そもそも論者の放言

ミもフタもない世間話とメモランダム

国家は主体ではない

2009-09-10 23:40:26 | Economics

本日付け日経新聞朝刊「大機小機」はなかなかの名文だったので、以下引用。
筆者は「カトー」氏。

民主党政権の目玉のひとつは国家戦略局構想である。そこで追及されるべき国家戦略とは何か。
戦略とはもともとは軍事用語である。それが転じて経営その他に用いられ、今では「主要かつ全体にかかわる目標を達成するための行動計画ないしは政策」として使われている。
ここで間違えてはいけないのは、国家は軍隊や企業とは異なるということだ。政府が命令をすれば何でも思い通りにいくわけではない。国家を軍隊あるいは企業のように運営しようとした苦い歴史を忘れてはならない。

<中略>

なお、城山三郎「官僚たちの夏」のリバイバルにみられるように、日本では産業政策への郷愁が強い。企業競争力戦略を産業政策と同一視する論者もいる。だが、産業政策はありていに言えば「えこひいき」政策だから、まずは特定の利益を優先する。その後全体の利益につながる可能性がゼロではないとしても、少なくとも日本の産業政策が成功したという実証的証拠はほとんどないのが実情だ。

世論調査で「政府に期待すること」との問いに「景気回復」との答えが多いことに、いつもどこか違和感を覚えます。
政府ができるのは景気を回復させるための前提条件を整えることだけであり、景気回復を実現する「主体」にはなり得ない。
「主体」たり得るのは、我々国民一人一人しかありえないはずなのに。
高度成長の亡霊は実にしぶとい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする