ソラから来たよ

このブログは「地球の謎解き」(http://sora.ishikami.jp/)の情報を元に構成しています。

イシジンの集合

2008年09月16日 23時06分18秒 | Weblog
【イシジンと人間の物語】
イシカミの身体の原子は自分の思う通りの形になれたので、それぞれの目的に合った形になりました。
大きな山のような巨人から天使や小人のようなものまで、いろいろな形になり、今の人間の形が一番良いことに気付きました。
そしてイシカミの身体の山や丘にある横穴や石室で、その親のイシカミと同じ成分からできた石の人間「イシジン」になりました。
地球中にいろいろなイシジンがあらわれ、彼らが楽しそうに暮らしているのを見た支配星は、イシジンだけに地球を独占させまいと思いました。
それで支配星はイシジンを固めて石にする計画を立てました。

ソラ画像より
イシジンのいろいろ
ボッチ君の作者のひこさんが描いて下さいました。

リトルペトラのイシジン
ペトラと同じように階段を登った上にあります。
(階段はもっと下からあり、これから先は登りにくい階段です)
太いお汁の管が頭にあるイシジンです。
これも岩の間にあるのは、巨大な岩からイシジンが生まれたことをあらわしているそうです。

人のような形
大きな目の四角い人物?のようですが、シリウスに教えられた四角い建物になろうとしたイシジンで、意志を持っているということを良くあらわしていると思います。

大きなイシジンと小さなイシジン
恥骨の門を通り抜けてくると出てくる劇場型の前の部分です。
大きなイシジン(高い柱)が指導していたようで、その前に小さなイシジンが並んでいたようです。
柱は建物を支えるものでないことがわかります。

意味のない柱
柱は屋根を支える物と思うと、意味がないと思われますが、イシジンの形だと思うと意味が通じます。

ペラの遺跡
荒野の谷間に突然現れる遺跡。
ローマ時代の銅貨などが見つかることで、かってはここも都だったという言われていますが、今は羊飼いが放牧しているだけで、とても都があったとは思えません。
地中海から飛んできた羽根のあるイシジンに教えられて真似して造った(身体を変化した)そうです。

極小さな劇場型などもあり、そばには貝の化石もあるのは、巨人が海の底から泥を持ってきたと伝えられました。

近くに地下墳墓も洞穴もあるようですが、急斜面になっていて行き来が大変で遠くから見ただけです。

ニューグレンジの周辺、スタンディングストーン=イシジン
太目のスタンディングストーン(イシジン)がポツンポツンと立っていて、離れた所に丸いモノが埋め込んであるような砂地が3,4箇所あり、短いスタンディングストーン(小さいイシジン=石でなく木でも)が立っている。
丸いカメ?はお汁が入っていて、そばに立っているイシジンがお汁を配ったり、直接穴の中に入って毛細管現象?でお汁を吸い上げて、エネルギー源としていた。

カメ?の中に入っているイシジン(木の棒)は、現在も立っているスタンディングストーンで、地中に入っていないイシジンは、石柱となり石碑、墓石にされたようです。

この木は最初からのかはわかりませんが、イシジンは石、木、砂、土など自ら選択して物質として形成した。
ウッドサークルとして存在する。

ちなみに丁度この頃、地震と共に日本海海底からイシジンと思われる古代の木が浮き上がってきています。

*)中越沖地震:震源地近い海底に大量の古木 液状化で浮上か(2007年7月23日付ニュース)
・ ・・直径30~50センチの古木がいくつも絡まっていた。古木の多くは角が取れた楕円(だえん)形で、長さ1メートル以上の棒状のものもあった。・・・

ニューグレンジの立石1
大きな遺跡の周りにこのような大きな立石が10個?近く有ります。
このニューグレンジの中で形創ったイシジンの一種で、いわば親を見ているようで、ストーンヘンジと同じです。
それぞれ表情があると思えます。

ニューグレンジの立石2
遺跡から一番離れた所にある立石。

ニューグレンジの立石3
遺跡の前に大きな石が数個立って見ているようです。

ストーンヘンジを見ている石
右側で泣きそうな顔で遠くから作った作品を見ていました。
巨人が生贄などをさせていたとガイドで説明してお金をもうけているのが、我慢できないと。

ストーンヘンジの石柱の意味
中側のストーンサークルが射手座のイシカミをあらわし、外側の連結したサークルはシリウスをあらわしているそうです。
巨大な長方形の石ははめ込んでも移動しないように、キチンと凹凸をつくるように巨人に教えたのはシリウ。
倒れている石柱は砂になったイシカミたち。

イシジン
エジプトの壁画はイシジンが壁の中に入って固まったそうで、ヒエログリフの模様も、ニウたちがその形になって壁に入りこんだそうです。

エジプト・メムノンの巨像
イシカミの巨人。
朝日が昇る頃に泣き声のようなきしむような音を立てていたそうです。
頭の広がりは人間の声が聞こえるようにしたそうです。

以前はイシカミが作ったと思っていましたが、これもイシジンのようです。
小さいのは子供の天使もいますし、このような大きなイシジンもいたようです。
手前のロープの高さが1mくらいなので、そばに行くととても大きいです。

