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経済オタクが「食育」を嫌う理由

2006年03月05日 08時22分21秒 | 健康・食生活
 「食育」と言う言葉は私も嫌いなのですが、Letter from Yochomachiのご隠居さんも「食育」が嫌いみたいですね。色々とグダグダと書いているみたいです。
 もっとも、その理由は私とは異なりますけどね。(^^ゞ

老荘思想(老子・荘子)入門篇/第十三講 大道廃れて仁義あり
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Tachibana/8318/roushi_13.html
情報元:
老荘思想(老子・荘子)入門篇/実践タオイズム研究
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Tachibana/8318/top.html
大道廃(すた)れて仁義あり。智慧出(い)でて大偽(たいぎ)あり。六親和せずして孝慈あり。国家昏乱(こんらん)して貞臣(ていしん)あり。(老子18章)
 大道というのは、基本概念である「道」(TAO)というより、もう少し現実界に近い道のニュアンスで、具体的には道に沿った政治ということでしょう。そういうものが廃れてしまったから「仁」だの「義」だのということをことさら言わなければならない世の中になったのだ、と老子は言います。小ざかしい智慧が幅を利かせるようになって大嘘が横行するようになったと。親子親族が仲たがいをするようになり、孝行だの慈愛だのがもてはやされるようになった。国が混乱しているから忠臣というものも出てくるのであって、大きな道が守られ国が治まっていたなら、ことさら忠臣などなくても構わないわけです。
 基本的に老子の批判の矛先が儒家に向いていることは、確かですが、老子は「仁義」や「孝慈」の内容そのものを否定しているわけではありません。それは本来もっと自然な形でおのずと行なわれるものであることを強調したいわけです。


 と言うことで、「食育」と言う言葉をつくらざるを得なくなった世の中となったから、「食育」と言う言葉が必要になったわけですな。ゆえに、私は「食育」と言う言葉があまり好きではありません。
 「食育」と言う言葉が必要でない世の中に戻すことが大事なわけであり、そのための教育が「食育」であるのであれば、その価値はあるのですが、下手をすると「食育」が生業(なりわい)になってしまいかねませんからね。(´ヘ`;) う~ん・・・
 「食育」が生業になる世の中では「食育」と言う無駄な支出が増えるようになったと言うことで、またアクセク働いてその金を稼ぐ必要が生じます。
 馬鹿らしいったらありゃしない。(-_-;)

 経済オタクのご隠居さんが「食育」を嫌うのは、「食育」が必要な世の中が続いたほうが自分にとって都合が良いからの話です。
 味オンチで微妙な味わいのわからない者が増えれば増えるほど、農産物を輸入する貿易商人のお得意様である外食産業が儲かりますからね。(" ̄д ̄)けっ!
 無駄銭を使う世の中であればあるほど、経済オタク的な考え方しかできない政財界人の懐が肥えると言うことです。

 人から唾されるべき人間が、勝ち組気取りでブログまで書くような世の中になってしまったのですから、嫌な世の中になってしまったものです。(-_-)

 食育に関連することで、「いただきます」と言う言葉でブログでもお祭り騒ぎがあったようでございます。
 情報ソースである毎日新聞の記事がすでに消えてしまっておりますので、その件について書かれているブログを紹介いたします。

Kameno's Digital Photo Log 「いただきます」って言ってますか?
http://kameno.bne.jp/blog/archives/000344.html

 詳細はリンク先のブログを読んでいただくとして、次のような母親の発言が問題になったようです。

《ある小学校で母親が申し入れをしました。「給食の時間に、うちの子には『いただきます』と言わせないでほしい。給食費をちゃんと払っているんだから、言わなくていいではないか」と》

 d(- -;)この辺の発言に違和感を感じないのであれば、あなたもご隠居さんみたいな経済オタクの仲間入り。
 ちなみに、経済オタクの思想に毒された方は次のような発言を。

