ねこぱんち

絵日記のようなもの。
本や映画、生活のこと、思うことなどを気ままに書き連ねています。

哀愁

2006年03月19日 03時00分26秒 | 映画
1940年の米映画。
ロバート・テイラーと、ビビアン・リーが主役を演じた悲恋の物語です。
今から60年も前に作られたとは思えない映画でした。

私、正直なところ白黒映画って、あまり好きじゃないんですよね。
色があった方が面白いし美しいから。
それでも最後、切なくて涙が出ましたよ・・・。
今回、モノクロ映画でも、かなり綺麗な映像があることを知りました(笑)
ビビアン・リーのアップなんか、少し紗がかかったように
なっていて、とっても美しいと思います。

でも、やはりこれがカラーで残っていたなら最高なのになぁ。
洋服とかインテリアとか、とっても素敵で、これがどんな色なのか気になります。

なんというか、60年前から、女心は変わっていないわけで・・・。
マイラがロイに本当の事を言えない気持ちとか、
このまま結婚してはいけないと思う気持ちが切ないのです。
その罪は彼女が悪いわけでなく、生活のために仕方なくやった事だから、
見ている方は溜息しか出てこない。

彼女が選んだ道は、もう仕方ないと言えば、そうなんだけれど、
あまりに悲劇的なんで、先が読めるのに泣いてしまうかんじです。

この映画の上手いところは、天国→地獄→天国→地獄という風に、
天国の美しさや楽しさを十分に分からせてから、
主人公を苦しい地獄に落とすもんだから、
最後までハラハラ、わくわく、ドキドキできるところかと思います。

甘い蜜の味は、苦味を引き立てるんですねぇ。

最後のシーン、中年になったロバート・テイラーが、
ウォータールー橋に立って、ビビアン・リーの事を思い出す場面なんですが、
鬢のところに少し白髪が出てきたロイを見ただけで、
ここまで生きてくるのは、さぞ辛かったろうねぇ、という気持ちになり
切ないシーンであったと思う。

まぁ、真相はバレてしまったけれど、マイラは美しいまま彼の胸の中に
残ることが出来て、ベストとは言えないけど、とても美しいので
むしろ良いのではないかと思う。

ビビアン・リーは、『風と共に去りぬ』が有名だけど、
面白い映画に沢山出ている(らしい)ということが分かったので、
これからは、名作と言われる部類の映画を掘り下げようと思う次第です。

箱根温泉旅行

2006年03月18日 00時00分50秒 | 日々のこと
箱根に行って来ました。
箱根湯本から車で5分くらいのところにある「山の茶屋」という
つり橋を渡っていく小さな旅館でした。

ロマンスカーに乗るのが初めてで、はりきって展望席を予約してみた!
前面と側面が大きな窓になっていて、富士山が大きく見えた。
「海がもうすぐ見えますよ。」と乗務員の人に言われて、楽しみにしていたのに、
海は遠くの方に2㍉くらいしか見えなくて、これが果たして
見えたと言えるのか?と疑問を持った。
ガッカリして損したぜ。うっかり信じて喜んでしまったー。

駅弁を食べたり、景色を見たり、昼間から缶チューハイを飲んだりして
ちょっと贅沢な気分を味わい、一時間半はあっという間に過ぎてしまった。

昼間は箱根登山電車に乗って、あてもなくウロウロしてみた。
「九月の四分の一」で読んだ、スイッチバックを始めて見て、
こういうことかぁ、と納得できました。

旅館では小粋な趣味の女将さんがいるらしく、お花やインテリアを見て回り、
浴衣を着込んでウキウキできました。
料理も小会席になっていて、美味しくいただきました。
器も味も美しかった・・・。

