後ろ歩きの不思議おじさん

あっちこっちにポケットを一杯もった不思議なおじさんの特技は後ろ向き歩き。その右往左往振りは滑稽で、ちょっぴりもの悲しい。

東日本大震災から11か月 その3

2012年03月01日 | Weblog

気仙沼港の岸壁
11カ月経ってもまだこの有様
船は大島に通うフェリー 乗船時間は20分程度

これが気仙沼の大島の港
遠くの丘が僅かに括れているが
津波はここを乗り越えて向こうからやってきた
大島はこの場所を含めて2か所で津波に分断された
「島が3つに割れた」との昔の大地震の言い伝えが正しいことが証明された
大島には3000人ほどが暮らし、国民休暇村がある
海水浴場の透明度の高さは本州随一(沖縄が一番)とのこと

気仙沼から分断され完全に孤立してしまったようだ
さらに火事で観光地のロープウェイが焼けた(TVで紹介されたのを見たことがある)
どこからの助けがない中で、自主的な被災組織が作られた
その中心的存在の白幡氏(災害対策本部長)のお話を聞いた

この方のお話が止まらない
延々と続くのである
目の前にはおいしそうな夕食
乾杯を待つためのビールがあるのだが…

30分ほど経っただろうか ついに例の本の著者の一人が
「食事を食べながら…」と割って入られた
というわけでようやく食事が始まったわけである
白幡氏はその日京都で講演されていたのに
我々のためにわざわざ帰郷いただいていた
ご飯が少しお預けになることぐらい我慢しなければならない

このような大災害は
普段の生活、社会の仕組みの奥にあるものを
一挙に前に引きずり出す
復興を語ることは、すなわち以前の暮らしの見直しであり
欠けていたものを探り当て、何を引き継ぐのかを見定める作業だ

気仙沼大島には、数年後に橋が架かる
島の暮らし、経済、人の結びつきを激しく変容させるだろう
だからこそ、復興の在り方が問われている

白幡氏の熱い話が止まらないのは当然である

ちなみに、不思議おじさんの知人が
大阪の高校生を連れて何度もボランティアに来ていた
遠いところで縁はつながっている


気仙沼港にある「港町ブルース」の立派な歌碑
きれいに清掃され磨かれている
右の空に突き出ているスクリューの羽は
無残にも折れ曲がったままである
一帯は1メートル近く地盤沈下している
港のターミナルビルの一階は完全に壊れているが
なんと2階、3階の駐車場はそのまま使われていた


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