心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

心の中に漂う田舎の原風景

2019-01-09 20:59:01 | Weblog

 子供たちが帰った翌日、家内と二人で近くの氏神さまに初詣に出かけました。それほど大きくはありませんが由緒ある神社です。毎年、お不動さんとこの氏神さまにお参りするのが我が家のお正月です。
 そのあと、久しぶりに開店したスーパーに立ち寄って、さあて今晩は何にしようかと思案するも、この年末年始に美味しいものを食べ過ぎたためか、なんにも浮かんできません。ならばとお寿司屋さんを覗いてみると明日から開店の予定だと。立ち寄ったのは小さなお好み焼き屋さんでした(笑)。
 その夜、田舎の実家に電話を入れると、なんと連日の積雪で毎日雪かきに追われているのだと。大阪では信じられない風景が、遠い記憶の中に蘇ってきます。続いて姉に電話を入れると、年末に転んで肩を骨折して数日間入院したのだと。これもまた大ニュースでした。連絡がなかったところをみると、それほど深刻な状況でもなかったのでしょうが、やはり足腰が弱ってきているのは確かです。
 考えてみると、私は18歳で田舎から京都に出てきて、4年間楽しい学生生活を過ごした後、大阪に職を得て以来、今日までずっと大阪で暮らしてきました。ということは、68年間のうちの7割は大阪人として生きてきたことになります。なのに、私の心の奥底には、今も古き良き時代の田舎の原風景が大切にしまってあります。年数だけでは計れない何かがあるのでしょう。(写真 上:大阪府庁、下:大阪城)
 そういえば、5日の読売新聞夕刊を眺めていて、「ええやん!かんさい”マチタビ」という企画記事に目が留まりました。新聞記事を読んでもネットの普及でワンステップ遅い感が否めないなか、企画記事ぐらいしか読むものがないのも寂しいものですが、この日のテーマは大阪市の鶴橋界隈。女性指揮者の西本智実さんのご登場です。
 JR環状線鶴橋駅界隈といえば焼肉屋さんやら居酒屋さんやらがひしめき合う街のイメージがあります。町工場やコリアタウンもあります。西本さんは小さい頃、その界隈の小さな神社の境内を遊び場にしていたのだそうです。真田幸村が大阪城と出城の間に掘ったと言われる「真田山の抜け穴」を探検するほどの活発な女の子だった西本さんは、そんな雑多な街、いろいろな文化が混在した街に育ったことで、一つの見方にとわられない多面的に物事を受け入れる素地ができたのだろうと言います。そうかもしれません。大阪のエネルギーがいっぱい詰まった街でもあります。それが西本さんの音楽観の素地を形成しているのかも。
 人は風景の中に身を置いて無意識のうちに目に見えない空気と会話をしながら成長します。「静」と「動」を繰り返しながら、あっちに行ったりこっちに行ったりしながら、なんとなく自分の立ち位置を確かめます。

 手許に新書「地図と地形で楽しむ 大坂 淀川歴史散歩」(都市研究会編/洋泉社)があります。「知っているようで知らない「淀川」の秘密」という副題までついています。縄文時代には、上町台地と生駒山との間の河内平野が内海(河内湾)だったこと。淀川、大和川と大阪の歴史。地名にみる大阪の歴史.....。なんとも興味深いものでした。読売新聞の記事によれば、鶴橋界隈も、上町台地の東側にあった河口湖に注いでいた百済川(旧平野川)に架かっていた橋の周辺で鶴が群生していたことから「鶴の橋」となったのだろうと。鶴橋界隈の今の風景からは考えられないお話しではあります。こんな歴史を知ると、どこかほっとするところがあります。
 話は変わりますが、ことしは日本オーストリア友好150周年の年にあたります。きのうは音楽講座「”音楽の都”ウィーンに花咲いた作曲家たち」を楽しみました。春には、そのウィーンに行く予定ですが、その前に。

 あと1週間もすれば「歩き遍路」です。そろそろイメージトレーニングをしなければなりません。今回は山道が多い柏坂遍路道、松尾坂遍路道を歩くことになります。へんろみち保存協力会編の地図だけが頼りですが、逆打ちで宇和島から宿毛をめざすことになるので、道標の矢印を見つけるのが大変そう。全身の方向感覚だけが頼りです。
 とりあえず、年末に出された「豪雨及び台風等の災害による遍路道の危険箇所について (第二報)」を確認すると、観自在寺道 高知県宿毛市大深浦で通行は可能だが危険個所がある由。それ以外は問題なさそうなので、あとは天候の具合だけか。ただし、出発前の3日間、連日、新年会が入っているので、体調管理が一番大きなテーマなのかもしれません(笑)。

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