石とイシジン(エジプト)
メンフィスの石像より。
石を人間がノミで彫って石像を作ったのであれば、必ずノミの削りかけがあるはずですが、全くその跡がありません。
石像になろうとおもった原子と、石になろうと思った原子の境目です。

カルナック神殿1
「人間はこれほど小さいのです」と足元の小さいのは人間。
イシジンは乾燥して小さくなっているが、生きている時は水分を含んでもっと大きかった。
イシキ(星からの意識=潜在意識)が主なので、現実の顔が出来上がっていません。
胸で交差しているものは、小麦の穂を叩くものと、かき寄せる物です。
人間の食べ物を創ったことと、小麦を作りなさいということを知らせている。
頭にお汁を入れるツボと、その下の広がったのは、お汁が下に下がるようにと、音を聞くためです。
後ろの柱はイシジンの一種で、手をつないで独立しているイシジンにエネルギーを送っています。

カルナック神殿2
見ていると涙が出てくる。
「手稲山です。
私の子供たちです」と。
このイシジンが巨人のイシジンに、ピラミッドやオベリスクの指示をして作らせた?=しっかり仕事をしたので、崩れることなく残っているそうです。

(アブ)シンベル神殿のイシ(カ)とオシリ(ト)
【イシジンと人間の物語】を書いていると左目から涙が出て来る。
イシ(ス)=イシカ、オシリ(ス)=オシリトと呼んでほしいと。
そして「顔のないのが私(イシカ)です」と「私たちの写真を載せてほしい」と言ってきました。
アブシンベル小神殿が子供たち。
顎にあるものは食べ物の味を見てカスをそこから出した。
エネルギー源は頭の上のお汁のツボ。

ついで右目から涙が出てきて、オベリスクとピラミッドを創る指示をしたイシジンと。

イシジンの頭=壷
巨人の頭に乗っていたお汁の入れ物。
いかに巨人が想像を絶する大きさであったか、巨石遺跡も連想しやすくなります。
イシジンが土になる前に、頭だけお汁が固まったためか、壷の形になり、それを人間が利用していた。
人間が作るのであれば、置いて底を安定する形にするが、底が尖ったのもあって、最初から置いて使用する目的で作られたのではない。
壷の入り口は、雲をあらわし、雲の下が、物質化していることをあらわしている。

*)参考:円筒下層式土器

イシカミの巨人からイシジンができる前?
岩内郷土資料館にて。
初めて見たもので太い石棒に、違う色の石が、丁度、イヤフォーンのように巻き付いている。
意味を聞くと
「イシカミの巨人から、さらに小さなイシジンが分かれるように、星のもの(丸い耳当て?)が力を与えたのです」と。
右上の石もタスキ状に違う色の石が巻きついて?いました。

いろいろなお汁の入れ物
イシジンは大小さまざまな姿?であったようで、土グモと呼ばれるのも、イシジンのようでした。
横穴に住んでいたイシジンの食べ物は、イシカミのお汁で、それをこれらの壷に入れて頭の上に乗せていたようです。

土器の耳飾り?
イシジンがイシカミの言葉を聞くために、耳にはめていたもの。
オオクニヌシがイシジンだった時は、耳がいて座の形をした円形で穴が開いていたのを、耳当てのようにつけていた。
そのイシキが人間として生まれ変わってからも、イシジンの時のことを忘れないために、耳の横で髪の毛を丸くしていた。

ちなみに隣にある、頭にお汁の管のついた小さな人形は、どこから出土したかわかりませんが、ストーンサークルの中であれば、人間がストーンサークルの中で発生したという、第2の証拠となりますが、、、。
(ストーンサークルの中に小さな人形が置いてあったのは、入江・高砂貝塚館に写真があり、ストーンサークルの中で人間があらわれたと知らされた)

ストーンサークルの中の土偶
洞爺湖町の入江・高砂貝塚館で見た縄文後期の写真です。
ストーンサークルの中の土偶は、この状態で出現した貴重な写真です。
ストーンサークルの中からイシジンや人間があらわれたことをあらわす証拠で、これを残すためにシリウスが噴火をするように言ったので、有珠山と呼ばれるそうです。
有珠=臼=シリウス。

近くの入江貝塚には、5m?位の実物の地層の展示がしてあり、中くらいの地層にイルカの骨が多いのは、地軸移動前は暖かかったことがわかります。

イシジンのストーンサークル
秋田の大湯管状列石のストーンサークル。
このように石を敷き詰めたストーンサークルは、イシジンが発生するためだそうです。

埴輪
千葉県歴史博物館。

法隆寺3
仁王の前の柵の頭が丸くなっているのは、↓の意味がある。
すなわちボンノウ(煩悩)=棒・脳=棒でも脳がある=棒はイシジンであること。

庭で人間が創られたが、人間は自分で生活するためにここに戻ってきてはいけない、とイシジンが門番をしているそうです。
頭にお汁の管があり、羽衣はイシジンはソラを飛んでいたのは、ヨーロッパの絵と同じです。