 一方、母親のような考え方は必ずしも珍しくないことを示す経験談もあった。「食堂で『いただきます』『ごちそうさま』と言ったら、隣のおばさんに『何で』と言われた。『作っている人に感謝している』と答えたら『お金を払っているのだから、店がお客に感謝すべきだ』と言われた」との内容だ。

 経済オタク的な思想の持ち主の方々は、金を払うほうが客だと考えている方が多いですが、金は受け取った物やサービスに対する対価でありますから、本来はフィフティー・フィフティーなのですよね。
 お互いに頭を下げあうのが当たり前じゃないでしょうか?
 金を払うほうが客だと考えている方は、自分が金を受け取る時には感謝して頭を下げているのでしょうか?

 感謝の気持ちは自分の受け取る物やサービスの過程を想像する能力が無ければ湧くものではありません。
 感謝の気持ちが湧かない人間には物やサービスの価値が解かるはずが無い。
 深く考える能力が無いから、金額だけしか物事の価値をはかる能力が無いのですな。

 「いただきます」と言う言葉には、自分の命をつなぐ糧である食べ物(生き物)の命にたいして感謝する言葉でもあります。
 その言葉の深さに気付けないような者が人の親になってしまうようでは、「食育」と言う言葉が必要となっても仕方ありませんね。

「いただきます」 「ごちそうさま」 「もったいない」 ・・・・・
 これらは、日本の良き習慣として、日本人の誇るべき言葉だと思います。
 欧米には、「いただきます」「ごちそうさま」に該当する習慣がありません。食卓についてから、何も言わずにいきなり食べ始めることも当たり前なのですが、しいて「いただきます」を訳せば

家族の食事では Let's eat!
招かれた食卓では Looks delicious. とか、Thank you for the meal. 

というように、食事に対するお礼や料理のほめ言葉となってしまいます。

同様に、「ごちそうさま」を言う習慣も欧米には無いですから、 I'm finished. とか I'm done. とか I'm full.・・・・ 料理を褒めるなら Everything was delicious. ・・・・

 味気ない表現だと思いませんか?
 このような考えが基礎にあると、お金を払っているから「いただきます」を言わなくても良いという考えに結びつくのでしょう。
 私は、このような考え方は人間の傲慢に過ぎないと思いますし、物を大切にする心も育まれないと思います。


 この件に関しては、次のブログにも書いてありました。
 アニメ好きな方はチェックです。(^_^;)

deblog - 「いただきます・ごちそうさま」こそ日本文化そのもの
http://d.hatena.ne.jp/TERRAZI/20060122/p1


 子供は親を見て育ちますから、本来は学校給食で「食育」を教えるより、その親に教育すべきなのですが、なかなか親を教育する機会をつくることは難しいので、学校給食で「家庭の味(お袋の味)」を教えることになってしまっているのですが、「下手に『家庭の味』などを教えてもらった日には自分がそれをつくらなければならなくなるから迷惑だ!」と、外食産業のような給食を要望する親もいるようです。

 ご隠居さんがそのような母親に同調している記事もありましたので、その辺の情報ソースはご隠居さんの記事をさがしてくださいませ。(^_^;)

 食育に関連する件で、次のような記事もあります。

ys :「学校給食の改善だけで非行をゼロにした小中学校 教育長が実践した“食育”とは」
http://blog.yoshiko-sakurai.jp/archives/2006/01/post_406.html
 直感は当たっていた。コンビニ弁当を多食していた子どもたちと、校内で問題を起こしていた子どもたちがほぼ一致したのだ。そこで、大塚氏は猛然と取り組んだ。学校給食の改善である。基本としてパン食を発芽玄米混じりの米食に切り替えた。育ち盛りの子どもたちのためにボリュームをいっぱいにし、栄養のバランスを考え、そしてなによりも、おいしくした。
 「地元の産物を活用したんです。コメも地元、野菜も卵も果物も地元の穫れたて。子どもたちの評判はよかったですねえ」と大塚氏は笑う。


