人間だ。
欲しい商品が無ければ自ら動かず、テレビの前でぼんやり坐るだけを選ぶような人間なのだ。
自分の意志がないのだ。」
「認める、ただ肉体的欲望の奴隷として生きてきた私は本当の意志のない人間だ。
肉体以外の何かに価値を見出さなかった私は、今際の際にならないと、良心の矛盾を経て、自身の矮小さに気付かなかった。
力や利益の最大化だけを求めてきた私は、肉体の奴隷で魂のない人間だった。」
自分の意思で力を求める人間は、肉体以外に存在する価値、矜持で、ただ無為に力を求め続ける帰結の無から自身を守るのです。
規律主体があるのです。
ところで禁断の力を夢見させ、永遠の因果に引き込む霊術の体系は、異星人により意図的に宇宙に広められています。
人を無にしてしまうのです。
神はこの力を断じて許容していません。
この物理世界の住人である人間が必要性に基づき動くのです。
私は今年六月六日に起きた金星の太陽面通過の際、東京スカイツリーでスマートフォンを用い“妖星乱舞”を聴き、金星儀を購入しました。

二千九百十五青字


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