写真の海は、帰り道に立ち寄った鎌倉の海です。
あいにく、天気が良くなかったので、長居できませんでしたが。

鎌倉で何気なく行ってみた、「鎌倉文学館」は良かった!
前田侯爵の元別邸で、今は鎌倉市に寄付され、
国の有形文化財に指定されているそうです。

アールデコと、和が、うまい具合に混在した洋館です。
美しい。あぁ、美しかった。
ステンドグラスって素敵だなぁ。
三島由紀夫さんの「春の雪」で、清顕さんが友人達と一夏を過ごした
別荘のモデルとして使われている。
読んでいる最中は、全然気づかなかったけど・・・。

小腹が空いて立ち寄った「くるみ」という甘味処で、
初めてデカイあんみつを、最後まで美味しく食べることが出来ました。
お腹が空いていたからかなぁ?
ペロリと食べてしまった自分にビックリ!
他と違う味だからなのか、ただ単にお腹が減っていたからなのか、
次回行く時は検証してみなければならないわ。

ポネット

2006年03月14日 03時02分18秒 | 映画
子役の写真が可愛かったから手に取ったのですが、
結構面白い映画でした。

1996年のフランス映画です。
主演女優はヴィクトワール・ティヴィソル、4歳!
この作品でヴェネツィア映画祭、主演女優賞を取っています。
かわいいだけじゃなく、迫真の演技をしています。

監督はフランスの名匠、ジャック・ドワイヨン
スタンダードな設定なのに、飽きさせず、面白いセリフを入れています。

4歳の子供は、まだ「死」というものを、よく理解できなくて、
しかも、ヨーロッパの方では宗教の影響もあるから
「キリスト様みたいに死んだ人間も復活する」とか
「神様にお願いすれば、もう一度会える」という風に、
頭の中が混乱した状態になります。
ドワイヨン監督は、実際に4歳の子供達に対して、
死についての認識調査を行っているらしく、
大人から見れば「滑稽」とも映るセリフや表現を使っています。

子供にとっては何でもない表現でも、大人が聞くと鮮烈に感じられるんです。

映画の中でも「神様の子供になるための試験」と言って、
飛び石から地面に落ちずに渡りきるとか、高い所から地面に着地するとか、
「えー!信じちゃうの?」という事を、本気でやっています。
フランス人の宗教感覚って、案外低いんですかねぇ。
子供達は、誰一人として正しい宗教知識を持っている子がいないんです。
ポネットは純真無垢なので、それを信じてしまいます。

「ママは皆が居るから出てこないんだ。」
「一人で居れば、きっと遊びに来てくれる。」
と思って、皆から孤立してしまうポネット。
大人達は、必死に「死」というものを教えようとするけれど、
ポネットは全然納得してくれない。
毎日神様にお祈りして、夢の中でママと遊ぶのを楽しみにしている。

現実主義の人には、この映画は向いていませんので、
なるべく優しい気持ちで見ることをすすめます。
まぁ、子役達の可愛らしい演技を見るだけでも癒されるけどね。
私はポネットの従兄マチアスがお気に入りでした。
ぽちゃぽちゃの男の子で、ぷっくりしていて可愛いんだ。

マチアスとポネットの絡みは、なんだかドキドキするけどね。
フランス人って、子供の頃から、あんなにスキンシップが多いのかな。
恋人みたいにキスの雨を降らすんだよ・・・。
国民性が違うなぁ、とビックリしました。
可愛いけど、大人みたい。

ラストシーンは好き嫌いが分かれるだろうけど、私は好き。
パパはもう少し驚いてもいいと思ったけどね。
「そのセーターどうしたの?」くらい言ってもいいと思った。

ヴィクトワールちゃんは、10年経って、どんな少女に育ったんでしょうね。
きっと美しく育ったのだと思われます。元の素材が良いもの!
最近の出演作があるなら、ぜひ見たいと思いました。
名声に押しつぶされていないことを願います。



バレエダンサー

2006年03月10日 01時08分49秒 | 
こっそり読書指導者?を探していて、ネットで話題の本を探すつもりが、
人気作家の読書遍歴みたいなのを特集したページを見つけました。
「これはピッタリだ!」と喜び、好きな作家さんが読んできた本とか
衝撃を受けた本をメモり、図書館に探しにいったんです。

