花かご

つぶやき 

突然の別れ

2018-02-05 17:23:14 | 夫の怪我・介護
  1月12日、ツレが帰らぬ人となりました。
  死因は誤嚥性肺炎でした。
  何回か死線を乗り越えてきたので今回もというで望はありましたが・・・・・・。

 1月8日(月)朝、病院から ツレが夜中に吐いた、その後酸素の値が低いので、酸素吸引していているが値が上がらない、
と電話があった。
 長女と病院へ駆けつけるとツレは酸素マスクをして肺は痰で少しゼロゼロいっていたが特に重篤には見えなかった。

 翌日(火)は前日よりは肺のゼロゼロ音もなくマスクをとってくれと言ったりして前日より良くなっているように見えた。

 水曜日は良くなって見えたので二人とも病院へは行かなかった。

 木曜日朝、病院から酸素の値がかなり落ちているという連絡を受けた。
 医師から今日かもしれないし、明日かもしれないと言われた。
 ツレは意識はなく、酸素を取り込もうと口を大きく開けて呼吸をしていた。
 その日は3回意識が戻って意思の疎通ができた。
 仕事を早引きして駆けつけた次女とも、仕事終わって来てくれた長女の夫とも会えた。
 仮眠ベットを予約して長女と私はその日病院に残った。

 12日、長女と私は少し仮眠を取り夜明け前から病室に戻りツレに付き添った。
 ツレは苦しそうに口で呼吸をしていた。
 呼吸が大変そうなので思わず
 「お父さん頑張ったね。もう頑張らなくてもいいよ」
 というと一瞬呼吸が止まった。それからまた呼吸をして徐々に穏やかな呼吸になった。
 心拍も緩やかになり11時20分に脈が止まった。

 よく頑張ったね!
 これからは不自由な身体から抜け出して好きなところへ自由に行けるよ!
 ありがとう!
と声をかけた。



久しぶりににツレの話:夏祭りと風船バレー

2017-10-08 09:07:20 | 夫の怪我・介護
少し前の話になります。
ツレの入院している病院で夏祭りがありました。
家族の付き添いがあればツレも参加できると言われ、出かけていきました。
車椅子に載せてもらい、別の病棟にできた夏祭り会場へ行きました。
結構本格的なお祭りでした。
おみくじや浴衣を着て記念写真(ほぼ女性)もあり、
いくつかの屋台やヨーヨー釣りやもありました。
いろんな症状の患者さんがいるので屋台の種類もいろいろ。

ツレは綿あめとトロミジュースが許可されていました。
ツレは綿あめやさんに行って、綿あめをもらって嬉しそうに小さな綿あめを食べました。
次にジュース屋さんへ行ってトロミのあるジュースをもらいました。
セラピストの先生の許可をもらってお代わりもしました。

そのうちお神輿が出てきたり、盆踊りもありました。
盆踊りはツレも練習していたようで唯一動く右手をそれっぽく動かしていました。


別の日、風船バレーを見学しました。
ネットを張って2チームに分かれて大きな風船を打ちあうのです。
全員車椅子に乗っています。
球技が得意だったツレは自分のところへ来た風船は不自由な手で上手に打ち返していました。
楽しそうでした。

病院へ行くとベットに寝ている姿しか観ていなかったので
こういうこともさせてもらっているのだと知り嬉しく思いました。

ようやく病院の面会制限解除!

2017-02-25 21:19:20 | 夫の怪我・介護
 1月1日に家族全員(長女とその夫、次女と私)で新年の挨拶にツレの病室を訪れ
家族団らんをしました。
 翌々日の1月3日私一人で病院に行くと
 病院全体が「インフルエンザのため面会はできません」と受付で言われた。
 何それ! おとといは大丈夫だったのに!
 せっかく遠くから来たのに!(片道1時間)
 受付から病棟の看護師さんに電話してもらい、洗濯物の交換だけならと
病棟に入れてもらえた。
(洗濯物持っててよかった)
(寝間着などをレンタルしている家族は面会できなかったということ?)
 とりあえず洗濯物の交換でのみ面会の許可をもらって週2回通いました。
 ツレにも面会制限中なので長居できない旨を話すと理解はできたようでした。
 (ツレはインフルエンザにかかりませんでした)