法隆寺2
「ボンノウ。ボウ・ノウ。ボウ・ノウ。これまでの意味と違います」
と言葉が出てきて
「棒・脳=棒にも脳がある=棒はイシジンの変化したもので、思いを持っていることを表している。と伝えてきました。

それで柱に目があるようになっているのと、仁王の前の柵の頭が丸くなっているそうです。

法隆寺4
バチカンの石柱は半円を描いていましたが、ここでは長方形(=シリウをあらわす)の柱の回廊があります。
回廊の目的は同じで、中庭で人間が創られた後、この回廊を通る間に、柱のイシジンからエネルギーや、色々な指導を受けたそうです。
どの柱の土台も大きな自然石です。

傷ついたイシジン
イシジンはイシカミの人間と伝えられ、デイダラボッチのようなものと想像していましたが、石像がイシジンの遺体だそうです。
以前見た時、大理石の皮膚が生きているようで、布のカーブなどこれほど上手に創れるのが不思議でしたが、納得できました。

これはエデンの園で、新しく創られた人間をこれらのイシジンが世話をしていましたが、人間が増えすぎて、食べ物が足りなくなり、人間同士で争うので、世話をしていたイシジン同士も争うようになり、その悲しみを人間に教えるために、このような形で残したそうです。
ちなみに有名なピエタ(母親が倒れた息子を抱いている)も同じ意味ですが、キリスト教がマリアをイエスに摩り替えたそうです。

ちなみに人間が作ったイエスの物語の石像もありましたが、比べ物にならないお粗末なものでした。
ミケランジェロなども絵は描いたが、石像は作っていなく、人間が創ったと思わせるための伝説のようです。

薄いジョーゼットのような布は、イシカミのお汁で作ったそうです。

バチカンの広場
巨大な石柱の上に石像が立っていているのは、石柱が巨人をあらわし、それがイシジンの形としてあらわしているようで、夜中に言葉になって
「ムレ、ムレ、・・・(人間の)群れを見ていたものです。
誰一人、(石像を)イシジンということに気づくものはいませんでした・・・・・」
と、法王の説教には熱狂的?に迎えていた人々のことを、皮肉って伝えてきました。

広場にはタコクラゲ型の噴水があり、渦巻きと悪相に似た彫り物がありましたが、この場の意味を表しているようです。

バチカンの中は、数10年前に来た時は、貧しい信者から集めたお金でこれほど華やかな贅を凝らした教会はないと思っていましたが、今回は照明が落とされているのかその光りを感じませんでした。

ちなみに、死者との交信ができるというのでイエスは有名になったが、ここへ来て、これを大切にしなければいけないと言ったので、権力者は怒ったとも。

イシジンの姿
イシジンが存在したことを知らしめるために、自分達の一番良いと思う姿で固まったそうで、それでいろいろなポーズをしているようです。
巨大な柱もイシカミの巨人で、石像と一体となっているので、何千年も剥離することなく立っていると思われます。
3m近い?大理石の巨体で、顔は生きているようで、繊細な布のカーブなど細かな彫りこみです。
上から見ているのに、人間は全く石像に意識があるとは気づいていないと嘆いていました。

生きているような石像
目と言い、歯といい本当に生きているようです。
どこかで見たいるかに乗った少年も、目が生きているようでしたし、他の石像でも血管、爪、筋肉の隆起など見受けられます。

生きているような親子
画像が小さくてわかりにくいですが、特に目がしっかりと残っているイシジンです。

巨人のイシジンの指
こちらは特大のイシジンの指だけ残っているようです。

この博物館の中にヒミコの元となった?という巨人の女性の石像がありますが撮影禁止で残念です。
情報で知らされたように上半身だけですが、5mくらいあるのでないかと思われます。
髪はすこしウエーブがあり、ギリシャ系の感じです。
リトルペトラから出てきた?

アトランティスの王(足)
頭の他、両足首、手、肘、フクラハギなど物質(石像)として残っています。
この巨大さですが、実際はもっと水分を含んで泡?のような塊だったので
巨人伝説も現実にあったことと思えます。

アトランティスの王(頭部)
ヨハンシュンセンの頭部。
これを見に来てほしいと以前言われていました。
ヨハン=夜半、シュンセン=出航する。
すなわちヨハンシュンセンは夜中にアトランティスから、地中海の保養所?へ出かけたという意味だそうです。
アトランティスについては、98年に詳しく知らされ本『星からのメッセージ』に詳しく書いています。

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以上、地球の謎解きより。
写真は9月15日のソラ。
昨日の写真の雲がしばらくすると縦に並びました。