心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

皇帝ダリアが花開く秋

2018-11-22 21:18:48 | Weblog

 今朝、出かけるときに庭を眺めたら皇帝ダリアの上部に大きな花が咲いていました。たくさんある蕾のうちのひとつですが、我が家にやってきて2年目にしての開花です。春先から伸び始め、今では私よりもすいぶん高く3メートル近くなりました。度重なる台風の到来で、残念ながらいくつかは倒れてしまいましたが、最後まで踏ん張ってくれた茎に花が開きました。高すぎて望遠レンズがないと細やかな花びらを確認することができません。
 そんな秋の某日、またもや上洛をいたしました。今回のお目当ては「没後50年、藤田嗣治展」(京都国立近代美術館)です。あまり深い理解もないままに会場内に入ると、西洋絵画を思わせる空気が部屋の隅々にまで充満していました。案内によれば藤田は、80年を超える人生のおよそ半分をフランスで暮らした画家で、20代後半にパリへ渡り、30代に入るとフランスにて頭角を現した画家です。その藤田の描く絵の変遷を辿りながら、一枚一枚を丁寧に観て回りました。
 第二次世界大戦の一時期、帰国した藤田は作戦記録画を多数発表しますが、そのために戦後批判を浴びることになり、1959年再びフランスの地に舞い戻ります。以後、フランス国籍を取得し、その地で生涯を終えました。西洋風の油絵でありながら日本の繊細な心が滲み出る藤田の絵画を楽しみました。パンフレットには「乳白色の下地と繊細な描線に代表される彼の香り高い芸術は、多くの人々を魅了してきた」と紹介されてありました。
 そんな美術館を後にして、いつも通り神宮通りを歩きながら青蓮院の前を通って知恩院に向かいました。法然上人御堂に上がって、お経が響くなか両親や亡き兄姉たちに手を合わせ安寧の日々に感謝します。ふと、ケルンの大聖堂の空気感に近いものを感じました。やはり宗教というものの根っこは同じなんだろうと思ったものでした。
 阿弥陀堂の付近に小さな人だかりがありました。よく見ると季節外れの桜の花(?)。考えてみると毎年この時期になると咲いているような気がします。ということは、毎年この時期にお参りをしているということなんでしょう。円山公園の紅葉を愛で、四条通りのお店を冷やかしながら帰途につきました。新装なった南座の姿も。
 話は変わりますが、今週の授業「近代文学」のテキストの中に、夏目漱石が誕生について綴った「硝子戸の中」の一節が紹介されてありました。
「二月九日、江戸牛込馬場下横町に生まれる。父直克五十歳、母ちゑ四十二歳。(中略)私は両親の晩年になって出来た所謂末っ子である。私を生んだ時、母はこんな年歯をして懐妊するのは面目ないと云ったとかいふ話が、今でも折々は繰り返されている」と。
 これって私と同じだと思いました。夏目家の場合は五男三女、我が家は四男五女。末っ子という点は共通しています。なによりも、私を産んだ父母の年齢がほほ同じということです。漱石は一時期、養父母に預けられ、実の両親を「お爺さん」「お婆さん」と呼んでいたとか。私が小さい頃、一番上の姉を時々「お母さん」と呼んでいたと亡き姉が話してくれたことがありました。そういう点でも共通するものがあります。でも、だからどうだということではありません(笑)。なんとなくぼんやりと時代というものを思った次第です。

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
« 紅葉の秋に文楽とコンサート... | トップ | 京都、京丹後、奈良を巡った... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事