バレエダンサー』は、児童文学です。
バッテリー』を書いた、あさのあつこさんが
バッテリーを思いつく切欠として挙げた本でした。

作者はルーマ・ゴッテンさん。

児童向けなので言葉使いや表現は簡単になってますが、
結構深い内容で、純文学のようでした。

主人公のデューンは、天性の才能を持った少年なんですが、
両親や兄弟には、それが分からなくて、なかなかバレエに
協力してもらえないんです。
家族からのけ者にされて育っていくデューン。
母も父も、一人娘のクリスタルばかり大切にします。

第一巻のハリーポッターみたいな境遇・・・。

人間がガラリと態度を変えるところなんかを見ると、
とっても理不尽で、調子が良いんですよね。
「ああいう人達はハイエナと同じなんだよ」と教えた
ピアノ弾きのオジサンの言葉がずっと離れません。

人間の汚いところも見せつつ、美しいところも沢山ありました。
心ある人達はデューンの才能をすぐに見抜き、力になってくれます。
努力に努力を重ねた人だけが、見ることの出来る高み。
これを見た少年少女達は、現実と理想を同時に感じるんだろうと思います。

しかし、ラストが、あまり良くなかったんです。
なぜか悪者の役回りだったハズの、クリスタルが主人公みたいに
なってしまい、デューンは付足し程度の存在になってしまいます。
まぁ、姉弟ですから、ただの悪者にしたくなかったのかもしれません。

でも、どうせなら、ここまで人生の厳しさを見せたのだから、
姉と弟、子と両親でさえも、分かり合えない時がある。
姉や両親だからと言って、100%信頼できる人間とは限らない。
みたいな鮮烈なテーマで突っ走ってしまっても良かったのでは?


少年少女に、この事実は辛すぎるかしら?
主人公はデューンのままでいって欲しかったなぁ。

というわけで、最後が少し尻つぼみでしたが、
小さい頃から(今でも)バレリーナになりてぇ、と思っている
私には夢のような良い話でした!

九月の四分の一

2006年03月08日 00時03分54秒 | 
表紙の渋い写真がキレイで手に取った本です。
イギリスのどんよりと曇った広い大きな道の写真。

大崎善生さんの『九月の四分の一』を読みました。
美しい名前のついた4つの短編集です。

1つめの「報われざるエリシオのために」が
個人的には一番好きです。
4つとも、それぞれ良い作品で、ハズレなしなんですがね。
なんとなく、一番切なかった気がしました。

私は、近々、箱根に行こうと思っているのですが、
箱根彫刻の森美術館」が出てくるお話です。
とても哲学的な内容で、思わず「旅行中に読みたかった!」
と思ってしまいました。
大人の恋のお話です。
ハッピーエンドに近からず遠からず、という絶妙な終わり方をしていて、
とても「しっくり」ときたんです。

2つめの「ケンジントンに捧げる花束」も素敵な話でした。
日本を捨ててイギリス人になった吉田宗八(ショーン・ブラックストック)が
晩年「将棋ファン」という雑誌に夢中になった話。
戦中のエピソードが素敵でした。
主人公の祐一は、彼によって10年間を肯定され、
人生の転機を迎えます。
動物園のキリンのエピソードも面白かったし、
冥王星のエピソードも格好良かった!
博学って、こういうことか・・・素敵☆

「悲しくて翼もなくて」は切ない恋の物語。
薄命の人って、とってもロマンチック。
「歌は変わらずに残る」という言葉、それは奇跡のようだと思いました。
ミュージシャンの人達は、それを信じて、苦しみながら
歌を作り続けているんでしょうね。
今のように流行とかスターが、流れていく時代には
それを実現するのは、ほんとうに雲を掴むような話しなんじゃないかな。
でも確実にそれをやってのける人間もいるわけで。
そういうのを才能と呼ぶのかもしれないな、と思いました。

