たるたま (足玉)

たるたま施術 & たるたま ひろば
水晶とともに

施術について 

たるたま(足玉)足で身体と対話します。 クリスタルインテグレーションⓇで周波数を整えながら行います。 必要に応じて麻炭香炉による温熱療法 シンギングボウルトリートメント を取り入れ魂と心身体を整えていきます。 1回 15000円  自宅サロン (富里市七栄) 施術者 近藤 琴美 chakura_kk@yahoo.co.jp 09034063469

楽健法として最後の投稿です。

2022-11-08 12:23:01 | 楽健法

私が今伝えさせていただいている、足玉たるたまの基本は

楽健法からきています。

色々あって 2015年12月に楽健法からは卒業しましたが

その前の 2008年から2015年12月まで 毎月一回の

奈良県東光寺のセラピスト講座に通い続けました。

なぜ、こんなことを久しぶりのブログに書いているかというと

楽健法の創始者 山内宥厳先生が 9月の終わりに亡くなられたからです。

記憶が薄くなる前にここに示すのが 楽健法の最後のけじめと思った次第です。

なので、楽しくも何にもならない文章になると思います。

なぜ、そこまで楽健法にはまったのか。

まず最初のきっかけは 手の親指が全く反らないことがきっかけでした。

タイ式マッサージを習いにタイに行ったときに、そこの先生に

君の指では難しいかもwww 手壊しちゃうかもねwww と第一声。

えーーー タイまで来てますけどーーーーwww

まー仕事にするつもりもなかったし、ただの観光旅行よりは楽しそうと長期滞在の目的でも

あったのでそのまま指はおいておいて 勉強はさせていただきました。

その後帰国して、手がダメならば足だーーーーと

検索しまくりたどり着いたのが 楽健法 でした。

奇しくも

宥厳先生は、亡くなった父と 同い年で

父のお寺は真言宗で、先生は、真言宗の阿闍梨さまで

父はパン屋をしていましたが、なんと、楽健寺天然酵母と🍞パンまで焼いている。

これはもう、ここに行くしかないとwww

最初の問い合わせで、卒業しなくてもいいですか?と聞きました。

なぜなら、楽健法を兎に角身につけたかっただけで

お免状など全く興味もなく、ましてやこれが生業になるとも

考えていませんでしたから。。。。

2007年 東京の水道橋教室からスタートして

最初は初伝コースに通いましたが、その当時のお世話係をしていたSさんが

中伝コースは宥厳先生がいらしてるから、初伝まだでもそちらも同時に

差額を支払えば受講できますよと 行ってくださり、

そこからは 月二 水道橋教室に通い始めました。

その時に、見た宥厳先生の立ち姿、無駄のない効果的な動きを

どうしてもどうにかして身に着けたいと

心の底から思いました。

そして先生にお尋ねしました。

どうしたら、先生のようにできますか???と

先生は1000人踏んだら わかるかもしれないね と答えてくれました。

そして、私は1000人踏むためにはどうしたらいいのか?

どうしたら先生に近づくことができるか?

そこから、奈良の楽健法本部で開催されているセラピスト講座に

通うことに決め 2008年から 通い始めました。

そこでは二人一組になり練習をする上

宥厳先生も幸子先生も入るので、先生方の姿を見ることも

踏んでもらうこともできるすごすぎる講座なわけです。

そして、私は宥厳先生がどうやるかを、画像を焼き付けようと

必死に見続けました。

楽健法は 生き方。

食は天然酵母のパンと 身体を整える楽健法の二本柱。

講座では 幸子先生が野菜だけの美味しい料理をいつも作ってくれ

御餅つきをしたりもよくしました。

セラピスト講座の時は、パン工房にも朝の3時から

お邪魔させていただき続けました。

いつもは お二人でやってるのだなぁと

最初のころは お二人の邪魔にならないように立ってみているだけで

そのうち、洗い物をさせていただけるようになって、

粉をふるわせていただけ、生地を触らせていただけるように

なっていきました。

私の手は、熱いものがほんとにダメで窯入れ窯出しはほんとに

苦手でしたがwww

幸子先生の口癖は、手伝いなどいらん。 でしたから、

毎月、勉強させていただけますか と電話で確認していたことも

今では懐かしい。。。

私の通っていたころは

お二人ともお元気で一番いい時期だったのだなと

改めて 先生方が逝ってしまったことで思うこの一か月でした。

ひたすら通ったおかげで

初伝のお免状

中伝のお免状

奥伝のお免状

そして、師範まで 複数枚 売るほどwwwあります。

けれどお免状なんて紙切れなど

全く欲しかったわけでなくて

私はそんなもののために 奈良に通ったのではなくて

ただただ、宥厳先生のように楽健法ができるようになりたかったでけの日々だった。

2015年のちょうど今頃

楽健法の講座自体からは、離れなければならなくなりました。

それまでの8年、楽健法だけを中心に生活をしてきた私は

茫然としつつも、そこから色々な人と出会い、

水晶に出会い、石について学び、石への揺るぎない信頼を手に入れ、

楽健法と石を 組み合わせた独自の方法を確立しました。

それが、足玉たるたまです。

今年の9月、

ちょうど剛さんの平安神宮のライブの時に

宥厳先生からメッセージがきて

死ぬ前に会いに来てほしいと。。。

京都にいたし、次の日は奈良に行って友達と会う予定だったので

会いに行って、施術を二度ほどさせていただきました。

次の日、台風のため、移動できずにいたところ

また先生から連絡がきたので、もう一度施術させていただきました。

今となっては、最後に二人の時間をいただくことができてよかった。

そのあと、先生はあっという間に逝ってしまわれた。

最後にお会いできてよかったんだろうとは思う。

けれど、それがよかったねなんて

一言では片づけられない感情に飲み込まれているなwww。

けれど、宥厳先生は逝ってしまわれて

残ったのは私がひたすら願った技術とパン酵母。

そして、興味深い数々の知識や本。

すこしでも、本当の先生の技術がきちんと伝えられるように

そして、宥厳先生はいつもここをすればすべて解決できる簡単方法を

さがしてるんだよと言っていらした。

最後の数年、一緒にいることはかなわなかったけれど、

その心も忘れずに、生きていくしか仕方ない。

そして、先生が見つけられなかった方法を

見つけることができたらなと思う。