複製をいくら作っても人形制作の勉強にはならないと言われます。
まさにその通りだと思います。
だから、こうやって複製をいじっていると、密かに焦りも感じます。
もっとやるべき事があるんじゃないか?
もっと根本的に体型をかんがえるべきじゃないのか?
もっと根本的に顔を考えるべきじゃないのか?
コンテストに出品できるような芸術的な物を作るべきじゃないのか?
もう半年も体型作りはしていないが、全てを一からつくるエネルギーは残っているのか?
もし原型や型が無くなっても同じ物を作る蓄積は自分に刻まれているのか?
新たな物を考えるのが面倒だからこれに固執してごまかしているんじゃないのか?
どうして複製をはじめたのかと言うと、もっと数ミリ単位で関節や造形を考えたかったから・・・
ベースの問題点を数ミリ単位で的確に変更できるのが複製の良いところ。
前回の問題点を確実にクリアするためにはそれまでの工程が全く同じでなくてはならないわけです。
ただ、それは人形制作の勉強と言うよりは商品開発に近く・・・
人形作りをはじめたばかりの自分がそんな事をやるべき時期ではない事もわかっています。
もっと良い人形を作りたいという思いがいまは凄く狭い部分で動いている・・・
もっとひろく世界をみたらもっともっと近道はある。そうゆう事も、気付いてはいます。
遠回りしているのかもしれない。道草なのかもしれない。そう思うと非常に焦りを感じるのです。
しかし、微細かもしれないけど気付いている問題点をのこしたまま次に進む事ができない。
そうゆう地味な変人もいるわけです。
只今、首関節の調整中。
見た目は地味ですがけっこうな大工事をしています。
これは複製と呼べるのだろうか・・・・?
コメントかいて!!