雨の日が続きますが、きょうの日曜日は曇り。雨が降らないだけまし、というわけで久しぶりに愛犬ゴンタと朝のお散歩を楽しみました。といっても、道端の草木はしっとりと雨に濡れていて、青々として元気そのものです。ゴンタは濡れないようにそれを避けて歩きました。
そうそう、きのうの土曜日は、童謡詩人で金子みすゞ記念館館長の矢崎節夫さんのお話をお聴きしました。以前に申し込んでいた公開講座なのですが、二百人ほどの聴講者はほぼ同世代の方々、もちろん若い方も混じってはいましたが、ひとつの世代を感じました。矢崎さんのお話は、以前、NHKラジオの日曜カルチャーアワー「金子みすゞの宇宙 ~うれしいまなざし~」でお聴きしたことがあって、その独特の話し方が耳の奥に残っていたせいか、初めてとは思えない親近感を覚えました。そして、言葉を乱暴に使う癖のある私にとっては、言葉の持つ意味を改めて考えました。
講座の副題は「まなざしを変えると見えてくるもの」でした。「私とあなた」と「あなたと私」とはどう違うのか。私の視点から「あなた」を見るとはどういうことか。「あなた」の視点から私を見るとはどういうことか。そこに金子みすゞさんの「まなざし」が見えてくる。それは「こだま」という言葉、共に生きる「共生」という言葉に繋がっていきます。多様性とか共生という言葉が当たり前のように使われている昨今、眉間にしわを寄せて蘊蓄を傾けるのではなく、人の心に支えられた言葉の原初的な意味合いを考えます。
矢崎さんは、漢字の成り立ちについて、「憂う」の憂の左ににんべんをつけると「優しさ」になる、「辛(つらい)」の上に横棒を一本加えると「幸(さち)」になる、とも。三千年をゆうに超える漢字の歴史、その長い年月を経て今在る漢字の意味。こんな視点から文字というものを見つめた習慣のない私は、お話のひとつひとつを新鮮に感じました。どこにでもある平易な言葉のなかに、人の心が隠されている。心の機微が隠されている。ものごとを気取らず、ありのままに受け止め、それを素直に表現しているのが、金子みすゞさんの世界だと思いました。
ことし没80年を迎えるということで全国何カ所かのデパートで展覧会が企画されているそうです。金子みすゞさんが生まれたのは1903年(明治36年)です。南方熊楠が英国から帰国して3年が経過した頃です。雑誌に童謡を投稿したのがきっかけで、西條八十に認められて頭角を現しますが、悲しい出来事があって26歳の若さでこの世を去りました。
情報過多の時代、私たちは言葉を軽んじているところがないかどうか。言葉の「意味」を考える心の余裕すらなく、言葉を乱暴に扱ってはいないか。日々多用する電子メールの氾濫が、それを助長してはいないか。私自身、胸に手をあてて振り返ります。言葉の意味(重み)を、郷愁としてではなく、これからの時代にどう語り伝えていけるのか。世には若者のコミュニケーション力の欠如を嘆く声が多いけれど、いったい大人が叫ぶコミュニケーション力とは何なのか。先日、私は職場の若い方々に「意思を伝える」「知識を活用(創造)する」機能として言語の大切さを説きましたが、伝える手段としての言葉がもつ本来の意味に言及することはありませんでした。人の心と言葉の関係は、とりもなおさず人と人とのつながり、私たちの身の回りのありとあらゆるものとの関係性を問うことにもなります。
最後に、この日矢崎さんが紹介された金子みすゞさんの詩の中の一篇を転記して今日のブログ更新を終えます。この詩は、掲載した「没後80年金子みすゞ」(JULA出版局)の表紙を飾っています。
『私と小鳥と鈴と』
私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面を速くは走れない。
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけれど、
あの鳴る鈴は私のように、
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。
そうそう、きのうの土曜日は、童謡詩人で金子みすゞ記念館館長の矢崎節夫さんのお話をお聴きしました。以前に申し込んでいた公開講座なのですが、二百人ほどの聴講者はほぼ同世代の方々、もちろん若い方も混じってはいましたが、ひとつの世代を感じました。矢崎さんのお話は、以前、NHKラジオの日曜カルチャーアワー「金子みすゞの宇宙 ~うれしいまなざし~」でお聴きしたことがあって、その独特の話し方が耳の奥に残っていたせいか、初めてとは思えない親近感を覚えました。そして、言葉を乱暴に使う癖のある私にとっては、言葉の持つ意味を改めて考えました。
講座の副題は「まなざしを変えると見えてくるもの」でした。「私とあなた」と「あなたと私」とはどう違うのか。私の視点から「あなた」を見るとはどういうことか。「あなた」の視点から私を見るとはどういうことか。そこに金子みすゞさんの「まなざし」が見えてくる。それは「こだま」という言葉、共に生きる「共生」という言葉に繋がっていきます。多様性とか共生という言葉が当たり前のように使われている昨今、眉間にしわを寄せて蘊蓄を傾けるのではなく、人の心に支えられた言葉の原初的な意味合いを考えます。
矢崎さんは、漢字の成り立ちについて、「憂う」の憂の左ににんべんをつけると「優しさ」になる、「辛(つらい)」の上に横棒を一本加えると「幸(さち)」になる、とも。三千年をゆうに超える漢字の歴史、その長い年月を経て今在る漢字の意味。こんな視点から文字というものを見つめた習慣のない私は、お話のひとつひとつを新鮮に感じました。どこにでもある平易な言葉のなかに、人の心が隠されている。心の機微が隠されている。ものごとを気取らず、ありのままに受け止め、それを素直に表現しているのが、金子みすゞさんの世界だと思いました。
ことし没80年を迎えるということで全国何カ所かのデパートで展覧会が企画されているそうです。金子みすゞさんが生まれたのは1903年(明治36年)です。南方熊楠が英国から帰国して3年が経過した頃です。雑誌に童謡を投稿したのがきっかけで、西條八十に認められて頭角を現しますが、悲しい出来事があって26歳の若さでこの世を去りました。
情報過多の時代、私たちは言葉を軽んじているところがないかどうか。言葉の「意味」を考える心の余裕すらなく、言葉を乱暴に扱ってはいないか。日々多用する電子メールの氾濫が、それを助長してはいないか。私自身、胸に手をあてて振り返ります。言葉の意味(重み)を、郷愁としてではなく、これからの時代にどう語り伝えていけるのか。世には若者のコミュニケーション力の欠如を嘆く声が多いけれど、いったい大人が叫ぶコミュニケーション力とは何なのか。先日、私は職場の若い方々に「意思を伝える」「知識を活用(創造)する」機能として言語の大切さを説きましたが、伝える手段としての言葉がもつ本来の意味に言及することはありませんでした。人の心と言葉の関係は、とりもなおさず人と人とのつながり、私たちの身の回りのありとあらゆるものとの関係性を問うことにもなります。
最後に、この日矢崎さんが紹介された金子みすゞさんの詩の中の一篇を転記して今日のブログ更新を終えます。この詩は、掲載した「没後80年金子みすゞ」(JULA出版局)の表紙を飾っています。
『私と小鳥と鈴と』
私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面を速くは走れない。
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけれど、
あの鳴る鈴は私のように、
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。