らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

堺市内散策(その6)ニサンザイ古墳

2014-02-01 | 地元紹介

堺市内散策の最後は「ニサンザイ古墳」をご紹介します。

「ニサンザイ古墳」
ニサンザイ古墳は百舌鳥古墳群の南東端にある前方部を西に向けた大型前方後円墳で、墳丘の規模は全長約290m、後円部径約156m、高さ約24.6m、前方部幅約224m、高さ約25.9mと全国で8番目の大きさです。

3段に築かれた墳丘はくびれ部の両側には造出しがあり、主体部の構造や副葬品は不明ですが、葺石と埴輪のあることが確認されているそうです。
現在は一重の盾形周濠がめぐっていますが、昭和51年(1976年)に周囲の発掘調査で外濠のあることがわかっています。

・ニサンザイ古墳です(パンフレットより)


ニサンザイ古墳は前方部が広くどっしりと安定感のある古墳で、反正天皇陵古墳(田出井山古墳)のほぼ4倍の大きさです。
また建造時期もほぼ同じことから、これを反正天皇陵と考えている説もあるようです。

ニサンザイは陵(みささぎ)が語源と考えられているそうです。
前方部が大きく広がったその姿は古墳群の中で最も精美といわれ、百舌鳥古墳群の中で最も新しい、5世紀後半から末頃に造られたとされる古墳だそうです。

・上記画像の前方部右上側から撮影した古墳です。周濠が広く、まるで大きな池の中の島のような感じの古墳でした。


「百舌鳥古墳群」 
今から1,700年程前の西暦3世紀から7世紀までの約400年間、大王や王(豪族)が亡くなると、土と石を使って高く盛った大きな墓を造りましたが、この墓が古墳と呼ばれ、全国に20万基以上あるといわれています。
堺市のやや北部に位置する百舌鳥古墳群は、日本を代表する古墳群で、かつては100基以上あったといわれます。
現在は47基が残っており、主な古墳は、大仙公園を挟んで、日本最大の前方後円墳である仁徳天皇陵古墳と履中天皇陵古墳、そして、東側に、いたすけ古墳、御廟山古墳、ニサンザイ古墳、北側に反正天皇陵古墳があります。

今回の散策では反正天皇陵古墳、仁徳天皇陵古墳、大仙公園、ニサンザイ古墳を巡りましたが、機会があれば、残る古墳も巡ってみたいと思っているところです。

コメント (3)
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