フランク・ショーター(1947年10月31日生)という
アメリカの陸上競技マラソン選手がいた。
ショーターは、1973年・びわ湖毎日マラソンでトップを走っていた。
途中、沿道の応援する観客の小旗を数枚引きちぎって、コースを外れて側道に。
その後、コースに戻ってレース再開。
ショーターは、再びトップを奪い独走で優勝した。
そのレース中、コースを外れてからの一連を撮影したカメラマンから
フィルムを抜き取ったという逸話もある。
1986年、前座 昇八から、二つ目になるとき
柳昇師匠から、「笑橋」笑いの架け橋を「昇橋」に変えて薦められるも、
橋、昇ってどうすんだ!と、
便意に負けず、全うし、回り道をしてもトップをとった
マラソン選手ショーターに憧れて「昇太」になった。
師匠には逆らえないそうですが、
おかみさんの助言もあり無事「昇太」にたどり着いたそうです。
「昇太」の名前をもらった当時、有名でもないのに
電車の中で、よく「コラッ!ショータ」と怒られたそうです。
ショーター選手にあやかって子供に名前を付けた親が多かったんですね。
『「春風亭昇太独演会~オレスタイル~」での話』
来年のプロデュース公演、
楽しみにしてます。
旗もって、会場に駆けつけます。
アメリカの陸上競技マラソン選手がいた。
ショーターは、1973年・びわ湖毎日マラソンでトップを走っていた。
途中、沿道の応援する観客の小旗を数枚引きちぎって、コースを外れて側道に。
その後、コースに戻ってレース再開。
ショーターは、再びトップを奪い独走で優勝した。
そのレース中、コースを外れてからの一連を撮影したカメラマンから
フィルムを抜き取ったという逸話もある。
1986年、前座 昇八から、二つ目になるとき
柳昇師匠から、「笑橋」笑いの架け橋を「昇橋」に変えて薦められるも、
橋、昇ってどうすんだ!と、
便意に負けず、全うし、回り道をしてもトップをとった
マラソン選手ショーターに憧れて「昇太」になった。
師匠には逆らえないそうですが、
おかみさんの助言もあり無事「昇太」にたどり着いたそうです。
「昇太」の名前をもらった当時、有名でもないのに
電車の中で、よく「コラッ!ショータ」と怒られたそうです。
ショーター選手にあやかって子供に名前を付けた親が多かったんですね。
『「春風亭昇太独演会~オレスタイル~」での話』
来年のプロデュース公演、
楽しみにしてます。
旗もって、会場に駆けつけます。