 その制限もようやく解除されて来週からはまた病室でツレの許可が出るまで
長居(2~3時間)することになります。たぶん。

 昨年末は終末期と言われていたツレですが、今は元気です。
 ただ肺炎になる前は口から食事が3度できていたのに
 ようやく週2回程度ゼリーが食べられるようになったところです。
(胃ろうからの経管栄養で栄養を取っています)
 食いしん坊?(それしか楽しみがない)のツレにはかわいそうですが
肺炎の再発を用心して慎重に進めているようです。
 
 高次脳機能障害のため自分の症状が理解出来ないので
食べたいのに食べさせてもらえないのが不満のようです。

 私も食べさせてあげたい!

 


 



今年も無事に終わります

2016-12-31 08:02:34 | 夫の怪我・介護
 今年は今日一日となってしまいました。
 いかがお過ごしですか。 

 ツレの肺炎は治ったはずなのに体力がなかなか回復せず
一時は話す力もない様子でした。
 いよいよかなと覚悟していたのですが・・・。

 最近は車いすに載せろ! というほど元気になりました。
(日によって変化はありますが)
 先日は車いすに乗せてもらい病棟のクリスマス会に参加したり
病院の外へ散策に連れ出してもらったようです。

 来年の年賀状どうしよう?(も中になるかも)
と娘たちと話していた時もありましたが
無事に年賀状を出すことができました。

今年一年ありがとうございました。

ツレの肺炎その後

2016-11-02 22:54:43 | 夫の怪我・介護
 10月21日
 医者、看護師、言語聴覚士と長女と私の5人で担当者会議が行われました。
 医師は回復したのは奇跡的だったという表現をしました。
 今までは点滴だけでしたが、今後経口食(口から食べる)にできるか週明けに試
して決めますという話でした。

 そしてお試しの結果、経口食は無理のようでまだ経管栄養のみで過ごしています。
 経管栄養にしてから痰が多く口からの食事はまだ先のようです。
 健康な人にとって口から食べることは何でもないことですが
障害のある人にとって大げさでなく、命がけのことなのです。
 
 
 

ツレは終末期と言われたけど?

2016-10-13 10:58:02 | 夫の怪我・介護
 ツレが入院して6か月が経ちます。

 9月15日病院から電話があり
「熱があったので調べたところ肺炎になっていました。
心配はいりません。念のため酸素吸入をしています」
と告げられました。

 翌日長女が面会の当番だんたけど、電話では心配ないと言ってたけれど
私も病院へ出かけました。

 ツレは酸素マスクをして少し苦しそうに見えたけど
「お腹がすいた!」と
繰り返し訴えていました。
(彼は食べることが一番の楽しみです)

 その5日後担当医に呼ばれて
撮影したばかりのレントゲン写真を見せられて
「初めのレントゲンと比べて2段階進んでいます。
今までの病歴から考えて終末期と考えたほうがいいでしょう。
会わせたい人がいたら今のうちに会わせたほうがいいでしょう」
と告げられました。

「今日、明日でもおかしくない」
とも告げられました。

 こんなにあっけなく終わりが来るなんて信じられえなかったのですが
いつかはやってくるのだからと覚悟しました。

 娘たちは
「お父さんは生命力が強いから前のように持ち直すかもよ」
と言っていましたが、
私はいよいよではと思い、いろいろ準備を進めていました。
 
 現在は
一時最大に入れていた酸素吸入の酸素の量も最低量になり
看護師さんからは
「一時大変だったけど良くなって良かったね!」
と言われています。
 ツレは相変わらず
「お腹が空いた! なんかくれ!」
と言ってます。
体調は落ち着いて見えます。

 肺炎は全快はしてないようですが危機は脱したようです。
 終末期は脱したのでしょうか

 21日に医師と看護師と患者の家族の会議があるので
そのとき聞いてみます。

ツレが入院して1か月

2016-05-11 21:40:02 | 夫の怪我・介護
 まだ1か月!?
という感じです。
ずいぶん前のような気がします。

 週2~3回ツレの面会に片道1時間の病院へ行ったり、
在宅中借りていたベット、車椅子、リフト、テーブル他数点を
返却したり、
市役所へ手続きに入ったり、
使わなくなったものや書類を整理したりしてました。

