青龍神界鏡

次はまた首相してみんかお前。
https://www.youtube.com/watch?v=CsI7GSs4d1s

三面目   魂と力

2012年07月25日 19時00分00秒 | 投稿


画像は太陽観測衛星ようこうが撮影した太陽

神には絶対的なもの、という意味があります。
私たちにとって神とはその意味で何でしょうか。
私は力の価値を信じます。
力を持つものが神なのです。
私は霊能力の劇的な覚醒と、波状的、自動的に訪れた各種の能力の獲得に付随した霊的戦闘行為や異星人との対話を経て、そのように帰結させました。
論理立てられた道徳の教書や、美しい宗教画はそれだけでは蛮族に対しては無価値なのです。
ある異星人に言われた忘れられない言葉があります。
「私たちの悲惨な境遇にお前の言う地球の聖人が遭遇したとして、どのように振舞うのか教えてくれ。
お前は私たちの侵略的行為を非難するが、善の手本が実際的に力にどう対処していくのか興味深い。」
私は何も言い返せませんでした。
「そうだ、何も言い返せないだろう。
善が宇宙を統べるだと。
理想論だ。
力こそ神だ。
私たちはその教義の体系に組み込まれたのだ。
その教義の宣教には力が伴ったのだ。
何故なら祭神は力だからだ。
その神に対し、善は無力なのだ。
私たちがただただ力の宣教に涙に暮れたように、善は殴打されるだけなのだ。
私たちは力の信者として、力を求めたのだ。」
この討論で私は敗北を喫しました。
私はこのように非難していました。
「お前たちは最低だ。
科学力の劣る惑星を探し出し、非道な契約を提案し、侵襲していく。
私はそんなことは絶対にしない。
恥ずかしいからだ。」
討論の際に知ったことですが、彼らの背後にはある意思が存在していました。
「俺たちはぐちゃぐちゃにされた。
強姦や人体実験なんて大したことないんだ。
何故お前はそんなに怒るのだ。
宇宙船と科学技術が説明書付きで、ある日地上に降ろされていたんだ。
何故かは分からなかった。
使うだろう。
そうして俺たちは他の惑星や宇宙船を襲っていった。
もちろん弱い相手だ。
強ければ逃げる。
襲って奪う。
その繰り返しだ。
お前たち地球人だったらどうだ。
宇宙船を使うだろう。
襲うか襲われるの二択だからだ。」
文明の揺籃期に意図的に大侵略を行い、全惑星的な心理外傷を与える。
後に、宇宙船と科学技術を説明書添付で降ろしめてきた連中がいたのです。
脅威と対抗手段を与え、終わりのない武器の奪い合いに追い込み、宇宙に修羅の世界を創出せんとするのが背後の組織の策謀でした。
彼らの科学文明は地球のそれより優れていましたが、つぎはぎでした。
自分達独力の科学技術の開発は難しく、自助努力は説明書を理解するための教育を与える程度でした。
力を求める意志を育む機会が歴史的に、そして抗いがたい状況に追い込まれて奪われ続けていたのです。
そして彼らにとっての神は力であり続けました。
力を持つものが神だと私は先述しましたが、私にとってそれはこの社会で通用する修辞的、そして実体的表現です。
世界的財閥の総帥こそ地球の神だ。
このような表現で大勢の理解を得られると思います。
更に穿って言いますと力を生みだす、力を求める意志を私は更に上位の神と信じます。
究極絶対のものなのです。
世界的財閥の総帥にも勝てるのです。
では力を求める意志はどこからくるのか。
それは自我からだと考えます。
自我とは、自身で物事を帰結させようとする、そしてその過程への他者の介入を嫌う力場と捉えます。
自我とは言わば意志の領域なのです。
自我は心理学的に通用する用語ですが、私は自己の魂の純粋性と捉えています。
読者の理解の橋渡しとして用いました。
そして自我とは、魂の純粋性とは、魂の露出経験とその系統経験から生まれていくと私は考えます。
魂の露出とは命を懸けた戦いや自己犠牲、それらに感動することを言います。
魂の露出とは自分に嘘をつくことができない正直な状態なのです。
体裁、保身、利益、自己憐憫、あらゆる不要な力が介在していないが故、何物にも自己をおもねることができないのです。
その時の自分を後から自己被虐や陶酔が自分や他者を経由して誤魔化したり嘲笑してくることはないのです。
社会の雑多な力が届かない、裸の意思決定が可能な状態なのです。
魂の露出においては、意識の対象が自己利益に還元可能な範囲外に存在し、そのため世俗利益が帰結する自己の物理身体以外にある魂を懸けざるを得ない、神性が発露する状態なのです。
力とは自身の自由範囲の拡大手段です。
力を与えられれば、他者の自由範囲が自己に対し侵襲してくるのです。
自我が、魂が汚されるのです。
利益だけを求め続けていく、犯罪人、魔物になるのです。
魂を曝け出した人間は、魂の純粋性の低下を意味する、自分の自由範囲の縮小を本能的に恐れるのです。
神性を発露させた、その時の自分に後から嘘をつくことになるからです。
例えば、命を懸けた名誉の賞状に”今は金を賭ける人間です”と自分で加筆することは絶対に出来ないのです。
魂を曝け出したことのある者は力を与えてやろうと提案されても断るのです。
既に誇り高いのです。
世俗利益よりも魂を優先するようになっているのです。
魂を曝け出したことのある者はつまり、力を求める意志に目覚めていくのです。
自ら勝ち取りたい。
自ら成功したい。
自ら広めたい。
自ら守りたい。
そのための力が欲しい。
誇り高く力を求め、羽ばたいていくのです。
魂は更に純粋に、美しくなっていくのです。
そして、力を求める意志は、宇宙を無にしていく自己利益だけを求める魔物から宇宙を守っていくのです。

鳳凰

二千百六十七青字


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