表題作の「九月の四分の一」も美しい話でした。
しかも、プラトニック!
一度、こういう経験してみたい・・・。
フランスは文化の街というけれど、地下鉄の駅名も素敵なものが
多いようで、ますます旅をしてみたい国になりました。

大崎善生さん、どんな人なのか、写真を見てみたい。
この短編集は美しいですよー。


バッテリー

2006年03月07日 03時08分25秒 | 
児童文学って大好き!
あさのあつこさんの『バッテリー』シリーズを読みました。
友達に借りたんだけど、文庫本派らしく、1巻~4巻まで。
ハードカバーの方では6巻まで出ているらしい!
図書館で取り寄せるかも・・・。
(学費稼がねばだから、ケチってます。)

面白かった~。

内容を簡単にまとめれば、ピッチングの天才らしき主人公、巧くんが
転校先で出会ったキャッチャーの豪くんと、バッテリーを組む話。

天才がゆえに、なかなか上手くいかないのです。
巧は天才肌だから、変人だし、豪は今のところ凡人?なんで、
それについていくのがやっと、というかんじ。
ピッチャーは、実力の合ったキャッチャーがいないと
全力投球できないのです。

思春期の少年は、まだまだバランス感覚が養われていないから、
お互いの意思を通わせることだけで精一杯。
中学生は子供だから、大人達が色々な手をつかって押さえつけようとするし。
それを真正面から一つ一つクリアしていかなければならない。

巧くんは、ある意味真っ直ぐすぎる少年です。
そこが憎らしくもあり、愛しくもある男の子。
不器用で言葉が足りなくて、本当の事しか言えない。
「きゅん」としてしまいました。

天から授かったのはピッチングの才能だけでなく、
色男の才能も授けられています。
本当の事しか言わない男の子は、みんなが恥ずかしくて、
面と向かって言えないようなセリフを言います。

クサイセリフと思うかもしれないですが、あさのあつこさんが、
事前に巧君の人間性やクセを書いていてくれたので、
素直に受け止められます。
なんとなく、女の人を「きゅん」とさせる男性っていますよね。
巧君は、そういう選ばれた人です。

私が一番感情移入した人物は、巧君の弟の青羽(せいは)君です。
体が弱い男の子で、いつも我慢ばかりしています。
他人の心を思いやるのが得意で、とっても健気な子供なんです。

よく、テレビで小児科病棟に入院している子供の
ドキュメンタリーをやってますよね。
小さい頃から我慢ばかりしていて、自分が苦しくても
親が心配しないように、「苦しい」と滅多に訴えないような子がいます。
あれが青羽君です。
笑顔のキレイな優しい男の子です。

この小説には悪者も出てきますが、悪者は悪者なりに、
切ない理由を持っていて、誰一人として「根っからの悪人」とは思えません。
そういうところも心掴まれた理由です。

こういう小説を読むと、世の中には、理由も無しに犯罪を犯す
人間なんていないんじゃないかと思ってしまいますね。

まぁ、世の中そんなに甘くはないんだろうけれど、
「父親が自分の事を悪く言ったから殺した」とか、
「テストで良い点を取りたくて答案を盗んだ」とか、
そういう犯罪は、徐々に周りからの重圧がかかって、犯罪に至った
というような、理由が存在するんだろうなぁと思いました。
まぁ、普通はそうならないんですがねぇ。
踏み止まるのが普通なんですがね・・・。

それでも、こういう健全な心を写したような作品には
心を洗われるような気がするので、とても精神に良いと思います。
早く続きが読みたいですよ。




青いパパイヤの香り

2006年03月05日 02時52分06秒 | 映画
カンヌ国際映画祭新人監督賞に輝いたトラン・アン・ユン監督による人間ドラマ。
映像が美しい映画でした。

1993年、ベトナム+フランス合作の映画『青いパパイヤの香り』を見ました。

色合いとか、インテリアが美しく、アジアン・ヌーボーと呼ばれているそうです。
しかしこれ、ベトナムで撮ったわけではなく、フランスでのセット撮影だそうです。
ねっとりとしたベトナムの雰囲気が、よく出ている映像ですよ。
太陽がサンサンと輝く日中の映像と、生暖かい夜風が吹く夜の映像。
なんだか小旅行にでも出たような気分でした。
蚊帳で寝てみたいなぁ。

