心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

74回目の夏~「念ずれば花ひらく」

2024-08-14 21:48:43 | Weblog

 今夏、74回目の夏を迎えました。50回忌を終えた母より10年も長く生きたことになります。......蝉時雨のなか誰もいない離れの一室で、お昼寝から目覚めて泣く子の様子を見にやってきた母の姿が、ぼんやり浮かんできます。
 先日、京都の下鴨納涼古本祭に行ってきました。立秋を過ぎて心なしか心地よい微風を肌に感じた糺の森は、多くの古本ファンで賑わっていました。
 この日連れて帰ったのは、岡潔著「情緒と創造」、鈴木大拙著「無心ということ」、坂村真民著「念ずれば花ひらく」の3冊でした。同伴の家内は、この歳になってなお料理本とお花の本を何冊か手にしていました。
 「念ずれば花ひらく」。この言葉を刻んだ石碑を、私は八十八カ所歩き遍路の行く先々で目にしました。気にはなっていましたが、その言葉の由来は知りませんでした。
 著者は仏教詩人・坂村真民さん。初めて聞いたお名前です。ウィキペディアによれば「一遍の生き方に共感し、「癒やしの詩人」と言われる」とあります。8歳の頃、父親が急逝したあと、残された5人の子たちは気丈な母のもと、病気ひとつすることなく育ったと言います。「念ずれば花ひらく」は、そんな母にとって自己激励と悲願の念仏でした。

念ずれば
花ひらく
苦しいとき
母がいつも口にしていた
このことばを
わたしもいつのころからか
となえるようになった
そうしてそのたび
わたしの花がふしぎと
ひとつひとつ
ひらいていった

真民さんは言います。この八字十音のありがたさが、本当にわかるようになるまでには、幾多の試練を受けねばならなかった、と。真民さんの詩を愛する人々によって、全国に800基ほどの石碑が建立されていると言います。

 ところで、夜な夜なページをめくりながら気づいたことがあります。この本が活版印刷だったことです。活字の凸凹が微かに見える紙面を懐かしく思いました。
 鉛の活字を拾いながら頁ごとに仕上げていく活版印刷工程を、私は職場の機関紙(広報紙?)の編集を担当していた若い頃、街の印刷屋さんで拝見しました。こちらの身勝手な原稿修正に応えて黙々と活字を拾っていく工員さん、そして部屋に充満するインクの臭い。そんな風景が蘇ってきます。


 話しは変わりますが、今日は梅田の阪神百貨店8階催事場で始まった「夏の阪神中古&廃盤レコード・CDフェス」を覗いてきました。開店早々たくさんのお客さんで賑わっていました。10万枚からお気に入りのレコード5枚を選ぶのにずいぶん時間を要しましたが、お会計には長蛇の列。30分を要しました。古き良き時代を夢見るシニアの方々だけでなく、若者たちの姿が印象的でした。
 このお盆には、横浜の次男君一家がやってきています。つい10日ほど前に三浦海岸で会ったばかりですから、さあてどうしたものか。今日は一日ゆっくりしましたが、明日から二泊三日で琵琶湖のプリンスホテルを予約してクルージング、そして京都水族館を楽しむことにしました。そんなわけで、いつも金曜日に更新するこのブログ、少し早い目に(孫娘が眠ったあとに)更新することにしました。
 そうそう、お嫁さんのお母さんから、私の74歳の誕生を祝してバースデーケーキをいただきました。みんなで美味しくいただきました。
 来週からNPOの仕事が少しバタバタしますが、それまでの間、残り少ない夏をゆったりまったり過ごすことにいたします。

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