そもそも論者の放言

ミもフタもない世間話とメモランダム

オバマ優勢と日本悲観論

2008-01-08 23:32:45 | Politcs

優勢のオバマ氏、ニューハンプシャーで早くも“勝利宣言”(読売新聞) - goo ニュース

長い長い大統領選が始まったばかりなのでめったなことは言えないけれど、どうやらオバマ大統領誕生の強い流れが急速に出来上がりつつある感じです。
ヒラリー・クリントンが世論調査で圧倒的支持を得ていると言われていた数か月前から何となくこうなるような予感はしていたけど。

黒人初の大統領。
アメリカっていろいろと問題のある国ではあるけど、こういうダイナミックなことが平気で起こってしまうところは素直に凄いと思う(まだわかんないけど)。

内田樹氏がブログで、オバマとアメリカについてとても面白いことを書いていた(内田樹の研究室「”ダイナマイト”なイノベーター」)。
氏は、ネット上の文章について著作権は主張しないと公言されていることもあり、以下長々と引用してみる。

さて、アメリカ大統領選挙はどうなるんだろう。
という話を温泉に浸かりながら兄と話した。
兄も私も、現段階ではオバマさんが選ばれるだろうと予測している。
こういうところではアメリカの「底力」は侮れないよ、というのが私たちの共通見解である。
町山さんと前にお会いしたときに、アメリカで文化的なイノベーションを担っているのはつねにマイノリティであるという話を伺った。
音楽もファッションはほとんどが黒人かヒスパニック起源のものだし、現在のコンピュータ業界は中国系とインド系で持っている。
WASPは何もクリエイトしていない。
でも、この人たちは全員が「アメリカ人」なのである。
あの国は「後から来た人」がイノベーションを担うように構造化されているのである。
既存の業界は既得権益を死守する人々でがっちりブロックされているから、「新参もの」はニッチ・ビジネスで勝負するしかない。
最初に来たイギリス系に東海岸を押さえられて、その後から来たアイルランド系は荒野の開拓者になるしかなかった。イタリア系が来た頃にはもう開拓の余地はなく、あとは商売をするしかなかった。ユダヤ系が来たときにはもうあらかたの商圏は押さえられており、あとは金融とジャーナリズムとショー・ビジネスしか残っていなかった・・・そういうふうに「ところてん」式にそのつど後からやってきた「食い詰め組」が生き延びるために開発したビジネスモデルでアメリカは繁栄してきたのである。
アメリカという国には国民のエートスを斉一化しようというモメントは存在しない。
大枠としての「星条旗に対する忠誠」と「ドルへの信仰」があれば、誰でもアメリカ国民として受容される。
「楽な道」は全部既得権の受益者によってふさがれているが、「つらい道」は全員に開放されている。
生き延びようと思ったら、自力で自前の「生きるモデル」を作り出さなければならない。
きびしい淘汰圧をかけて「サバイバー」だけを選別して、それに牽引されるようにして社会編制を変えてゆく。
手荒なやり方だけれど、アメリカはそれでこれまで成功してきた。

アメリカという国の成り立ち、ダイナミズムをとてもわかりやすく理解させてくれます。
そして話は彼の国と我が日本の差異について…

日本のいわゆる「構造改革」なるものはこのアメリカ・モデルを無批判に導入しようとしたものだが、国情の違いを勘定に入れ忘れたので大失敗した。
日本には「外から来たもの」が文化的イノベーションを連続的に担うことを想定した社会プログラムなんか存在しないからである。
日本は、アメリカとは逆に、「均質性が異常に高い」という事実を国力の培養基にしてきた。
阿吽の呼吸、腹芸、寝技、瀬踏み、根回し、ツーと言えばカー、肝胆相照らす、魚心あれば水心、越後屋おぬしも悪よのう、といった一連のコミュニケーション技法はどれも「英訳不能」であるが、この技法を習得していることが本邦では一人前のビジネスマンの条件である。
このところ論件によく上がっているKYにしても、アメリカなら「契約書、読めよ」であろう。
「空気を読む」リテラシーなんか、アメリカのビジネスマンには要求されない。
アメリカはゲームのルールを誰にでもわかるように単純にすることで「新参もの」への参入障壁を下げ、プレイヤーの数を増やすことでビジネスチャンスを拡大してきたからである。

年末から年始にかけて目にしたジャーナリズムの論調では「日本悲観論」がおそろしく目立ちます(特に日経系のメディア)。
年始からの株価続落がさらにその悲観ムードを拡大させている感も。
内田氏の書いている通り、米英流の新自由主義的構造改革をそのまま日本社会に当てはめようとしても巧くいかないというのはよく分かります。
ところが一方で、安倍政権から福田政権へと移り変わる中で、小泉構造改革路線が目に見えて後退するやマネーは一気に海外へ流れ、日本取り残されムードが本格化しているのもまた事実なわけです。

先日読んだ佐藤優の「国家の罠」では、鈴木宗男が国策捜査のターゲットとなった背景として、日本社会がケインズ型分配経済からハイエク型自由主義経済へと方向を変えたことを挙げていました。
確かに小泉政権の登場は時代の要請だったと自分も感じています。
が、その改革路線を受容するだけの基盤が日本には十分存在していなかった。
それは、小泉改革路線を受け継いで完成させる強力なリーダーシップを持った後継者の不在という形で明らかになっています。

日本が何をやっていようと、世界全体でのグローバリゼーションの流れが止まることはないでしょう。
今のまま内向き議論に終始してれば、国際社会における日本の相対的な地位が下がっていくことは避けられないと思う。
地位が下がるとどんなことが起きるのか?
実はその点についてのイメージが共有されていない、というのが現状のような気がする。
とんでもないことになる!という人もいれば、別に下がるなら下がってもいいんじゃない?という人もいる。
この点についての具体的イメージが明確に見えてくるまで、分配か競争かという逡巡は終わらないんじゃないんだろうか。
そんな気がします。

コメント
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