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映画 みんな!エスパーだよ! 【感想】

2015-09-16 08:00:00 | 映画


今年、公開ラッシュを迎えている園子温映画の4本目。いい加減、シリアス路線に戻ってくれないかと思いながら観たが、思いのほかツボにハマった。原作は未読。テレビドラマは全話視聴済みだが、ドラマ版より断然面白い。テレビドラマの拡大版に過ぎない映画が多い中、映画化すべき意義を感じさせる仕上がりだ。くだらなさが一周半回って感慨深い。「低俗」「おバカ」と足蹴にされるのが勿体ない。但し、本作においては女性側の共感が得られないこと必至だろう。

映画の中身は、テレビドラマ版のリブートに近い。物語の始発から映画用に撮りなおし、その後の展開として新たなオリジナルストーリーを加えている。
愛知県にある 、三河弁の激しい田舎町に住む男子高校生「鴨川嘉郎」が、ある晩を境に超能力(エスパー)に目覚めるという話だ。嘉郎だけでなく、その田舎町一帯で、童貞あるいは処女限定で、特定の夜に自慰行為をしていた人たちが「みんなエスパー」になってしまう。何ともむちゃくちゃな設定だ。ドラマ版同様、超能力の存在は展開のフックに過ぎず、青少年たちに向けたエロスをいかに作り出すかに終始している。しかし、その中でもドラマ版と映画版では大きくエスパーの扱いが異なる。ドラマ版では、一応「僕が世界を救うんだ」という嘉郎のヒロイズムが、宇宙からの侵略者の登場により実現される形だが、映画版はエスパーとヒロイズムが断絶され、何のためのエスパーなのか全くわからない。

あらすじをきちんと説明できないほどカオスだ。「人類エロ化計画」「人類滅亡計画」といった、嘉郎たちの前に立ちはだかる危機について論理が破綻しているので、あらすじを結び付けて理解できない。きっかけを作るのは、嘉郎たちの高校に新任教師として現れるポルナレフ愛子だ(ネーミングに吹き出すW)。「みんな、もっといやらしくなりましょう♪」と高らかに宣言し、あれよあれよと田舎町にエロが充満する。女子はビキニか下着で町中を闊歩し、風営法撤廃、ラブホテル無料化などのデモを起こしている。男子が通れば女子が群がる。その中にはオバサンはいない。スクリーンは若くて可愛いピチピチの女子たちで埋め尽くされる。

すべてが男子目線のエロだ。結論は容易で、男子たちの妄想世界を描くことが本作の最大の意義なのだ。「女子はみんなスケベであってほしい」、それは男子の強い願望だ。女子からすれば見当違いも甚だしく、男子にとって都合の良いだけの本作は、アダルトビデオにも繋がるプロットであり、女子が見て嫌悪感を抱いても何ら不思議ではない。しかし、園子温はまったく気にせず我が道を行く。

「直下型勃起」とは言い得て妙だ。エロの洪水がダイレクトに男子たちの下半身を襲う。ドラマでは風が吹いて見える古典的なパンチラが、映画版ではミニスカをベースに、どうしても見えてしまうパンチラにレベルアップしている。ひたすらいやらしい。また、園子温はおっぱいが好きだ、そして男子もみんなおっぱいが好きだ。だから巨乳が好まれる。筋金入りのおっぱい星人たちが選びそうなグラドルを惜しみなくはべらせ、目の保養を超え、際どい水着、あるいは下着から覗かせる豊かな山脈のアップをこれでもかと連打する。

30を過ぎた自分にとっては興奮よりも恥ずかしさだ。「いったい自分は今、大スクリーンで何を観ているのだろう・・・」と何度も反芻し、笑いを通り越し、恥ずかしさのあまり何度も目を伏せる。そしてふと想う、この映像を観てシンプルにエレクトできるのが青少年のパワーといえるのではないかと。。。

しかし、いつからだろうか。青年誌のグラビアは巨乳グラビアアイドルから、露出で勝負しないAKB女子たちにとっ取って代わられている。現代の青少年たちはあれを観て欲情するのだろうか。ナイスバディな女子たちの肉体を愛でることで欲情する、これが青少年たちにとって健全なエロではないかと考え、園子温の想いもそこにあるのではないかと勝手に考えたりする。もしくは逆に、情報が無尽蔵に溢れる現代では、オカズの収集は容易であるばかりに、そもそもグラビアなどはオカズになり得ないのかもしれない。自分が中高生の時は、ギルガメなどの際どい深夜番組をいかに親に隠れて観るか、ドキドキしたものだけれど。

「好きな女子と結ばれるまでに、いろんな女の子を想像してオナニーをいっぱいしてやる!」と、ポルナレフ愛子に叫んだ嘉郎のシーンは、男女の恋愛における精神性の違いを決定づけた。とりわけ青少年男子は、純愛と勃起が矛盾しながらも繋がってしまう生き物だ 。男子の感情の拠り所は、脳内ではなく下半身にある。こうした悲しい事象は紛れもなく男子たちの青春の側面といえる。そんなことを考えていたら、女子への妄想に支配された時代を思い返し、ノスタルジーに軽く浸ってしまった。嘉郎の勃起越しに見える風景が実に秀逸に映る(笑)。

本作を彩った女優陣たちについては、演技がどうこうではなく、その体の張りっぷりを称えるべきだろう。嘉郎の幼なじみであるヒロインは、ドラマ版の夏帆から、映画版ではモデルの池田エライザにスイッチ。「夏帆のパンチラ」という意外性が牽引したドラマ版とは異なり、大スクリーンに映えるグラマラスボディを有するヒロインに変わった。やはり迫力が違う。パーツパーツはボリューミーなのに、手足は長く、そのシルエットは豊かな曲線を描いている。夏帆であれば事務所的にNGな露出シーンも惜しみなく披露し、男子たちの勃起を誘発する。このキャスティングは成功だ。
現役グラビアアイドルの清水あいりのエロエロな声色や、篠崎愛の反則級の可愛さも特筆すべき点だ。
そんな中、演技力が一際目立つのが、ポルナレフ愛子演じた高橋メアリージュンである。本作のお目当てでもあった彼女であったが、演技のセンスがあるなーと改めて実感する。彼女を本作のキーマンとして位置づけた園子温はさすがである。

前作「リアル鬼ごっこ」では園子温の性癖にただ付き合わされ疲労感があったが、本作ではそのエロスに十分な意味を感じた。嘉郎の胎児にまで遡るシークエンスはあまり理解できなかったものの、園子温でしか描けない世界観と、しつこいほどのスケベな映像の波に圧倒された。「愛は世界を救う」ではなく「勃起は世界を救う」ってか。「くだらない」は本作の褒め言葉だ。

【65点】
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