心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

暑さ寒さも彼岸まで

2012-09-23 09:18:11 | Weblog
 窓を全開にして眠ってしまったので、今朝は肌寒さで目が覚めました。暑さ寒さも彼岸まで、とはよく言ったものです。こうして私たちは自然調和のなかで生きています。でも、3.11の脅威は重く心の底に沈殿したままです。
 そういえば、週末いつも通り新幹線に乗って新大阪駅に到着すると、大阪の街はすでに陽が落ちネオンが輝いていました。暑い夏の頃なら、夕陽が輝き、まだまだ昼の活気があふれていましたが、今は夕闇のなかに家々の灯がほのかに浮かんで見えます。日が短くなりました。こんなところにも季節の変わり目を思います。

 その日は、ひと仕事片づけて新幹線の飛び乗ると、温かい缶コーヒーをすすりながら、鞄の中から文庫を取り出しました。村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」の第3巻(鳥刺し男編)です。この小説は20ページほどで場面が変わるので、私のように落ち着きのない人間には読みやすく、スキマ時間を見つけてはこの不思議な世界を徘徊しています。
でもねえ。時事通信のネットニュースをみると、尖閣問題で北京の大型書店から村上春樹の小説など日本書籍が撤去されているのだとか。おかしいですねえ。人の心を政治(権力者)が左右するなんて。おかしいですよ。

 以前ご紹介した小沢征爾・村上春樹共著「小澤征爾さんと音楽について話をする」(新潮社)が、ことしの小林秀雄賞に選ばれた由。小林秀雄といえば、難しいけれども私にとっては気になる存在で、私のデジタルプレイヤーには小林秀雄講演CD全巻が入っていて、時々ぼおっと聴きながら妙に納得したり、しなかったり、そんな関係がここ数年続いています。
 4年前には多田富雄先生の「寡黙なる巨人」がこの賞を受賞しました。まだお元気だった多田先生はトーキングエイド(コミュニケーション支援用具)を使って受賞の記者会見をされました。その特集記事が掲載された季刊誌「考える人」で、私は初めて多田先生の存在を知ったのでした。そして昨年、ずいぶん多田先生の著書を読みました。生きる意味を考えました。一度もお目にかかったことのない方々の文章に触れながら、私は何十年もお付き合いをしているような錯覚に陥ることがあります。活字を追いながら、多くの気づきをいただいています。

 きょうは朝から小雨が舞っていますが、きのうは家内の実家のお墓詣りに行きました。そのとき通ったバス停の法面には、橙色のコスモスが満開でした。ひと口にコスモスといっても、赤、白、ピンクさまざまです。でも、私は橙色のコスモスが気に入っています。何年か前、田舎の温泉宿に宿泊したとき、夏を惜しむヒグラシの声を聴きながら川べりを散歩していて、そこで出くわしたのが橙色のコスモスでした。なんの穢れもなく、凛として美しく、和服姿の母親を思い出させるような、そんな花の姿に見入ったものでした。

 そうそう、ことしツルムラサキを手に入れました。家内が以前からほしがっていたものです。カロチンが多く、若い茎葉をおひたしや和えもの、また炒めものや汁の実に利用します。暑い夏に放置していたら、ずいぶん大きくなってしまいました。さて、今晩はどんな料理に変身することやら。
 雨があがったら、遅れていた秋野菜の種蒔きをします。1週間前に畑を耕し、焦土石灰やら有機肥料やらを土に馴染ませておきましたので、きょうはニンジンと白菜とカブの種を播きます。早いものは2カ月程度、遅いものはお正月の食卓に上ることになるでしょう。おそらく。


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