そもそも論者の放言

ミもフタもない世間話とメモランダム

「国を訴える」ということ

2007-03-10 00:02:25 | Society
東京大空襲、国を提訴 被災者ら110人、損賠など求め(産経新聞) - goo ニュース

昭和20年3月10日に米軍機の爆撃で約10万人が死亡したとされる東京大空襲の被災者と遺族約110人が9日、国に総額約12億円の損害賠償と謝罪を求める訴訟を東京地裁に起こした。空襲被害をめぐる集団訴訟は初めてという。
原告1人当たりの請求額は1100万円。空襲から62年となる10日が土曜日のため、前日の提訴になった。
原告団は「国が戦争終結を遅延させるなどした結果、空襲を招いた。にもかかわらず、その後、被害者を救済せずに放置した」と訴えている。
また、国による補償は軍人・軍属とその遺族に手厚い一方、民間人の犠牲者にはほとんどないため「不平等で違憲」とも主張している。

東京大空襲の惨禍を後世に伝えるために、このような行動に出たことの意義は理解する。
が、一方で、どうも腹に落ちないところもある。

何ゆえ、これだけ時間がたってからの提訴なのか。
もし仮に原告勝訴となったとしても、補償を受けることができるのは原告団に加わっている被災者だけだ。
多くは既に亡くなっているかもしれないその他の大勢の被災者やその遺族たちは相変わらず救済されない。
それでいいのか。

また、この訴訟に限らず公害訴訟や薬害訴訟の報道に触れる度に感じる疑問なのだが、「国を訴える」といった場合の、「国」とは何を指しているのだろうか。
当時の戦争指導者のことなのか。
戦後の補償制度を決めた当時の役人のことなのか。
概念としての「国家権力」のことなのか。
そこに「国民」は含まれないのか。
原告勝訴となった場合に支払われる賠償金は、現代を生きる我々が納めた税金を原資とすることになる。
そのこととの関係をどう理解すればよいのか。

考えても答えが出ない。
コメント (2)
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