 ツレを病院にお願いしたのだから
そのぶん家の仕事に励まなくちゃと頑張った末体調を崩して
同居の次女に
これから時間があるんだからそんなに一気に頑張らなくていいのに
なんで注意される始末です。

 初めのころは買い物に行っても 早く帰らなくてはと思い、
アッ! そうだ急いで帰らなくていいんだ!
と思い直していました。

 片づけものをしていてツレの介護の日々を思い出して
懐かしかったり心を痛めたりしてました。

それにしても季節の変わり目と生活の変化で
体調が優れません。
今は、胃の不調。10日以上続いています。

早く元気になりたい。

 
 
 


ツレの誕生日祝いと入院

2016-04-11 23:48:55 | 夫の怪我・介護
 ツレの誕生日は4月6日。
介護型療養病院に入院する前に
お花見に行くことと、誕生祝をしてから病院へ送り出そうと
相談していました。

 病院から3月30日に 
「4月1日に入院できます」と電話がありました。
ちょっと予想より早すぎたのであせりました。
4月6日以降にできないか聞いたところ
別の人がそのあとくらいに退院するので、遅くなるかもしれないけど
と快諾してくれました。

 
 おかげでささやかながら手作りの
ツレの80歳の誕生日を家族4人で祝うことが出来ました。

 おまけにNHKBSプレミアム、火野正平の自転車旅番組「こころ旅」で
ツレが愛していた、そこで怪我した”さえずりの森”が放送されたのです。
入院の前日に。

 怪我してからも雑木林の中に入りたがっていたけど
車椅子では到底無理な山道なのです。
番組で一部追体験が出来て、よかった!

 翌日4月8日入院。
介護タクシーさんの計らいでお花見に行った乞田川の桜並木を通って
病院まで行ってくれました。
 

 ツレを入院させてつらくなるかと思っていましたが
楽しい思い出をたくさん作って送り出せたのでよかった。

 これからは病院通いの生活にチェンジです。

ツレとお花見に行く

2016-04-05 15:01:15 | 夫の怪我・介護
 4月2日、少し寒かったけど
 ツレを車いすに乗せて
近所の桜の名所、乞田川へ桜を見に行ってきました。
長女の夫も来てくれて、長女、次女、私の5人で行きました。

たぶん家族4人そろっての花見はこれが最後となるでしょう。

桜もきれいに咲いていて楽しい時間を持てました。

 明日はツレの80歳の誕生日です。


病院をさがす

2016-02-22 23:41:39 | 夫の怪我・介護
ツレが入れる病院をまず見学してみようということで、
ケアマネさんに3つの病院の見学依頼をしました。

ケアマネさんはツレに関する資料(医師とケアマネさんが持っている情報)を
病院へ送って、見学の段取りをつけてくれました。

ツレが入れる病院は療養型病院で介護と医療の両方をしてくれます。
病院側は送られた資料を見て、その病院で受け入れ可能か判断します。

1つの病院からは使用している薬が多いという理由で断られました。

最初に見学した病院は訪問の看護婦さんやリハビリをお願いしている
グループの病院なので安心してお願いできると思って選びました。
ただ一つ問題があって、回復期の患者さんを受け入れる病院なので
入院期間は1年と言われました。
一度退院して再び入院は可能のようですが。

次に見学した病院は病院自体は良かったのですが遠ーい!
1時間半は掛かる。
近所の知り合いがここへ入院しているので見学してみたのですが・・・。
他になかったらここまで通うことになります。

もっと近くの病院も捜してみようとさらに2病院の見学依頼をお願いしました。

1病院からはツレが使っている薬がないという理由で断られました。

別の1病院は胃ろうか経口かどちらかでないとダメと言われましたが
見学の許可はでました。
ツレは口から食べています(経口)が、まだトレーニング中で
胃ろうからも水分を取っています。

で結局のところ第一希望でもあった最初に見学をした病院にお願いして
1年間経口のトレーニングをして貰おうということにしました。

先のことは1年経った時にまた考えることにしました。

入院の申し込みをして只今ベットの空き待ちです。
2か月ほど先のようです。