碧き地平線の記憶

この小さき世界の中で

大規模災害派遣の終結命令=自衛隊の震災。 これでも「暴力装置」というのか!

2011-09-01 20:28:47 | Weblog
●北沢俊美防衛相は31日、東日本大震災を受けて自衛隊を展開させた「大規模震災災害派遣」について、同日付で終結を命じた。原発付近の住民の一時帰宅に備えた除染支援などは続けるという。
 被災地が広範囲に及んだため、同相は3月14日に大規模震災と位置付け同派遣を命令。これまでに陸海空自衛隊の延べ約1063万人を派遣し、1万9300人を救助。給食支援は約500万食、入浴支援は約109万人に上った。

 「自衛隊は、暴力装置、」仙石(当時)官房長官。これでも、「暴力装置」と言うのか!



●「一体どこから来るのか、自衛隊員の半端ではない使命感」

2011.03.22(Tue) 桜林 美佐 (JPPRESS)

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~「自分が行きます!」~

全ての隊員が口を揃えた。福島第一原発に放水をするため、陸上自衛隊のヘリコプター「CH-47」が出動することになった時のことだ。

「任せろ、これくらい大したことはないさ」「今、無理しなくてどうする」

被曝覚悟の作戦にもかかわらず、そんな声があちこちから聞こえてくる。

同原発では、3月14日に3号機で放水作業中に水素爆発が起き、4名のけが人も出た。その中には、中央特殊武器防護隊長もいた。事故に遭った隊員は後送されるのが通常だが、隊長は下がることを強く拒んだという。

「あの、温和なアイツがそんなことを・・・」

同期の幹部自衛官が絶句した。とても、そんな無理をするタイプに見えなかったが、何が彼にそう言わせたのだろうか。

~車座になって涙を流す隊員たち~

原発への放水作業だけではない、被災現場での救援でも厳しい状況は同様だ。氷点下の気温の中で作業を続けるが、燃料を使うわけにはいかないと、暖をとることもない。持っていた隊員用の携帯糧食を、迷うことなく被災者に渡す隊員ばかりだという。

空腹の中で作業を終え、ドロドロになった戦闘服を脱ぎ、翌日、またその同じ服を着て出ていく。それは「昨日の記憶を背負いながら行く」ことでもある。

目を瞑ると、目の当たりにした遺体の残像が浮かんでくる。それは阪神・淡路大震災の時も同じだった。

当時、若かった隊員が、現在は曹長などリーダーになっており、その経験からか、誰が命令したわけでもなく、夜は5~6人の作業部隊が車座になるのだという。

つらかった光景、ひどく悲しかったことなど、黙々と作業をし続けたその日の全てのことを声を出して吐き出し、そして泣く。やがて、明日も任務を精一杯やろうと誓い合って、一日を終えるのである。

東北の隊員は、全国から派遣されている部隊を気遣い、申し訳ないという気持ちと、自分たちは、一層頑張らねばならないという思いがある。しかし、彼らは被災者でもある。家族や肉親を失っていたり、今なお、愛する人が行方不明となっている隊員も多い。

遺体を発見した時に「自分の家族では」という思いが頭をよぎっても、任務に私情は挟めない。

~「今、行かなければ一生、後悔する」~

救援活動の中心となる隊員は、19歳から25歳くらいの若者ばかりである。中には地元で知られる「ワル」だったり、不良グループのリーダーをしていたような隊員もいる。それを40~50代の、いわば「オヤジ」たちベテランが支えている。

「人生経験も未熟で感受性豊かな世代が、人の生き死にを目の前にして、まして肉親の所在も分からないままなのに、感情を抑え続けて、心が折れないはずがありません。彼らは制服を脱げば普通の若者です。気持ちを打ち明ける時間をつくることは、大事なんです」

収容した全ての遺体に手を合わせ、遺体安置所まで運ぶことが自衛隊の任務だ。彼らは安置所に入り、自分の家族を探すことはできない。入り口で、運び込んだ遺体の冥福を祈り、また現場に戻っていく。

また、多くの隊員が妻や子を残して出動している。残された家族はさぞかし心細いだろうが、「この国難に弱音は吐けない」と、気丈に家を守っている。

自衛官の死亡・行方不明者は計3名。空自・松島基地の隊員1名が死亡し、陸自・多賀城駐屯地(第22普通科連隊)所属の陸曹の死亡が確認された。

行方不明の隊員もいる。最後まで避難誘導し、津波に飲み込まれるのを住民が見ている。

仲間や家族の死に直面しても、今日も活動は続いている。すでに生存可能な時期を過ぎ、遺体を安置所に運ぶことが続くが、担架なども不足しているため、おぶって運んでいるという。

予備自衛官も投入されることになった。「今、行かなければ一生、後悔する」と言う息子に、母親は「家のことは私たちがなんとかするから」と言って送り出したという話も聞いた。

阪神・淡路大震災を経験した自衛官は言う。「日頃、いろいろと問題を起こすヤツもいますが、国難にあたってはすさまじい使命感でやっています。かつて、この国を守るために特攻隊で散華したのも若者たちでしたが、今、被災地で活動している彼らに重なります。彼らと同じ制服を着ていることを誇りに思います」

~初めて敬語でメールを送ってきた娘~

地震発生以来、東京・市ヶ谷の防衛省では、陸海空の自衛官が戦闘服姿になり、臨戦態勢でそれぞれの任務に当たっている。多くが一度も帰宅していない。

労をねぎらうと「現場はもっと大変ですから」と言い、すぐにでも現場に行き、共に活動したいと口を揃える。

19階建ての庁舎では、節電のために皆さんが階段を上り下りする姿が目立つ。慌しくすれ違った叩き上げのベテラン自衛官が、ふと立ち止まり、振り返って言った。

「そういえば、娘から初めて敬語でメールが来ましたよ」とちょっと恥ずかしそうに言った。

その内容は、「日本に生まれ、自衛官の娘に生まれて良かったです。お父さんを誇りに思います」とのことであった。

「明日から、現場に行ってきますよ」。そう言って、すぐに階段を駆け上がっていった。

復興に向けて、自衛隊の戦いはまだまだ続く。(転載おわり)

●今回の、新内閣の組閣で人事が発表されているが、何も変わらない。
日本国民の為に政治?を進めて行く議員は、誰もいない。
自衛隊を「暴力装置」と、当たり前に言い放った、当時の官房長官の仙石などが
また入閣するような新内閣に、日本を任せられるわけが無い。
有事や災害や、テロから現実に国民を守ってくれるのは、「自衛隊」だけだ。
国会議員ではない。
昔から思っているが、日本を本当に株式会社にしたらいい。
現に、海外から「日本株式会社」と、言われていた時期があった。
国民、一人、一人が株主になって、日本国を経営していけばいい。

もう、私利私欲のみの議員、日本を売る、政党は、いらない。