 ご隠居さんが同調するような親に似た方々もこの件にもいらっしゃったようです。|・ω・)

それでも現場では抵抗があった。米食よりもパン食のほうが扱いが簡単だ。生徒の母親たちのなかにも、米食ベースの給食に反対の声があった。そこで、大塚氏らは親たちにも給食を開放した。親たちは昔ながらの家庭の味の給食に納得し、徐々に反対論はなくなった。荒れていた学校が健全な学びの場になった。

 教育長のこのような取り組みも評価したいところです。

教育長に就任すると、大塚氏は町の学校全体で同様の取り組みを始めた。給食は、五食とも米食。モリモリと食べさせ、学校の花壇には皆で花を植えた。土づくりから始まる本格的な取り組みによって、子どもたちは体を動かし植物を育てる、つまり、命を育むことを知った。

 頭でっかちな人間になりますと、とかく自分の手を汚して働くことを嫌がりがちです。
 頭だけで理解しようとしても、その想像力が子供たちには育っていませんので、実際に体験することが大事なのですな。

 父子家庭の弁当の問題をご隠居さんが書いていたが、子供が親の難儀している姿を見ていれば、見栄えの悪い弁当であれ子供たちは感謝して食べるでしょう。
 手抜きで見栄をはり、コンビニ弁当を買う金を与えるだけでは、子供はその金の価値しか考えない子供に育ってしまう。
 子育てを金で手抜きするから、子供たちも親に金しか求めなくなる。
 子供たちから、金を見る目で自分たちを評価されることを恥と思わないのだろうか?経済オタクの妄言に迷わされる方々は!

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
なるほど (toybox)
2006-03-06 22:17:31
> 「食育」と言う言葉をつくらざるを得なくなった世の中となったから、「食育」と言う言葉が必要になった



という考え方ありますね。

自分のブログでは「食育」について賛成する立場で書きましたが、親がちゃんと教えろというのは、ごもっともです。



戦中食べ物に困った親の世代であれば、それなりに教えている(うちもそうでしたが)と思うのですが、その後の世代がだめなんでしょうね…。

袋ラーメンつくってます? (空楽@携帯)
2006-03-08 23:22:08
>戦中食べ物に困った親の世代であれば、それなりに教えている(うちもそうでしたが)と思うのですが、その後の世代がだめなんでしょうね…。



 下手に手軽に外食ができる世の中になってきましたからねぇ。(^_^;)

 カップラーメンが出回れば、袋ラーメンを煮たことも無いガキもできるわけで、自分で袋ラーメン程度のメシもつくったことの無いガキが、親のメシのありがたみを感じることは難しいでしょうね。

給食と食育は両輪で。 (テンペ)
2006-03-11 21:06:36
全ての物を「金額」に換算しなければ「価値」を認められない、ということ自体が問題なわけですし。



簡単な料理(それこそ、袋ラーメンでも「そのまま」食べないレベルででも)が出来ないよりも出来た方がより豊かに生活をおくることができるんですから。
子供に金をかけるより... (空楽@携帯)
2006-03-12 14:18:03
 つくづく思うのですが、子供に金をかけるより、時間をかけることが大事だと思うのですよね。

 冷蔵庫の中のあまり物を煮込んだ袋ラーメンを子供に与えるのと、カップラーメンを与えるのでは、子供はどちらに親の愛情を感じれられるか?どちらを美味しいと感じるか?

 わざわざ言うまでも無いと思います。



 子供の教育のためと称して、教育産業に多大な出費をしている家庭も多いようですが、ガキの頃は自分で稼いでいませんから、金の価値もわかりません。

 ゆえに、多くの教育費を親が支払ったところで子供に感謝されることは無いと思います。



 世の教育ママの方々は自分のDNAに欠陥が無かったことを証明せんと、金だけ使って子供に教育を施そうとするが、時間をかけてお互いに学んでいくことこそが本当の教育だと思います。

 金だけの教育の押し付けに、子供が感じることは親のエゴだけです。

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