碧き地平線の記憶

この小さき世界の中で

カンボジアの人々から・・・泣けてくる。

2011-04-16 22:05:13 | Weblog
<東日本大震災>カンボジア・地雷原の村から義援金とお守り
毎日新聞 4月16日(土)15時0分配信

 カンボジアの地雷原の村から義援金が届いた--。内戦による多くの地雷が残るカンボジアで、綿の栽培や加工によって細々と暮らす人たちから、東日本大震災の被災地への義援金とお守りが届いた。彼らの綿製品作りを支援する日本のNPO法人は「額は少ないかもしれないが、貧しい彼らにとっては大変なお金。苦しい中、日本のことを思ってくれる気持ちに感激した。彼らの思いを被災地に届けたい」と話す。

 義援金を寄せたのは、カンボジアの北西に位置する地雷原の村やプノンペン近郊で、綿を有機栽培し、ストールなどに加工している人たち。多くは、地雷被害で足などを失い、経済的に困窮していた。日本のNPO法人「地雷原を綿畑に!」が09年ごろから彼らを支援、綿製品作りを通じ、徐々に収入が得られるようになっていた。

 義援金は、綿製品作りにかかわる約30人の工賃や染め賃1カ月分など計8万円。カンボジアの貧しい地域の1家族の年収約7万円を超える額だ。プノンペン近郊に住む女性たちは、近くの寺院に通って被災地の人々への祈りをささげているという。地雷原の村に住む人からは「今回の地震と津波で、日本の多くの方が亡くなり、被災されたことに、地雷被害者メンバーはショックと悲しみに包まれています。どうか私たちに、皆様の苦しみを分かち合わせてください」とのメッセージも届いた。

 NPO法人の石井麻木代表は「日本からの支援を受けていた人たちが、逆に支援を申し出てくれた。彼らが深く考えた末の思いやりと考え、義援金を受け取ることにした。彼らのことを誇りに思う」と話す。

幾たびの、戦火に苦しめられてきた、カンボジアの人達。
その人達から、自分達の生活費を取り崩して、送られてきた、お金と心・・・
・・・泣けてくる。
東電などの、一時金などとは、重みが全く違う。
この惨禍を、きっかけに、今こそ、敗戦の鎖を断ち切り、
日本は、アジアの人々と、助け合って、共に生きて行くべきだ。