らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

「小満」と麦

2010-05-21 | 雑学

今日21日は二十四節気の一つ「小満(しょうまん)」です。
「小満」とは、「陽気がよくなり、草木などの生物が次第に生長して生い茂る」の意味で、暦便覧にも「万物盈満(えいまん:物事が十分に満ち足りる)すれば草木枝葉茂る」とあります。
麦畑がでは、秋に植えた麦が緑黄色に色づき始める頃です。
そこで今日は「小満」と「麦」について調べました。

・菜園仲間が貸し農園に植えている小麦です。


「小満」の名称については次のように言われています。
田畑を耕して生活の糧としていた時代には、農作物の収穫の有無は生死にかかわる問題でした。
そのため、麦などに穂がつくと「今のところは順調だ。よかった!」と満足したことから「小満」と言う名前がついたと言われています。

現在、大阪など日本の都市部では、麦畑を見る機会は殆どなく、麦そのものを見たことのない人が多いのではないでしょうか?
そこで、家庭菜園の仲間が趣味で少しだけ植えている小麦の写真をご紹介します。

・色づき始めた麦の穂です。


小麦はパンなどの原料となっており、世界の年間生産量は5億7000万トンと言われています。
主な生産国は中国、インド、ロシア、アメリカで世界の生産量の約半分を占めているそうです。
日本の生産量は年間60万トンで、その内、北海道が35万トンの生産量を占めています。
また、日本の年間輸入量は600万トンで年間消費の9割以上を輸入に頼っているのが現状です。

・「麦の穂」はこのような形をしています。


麦は米、トウモロコシと共に世界三大穀物の一つとされています。
我が国では、縄文時代には既に栽培されていたといわれており、室町時代には、下層の人々の主食だったそうです。
このようなことから「麦飯は貧乏人の食べるもの」というイメージが出来上がったようです。

・色づく前の麦の穂です。鮮やかな緑色をしています。


食糧事情の厳しかった戦後の日本は、麦は米と並んで主食であり、生産量も米100に対して、小麦95、大麦85となっていました。
昭和25年には、後に、総理大臣となる池田勇人大蔵大臣が国会答弁で「貧乏人は麦を食え」と言って物議を醸したことがありました。
現在では、裕福な人達の中には麦ご飯を健康食として見直す人もいるようです。

・趣味で栽培しているこの麦は生け花などに使用するようです。


(参考)
池田大蔵大臣の「貧乏人は麦を食え」の国会答弁は、マスコミの報道だったそうで、実際の答弁は次のようです。
 「ご承知の通りに戦争前は、米100に対しまして麦は64%くらいであります。それが今は米100に対して小麦は95、大麦は85と言うことになっております。
 そうして日本の国民全体の、上から下と言っては何でございますが、大所得者も小所得者も同じような米麦の比率でやっております。
 これは完全な統制であります。
 私は所得に応じて、所得の少ない人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則に副った方へ持っていきたいというのが、私の念願であり
 ます。」 (昭和25年(1950年)12月7日、大蔵大臣 池田勇人の答弁)




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