感じたことを、そのまま書いてみる&メモ帳

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本物のお母さんのおっぱい近い哺乳瓶を作りたい!仲田祐一

2011年04月19日 | 熱意が奇跡を生む
もはや戦後ではない昭和29年、日本は特需ブームに沸き、高度経済成長という新しい時代を迎えようとしていました。女性も社会に進出し、出生率も増え女性の生き方も変化を遂げている時代でした。
そんな中、赤ちゃんたちの笑顔を求め、哺乳瓶作りにば一心不乱になった男が1人・・・ピジョン哺乳器本舗社長仲田祐一。
「お母さんのおっぱいに限りなく近い哺乳瓶を作りたい。その熱意から1000人近くものおっぱいを吸って開発に取り組んだ男の汗と涙の物語がありました。

ある暑い夏の日。山田薬局からなにやら数を数える声が・・・
返品と書かれた段ボール箱の中に投げ込まれてゆく哺乳瓶たち。悲しげな顔でその様子を見つめる仲田祐一の姿がそこにありました。
「やっぱり赤ちゃんは、お母さんのおっぱいで育てるのが一番でしょ」
薬局の店主・山田のいうことは、確かにあたっていました。当時の哺乳瓶は開発が遅れ、品質も粗悪なゴム素材。まだまだ母乳で育てるのが一般的な時代だったのです。

がっくりと肩を落として会社に帰ってきた仲田。「何とか赤ちゃんの気持ちになって、哺乳瓶がつくれないものか・・・」

その時、仲田が思いついたのは、赤ちゃんの気持ちに近づくなら、自分も赤ちゃんの気持ちになって本物のおっぱいを吸ってみるしかない」ということ。仲田は道行く女性に声をかけ始めました。

「すみません、あなたのおっぱいを吸わせてもらいませんか」

しかし、そうは簡単に行きません。断られ続けた仲田は、仕方なく断念。気分転換に飲み屋へ出かけていきました。
そして、この飲み屋にこそ、運命の出会いが待ち受けていたのです。

隣に座ったホステス・英子としばらくやりとりをするうち、彼女に生まれて間もない赤ちゃんがいることが判明しました。
哺乳瓶を使っているが、うまく飲んでくれなくて困っているというのです。
「あなたおっぱいを吸わせていただけませんか」一瞬の沈黙。
思い切ってうちあける仲田に、英子は戸惑いながらも、承諾してくれたのです。

こうして仲田の実地研究、”おっぱい行脚”が始まりました。
夏の日も冬の日も、仲田は子供もいそうな女性に声をかけ、研究を続けること6年。何とその対象者は1000人近くにも上っていたというます。
たとえ社員に白い目で見られようと、ひたすらおっぱい行脚を続け、新しい乳首の開発に情熱を燃やした仲田。今日では科学的に解明されていますが、当時はまだ知られていなかった、赤ちゃんのミルクを飲む時の舌の動き蠕動様運動にも注目し、開発のヒントにしたのでした。
そしてついに新素材イソプレインを使った、極めて本物に近い質感の乳首を開発することに成功また。
いつしか社員たちも仲田の情熱につき動かされ、ともに新製品を広めようと尽力しました。

しかし、なかなか売上には結びつかず、再びうなだれる仲田。
と、そのときです。仲田のもとに朗報が舞い込みます。日本赤十字病院の医師が、仲田の新しく開発した哺乳瓶を公認してるくれるというのです。
こうして仲田の哺乳瓶への熱意は実を結び、その他多くの病院にも認められるようになったのです。
さらに、こんにちは赤ちゃんの大ヒット受けて始まったベビーブームの中、ピジョンは国内の哺乳瓶シェア70%を占める程の企業へと成長しました。
そして、最近ではより本物のおっぱいに近づいた哺乳瓶「母乳実感」を発表。”赤ちゃんに幸せを”という中との精神は、今も受け継がれているのです。


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