舞台はサイゴンで、1951年という設定だそうです。
ベトナム戦争は描かれていませんので、そこのところのつじつまが合いませんね。
どういうことだろう・・・。
少女時代のムイが、めちゃめちゃ可愛いですよ!
純真無垢って、こういう目をした少女なんじゃないかな。

ストーリーらしいものは、あんまりなくて、展開を期待しないほうがいい。
映画のテーマらしきものも、あんまり無さそうなんだけども、
まぁ、強いて言うとしたら、「精一杯努めていれば、必ず道は開ける」
というかんじでしょうか?
でも、そういう事を楽しむ映画じゃないと思います。

エキゾチックフレーバーを楽しむ映画なんじゃないかなぁ。
確かに、それは美しいこと間違いなし!!!

沖縄に行った時に、パパイヤの炒め物を食べたんだけど、
あれ、結構美味しいし、ベトナムの風土にも合っている食べ物だと思う。
湿度が高くて、ゴハン食べるのも大変だろうからね。
ムイが映画の中でパパイヤを切るシーンが出てくるんだけど、
あの切り方、とっても面白いと思いました。
あんな良い切り方があったのか・・・!

大人になったムイ役の女優さん、まず最初の笑顔が病的で気持ち悪かった!
子役がめちゃ可愛かったから、「なんじゃこりゃー!」とガッカリ。
どこかのHPで見たんだけど、あの女優、監督のフィアンセらしいじゃないですか。
自分のフィアンセを自分の映画のヒロインに起用するのは、どうかと思うな。

あの、虫を愛でている時の笑顔、ゾクゾクします・・・。
こんなに美しい映像を撮る監督が、あんな笑顔の人を選ぶのか。
まぁ、人様の事をどうこう言えないけどさー。
とにかく、違う女優使ったほうが良かったと思う。

大人になったムイが、新鋭作曲家の家で働くんだけど、
1951年のベトナムで、果たしてドビュッシーが弾ける人がいたんだろうか?
ベトナムって、一握りでもいいから、あんなに裕福な人がいるのですか?
作曲家業だけで悠々と生活出来る人って、すごい優雅ですよね。
小さい音で「月の光」が流れています。
裕福って、素敵ですわね。

ムイが髪や顔を洗うシーンがあるんだけど、なんだかそれがセクシーでした。
肌を露出しているわけでもないし、ただ行水?みたいにしているんだけど、
ねっとりとした雰囲気とか、てらてらと光っている髪や雫が、セクシーです。
いつか、あの技使いたいー。
日本で、あんなチャンス、人生に一度でもあるのかな。
ぜひ作らねばならぬ。

アジア版、シンデレラストーリーは、とっても静かで
想像力がかき立てられる映画でした。
こういう映画もあるんだなぁ、というかんじで見てみては?



紫の履歴書

2006年03月04日 02時31分36秒 | 
もう少しで読破できそうです。
あと何冊くらい残っているのかな。
終わっちゃうのも寂しいものがあるけれど。

敬愛してやまない、美輪明宏さんの半生を書いた自伝
紫の履歴書』を読んだ。
想像していたよりもドラマチックな内容です。

初恋のエピソードなんかは、とても甘酸っぱい気持ちになります。
私のまわりには、あんな博学な中学生の先輩なんていなかったな。
私も、よく、次に何を読めばいいのか分からなくなるから、
誰かよく知っている人に読書指導して欲しい!
だって、美輪さんは三島由紀夫さんに読書指導してもらっていたそう。
自分で選んでいると、やはり分野が偏る。
難しい分野とか、硬い話の分野には、なかなか手が伸びないんだよね。
今は、とりあえず、有名な作家さんがエッセイとかでオススメしている
小説やなんかを読んでいるくらい・・・。

