そもそも論者の放言

ミもフタもない世間話とメモランダム

資本注入に効果なし?

2008-10-20 23:23:00 | Economics
今日の日経朝刊「経済教室」大村敬一早稲田大学教授の論文「資本注入で問題解決せず」から以下引用。

そうした中、日本の経験を生かせと、あたかも1990年代末の大手銀への二度の公的資金一斉投入が成功例だったかとの論調があるのは疑問だ。これが第一の論点である。

<中略>

進まない不良債権処理の実態把握のため特別大口検査が実施され、この検査が起因になって主要行が不良債権整理に重い腰をあげるまで最後の注入から二年余を要した。この対応は景気局面ではオーバーキル(やりすぎ)になる可能性さえあったが、景気は製造業の頑張りですでに悪化から底ばい状態に移って回復の兆しをみせていた。日本の事業会社は銀行などあてにせず、自力回復をしていたのだ。

<中略>

投入時の経済環境も異なる。米国経済はすでに不動産価格が下落。国内総生産(GDP)の七割程度を占める個人消費の落ち込みで成長率は鈍化しており、過剰消費を前提とした経済運営は持続できない。これから景気が悪化していく状況では公的資金注入が効果的かどうか疑問だ。
日本では「結果的に」景気浮揚への転換局面で実施されたのに対し、米国では機動的な初期対応が必要な場面である。景気後退初期にある米国では波に抵抗する注入となるのでコストパフォーマンスが悪い。風邪のひきはじめにこそ資金注入をすべきだとの主張がみられるが、それなら市場にサプライズを与えるほどの巨額でなければならない。
さらに日本では、預金と貸出金の金利差(預貸スプレッド)を維持することで国民に強制的な負担を強いた。これは千数百兆円とされた家計の富の約六割を金利非感応的な高齢層が保有していることと同質的社会を背景に通用したもので、富裕層が一部のしかも金融機関の経営者層に偏る異質的社会の米国では通用しそうにない。また、インフレーションによる償却も有効だが米国ではスタグフレーションの懸念もあって難しい。

10年前の日本と現在の金融危機の異質性に関する指摘は興味深いし、公的資本注入不可欠との論調がここまで支配的な中で、それに対して真っ向異論を唱える姿勢には天の邪鬼的魅力があります。
が、資本注入しても意味ないと云うのなら、それじゃあいったいどうすりゃいいのさ、という点は訊いてみたい気がしますが。
コメント
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