私の話は置いといて、本の話に戻ります。

長崎の戦前の様子は、とても美しく、人々ものんびりとしていて
町中に映画や演劇、様々な音楽が溢れていた。
その後、戦争が始まり、食べ物がなくなっていき、原爆が落とされる。
きれいな物は、どんどん排除され、あとには焼け野原が残った。
ハラペコでも、米軍からお菓子を貰わなかったり、
他人に200円もするお餅を買ってあげたり、やはり昔から天使のような
お人だったようです。
当時の200円といったら!大変な価値ですよ。
お餅なんか食べられなかった時代にですよ。
あたしだったら、ぜったい出来ない。まず自分が食べてしまうもの。

美輪さん、若い頃は色々な思いを抱えていらしたようで、
失礼ですが、少しホッとしました。
何千人といらした恋人達。
当然、二股三股は当たり前だったようで・・・。
厳密に言うと、本命+行きずりの相手(数人)というかんじ。
だから、二股というのとは少し違うのかも?
美しさゆえ、相手は美輪さんに尽くして尽くして。
最後に、それに疲れ果てて美輪さんの元を去っていくんです。

恋敵との、女の決闘?も格好よかった。
相手が敬服する程の、腹のくくり方!!!
女なら一度はやってみたいですね(笑)
「相手があなたなら仕方ない。身を引きます。」
なんて言われたら・・・。

水商売での一年は、普通の人の十年に匹敵する。
という内容が書いてあって、少しだけ転職を考えました(笑)
人間の嫌な面が、これでもか!という程見られるそうで、
私みたいなノミの心臓の持ち主では生きていかれるか・・・。
絶望して死ぬかもしれないので、やはりやめておこう。

良いところも悪いところも書いてあったけれど、
やっぱり美輪さんが好きだと思いました。

秘密の花園

2006年02月28日 09時42分31秒 | 映画
小公女」や「小公子」で有名なフランシス・ホジソン・バーネット原作の
秘密の花園」の映画を見た。
小さい頃、何度も読み返した物語で、心が和んだわ・・・。

1993年のアメリカ映画なんだけども、スタッフがすごいらしいです。
総指揮がフランシス・F・コッポラ
監督はポーランドの実力派女性監督、アニエスカ・ホーランド
シザーハンズ』で有名なキャロライン・トンプソンが脚本を書いている。
なんといっても可愛らしかったのが美術。
ステュアート・クレイブさん、乙女心を分かっていらっしゃる。
大富豪のお話だから、お城とかお庭とか、重厚で素晴らしいです。

主人公のメアリー(ケイト・メイバリー)は、目が印象的で
演技も上手だった。
最初の演技、あのワガママ放題で冷たい少女から、どんどん人間らしく
変わっていく。
最初は、どうなることかと思ったけどね。

屋敷の主人の一人息子、コリン役の少年も嫌なヤツだった。
最後には、少しだけ改善されたけどね。
小さい頃から身分社会の真っ只中に置かれた子供は
みんな似たり寄ったりなんだろうね。
こんなに可愛らしい物語なのに、小さい事が目に付いて仕方ない。
こういう社会で起こったファンタジーだということを忘れられない。

使用人の弟、ディコンは可哀想な役どころだったなぁ。
身分社会では仕方ないけれど、監督はわざとそういう風に仕組んだにちがいない。
あんなに重要な役割を担った少年なのに、後半は全然からんでこないんだ。
メアリーと一瞬見つめあうシーンがある。
二人の淡い恋心を見て取った、主人のコリンは少し嫉妬する。
身分の違いがあるから、使用人は引き下がるしかない。
だから3人で遊んでいても主人の息子を「坊ちゃん」と呼び、
決して怒ったり、阻害されても気を悪くしたりしない。
それが当たり前だと、ディコン自身もよく分かっているから。
無言でこういう事をやんわりと表しているアニエスカ・ホーランド!すごい。

使用人頭のメドロック(マギー・スミス)の演技も良かった。
この人は今、ハリーポッターの、マグゴナガル先生役をやっている人だ。
使用人頭の価値観とか、苦悩とかがよく出ている演技。
熱があるかもしれない少年を、氷水の風呂に入れてしまう
教養のない使用人頭だけど、十分同情できる人物になっていた。

この映画、ファンタジーなので、優しい心で見るべきだ。
庭を再生させるために、少年少女は泥まみれにはならないし、
生命力の弱いバラも、何の苦労もなくスクスクと芽吹いていく。
人々の心が澄んでいくにつれ、ムーアの荒地にも春が訪れる。
画面はどんどん鮮やかになり、芝生も青々と茂る。
動物達は放し飼いで、子供達とたわむれるし、新しい命も生まれる。
花園は花が咲き乱れ、子供達はブランコで優雅に遊ぶ。

その日、嫌な事があっても、こういう映画を見て
気分をリフレッシュしていけたら、とても心安らかに暮らせると思う。
ファンタジーって、素晴らしい☆



奔馬 ~豊饒の海2~

2006年02月27日 01時15分25秒 | 
けっこう時間がかかりましたが読み終わりました。
またまた頭がぶっとびました!
三島由紀夫さんの作品を読むと、いつもこうです。
カコーンと頭を叩かれたようなかんじ。

「若者の純粋な行動を題材にしたシリーズ」と、紹介文のところに
書いてありますが、純粋さは極端すぎると偏るのですね。
読めば読むほどに、三島さんが自決された謎が深まるばかり。

というのも、彼は(小説の中ではの話ですが)終始一貫して、
冷静な眼差しでコレを書いていると思うのです。
確かに主人公の青年(飯沼勲)は右翼の過激な思想を持った青年ですが
第一巻から登場している本田繁邦は、それを良しとはしていません。
「その考えは間違っている。それは危険だ。身を滅ぼす。」
と、何度も注意しています。
それを書いた本人が、なぜに自決?

三島由紀夫さんと兄弟のように仲の良かった美輪明宏さんは、
「彼はきっと自分が老いて他人の世話になっていくのが嫌だったんでしょう」
と本に書いているのを読んだことがあります。
うぅぅん、ストイックな人って、すごい事するんですね。

この本の最後に解説が付いているんですが、その文末にガツンときたので
載せておこうと思います。
これには三島由紀夫さんが、なぜ自決に至ったか、
その考えが上手にまとめられていると思いました。

物語の中で、勲が起こした事件は幻とされ、処分を受けなかった。

「実社会の理論から言えば、これが勲に対するあたうる限り最大の処遇だろう。
けれど勲は、それでは救われない。橛起の計画は全てが幻だったことに、
人々はしてしまった。
「僕は幻のために生き、幻をめがけて行動し、幻によって罰せられたわけですね」
と、彼は釈放された夜、両親の前で吠えるように言う。

孤独な少年の生きる道は、世間が幻にしてしまった夢をもう一度実体化する
こと意外にあり得ないのである。現実の不確実性を誰もが知っているのに、
なぜ誰もがそれを信じている顔をしたがり、純粋な夢を嘲笑するのか。
勲の願いは昇る日輪のもとに、輝く海を前に死ぬことだった。

「正に刀を腹へ突き立てた瞬間、日輪は瞼の裏に赫奕と昇った」

『奔馬』のこの最終行は、あまりにも名高い。しかし主人公が志を果たして
海岸で切腹したのが深夜だったことは、とかく忘れられがちである。
太陽が昇る時刻ではない。それでも日輪は、赫奕と瞼の裏に昇っている。

勝利を収めたのは勲だった。夢こそが現実に先行するのであり、
実在とは身命を賭けた詩であると、作者はこの一行に託して言っているように
見えるのである。」

まさに、この物語のメッセージと同じ生涯を送られた三島さん。

私はこのような方向性を持っていないけれど、このメッセージには
とても共感している。
人生はこういう風でありたい。