[馬場あき子選]
(富山市・松田わこ)
〇 ジーパンで自転車をこぐモーツアルト見かけたソナタ九番の中
作中の「ソナタ九番」とは、恐らくはヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが1777年に作曲した「ピアノソナタ第9番」を指して言うのでありましょう。
同曲は、「第1楽章/アレグロ・コン・スピーリト/ニ長調/4分の4拍子/ソナタ形式」、「第2楽章/アンダンテ・ウン・エスレッシオーネ/ト長調/4分の2拍子/ロンド形式または展開部を欠くソナタ形式」、「第3楽章/ロンドーアレグロ/ニ長調/8分の6拍子/ロンド・ソナタ形式」から成る、演奏時間が15分ほどの小曲であるが、本作の作者・松田わこさんが、この曲の曲想に作曲者の「モーツァルト」が「ジーパンで自転車をこぐ」ような趣きを感じたとしたら、それは、作者の松田わこさん自らが、この曲の「第1楽章」乃至は「第3楽章」をピアノ演奏している時に感じたのでありましょう。
本作の表現に就いて一言云えば、三句目から四句目への渡りの「モーツアルト見かけた」とは、当然の事ながら、現実の「モーツァルト」が「ジーパンで自転車をこぐ」姿を「見かけた」という事では無くて、「ピアノソナタ九番」の軽快な曲想に「ジーパンで自転車をこぐモーツアルト」のようなイメージを感じたという事でありましょう。
然るに、本作の作者・松田わこさんは、それを素直にそうと言わずに、恰も現実の「モーツアルト」が「ジーパンで自転車をこぐ」姿を「見かけた」かのように表現しているのであり、其処の辺りの巧みな言葉遣いにこそは、中学校一年生らしからぬ、作者・松田わこさんの食えない一面が窺われるのである。
〔返〕 スカートで自転車を漕ぐわこちゃんのちらりと見えます真っ黒けの毛
中学一年と言えば、青春真っ只中ですからね!
「ちらりと見えます真っ黒けの毛」ぐらいは何のその!といったところでありましょうか?
大変失礼致しました。
(垂水市・岩元秀人)
〇 白昼の揚羽がメイルボックスへ未知のことばとして入りにけり
この一首を、「白昼の⇒揚羽がメイル⇒ボックスへ⇒未知のことばと⇒して入りにけり」という力動的なリズム読む時に味わう爽快感は、「句割れ・句跨り」のマイナス面と相殺してもお釣りが来るくらいに心地良いものである。
ところで、作中の「メイル」の発信者は、絵文字としての「揚羽」に、どんな意味を託したのでありましょうか?
〔返〕 黄揚羽が一頭サドルに停まりけり高齢者われの未知への遭遇
(徳島市・上田由美子)
〇 干し草の香る牛舎の夕暮れは機嫌よき牛耳を並べる
是を以って「牛耳る」と言うのでありましょうか?
ところで、話は突如として転変するのでありますが、私の連れ合いのS子の友人のMさんは、ここ四半世紀ほど横浜市内のある大規模団地で民生委員の大役を担っている女性であるが、その彼女が今年の五月に我が家を訪れた時、「私の住んでいる団地の福祉行政は、私の先輩のある女性民政委員にジュウギラレテいるので、民生委員の一人としての私は、団地内の高齢者の方々のお世話をしたいという気持ちを十分に持っているのであるが、思うようにお世話が出来ないで困っているんです」との話を、私の連れ合いを相手にしているのであった。
私はその時、彼女の口にする話の内容をそれと無く小耳に挟んでいたのであったが、そうした私にとっては、彼女の話の中に出て来る「ジュウギラレテ」という言葉の意味に就いて皆目見当が付かなかったのである。
そこで私は、彼女が帰ってから、連れ合いのS子にその点に就いて問い質したところ、「Mさんの言う『ジュウギラレテいる』とは、『牛耳られている』という意味ではないかしら?私も其処の辺りのところは彼女に聞き質したりすることも出来なかったから、よくは解らないのだが?」という事であった。
だとしたら、Mさんの民生委員としての仕事ぶりに就いても、私としては少なからず心配にはなるのであるが、然し乍ら、Mさんという方は、人一倍奉仕の精神が旺盛で、しかも正義感に溢れた女性でありますから、そんな事はどうでも宜しい事なのかも知れません。
〔返〕 「干し草を食べたい順に整列!」と乳牛たちを牛耳る牧童
(霧島市・久野茂樹)
〇 白雲に夏の力の増し来れば子牛の顔付き大人びにけり
「白雲」即ち「入道雲」でありましょうか?
だとしたら、あの入道雲がもくもくと盛り上がって来る有り様は、「夏の力の増し来」たる証しのようなものである。
本作の作者・久野茂樹さんがお住いの霧島市は、南国九州の鹿児島県の一廓を占める町である。
御地に於いては、既に「梅雨明け宣言」が為されたのでありましょうか?
〔返〕 白雲に夏の力の増し来れば我が球児らは白球を追ふ
(東京都・狩集祥子)
〇 沖縄の海に影うつすオスプレイ慰霊の日なれど他国のごとし
(アメリカ・悦子ダンバー)
〇 日本人になりたき娘が憂いゆく集団的自衛権に揺らぐ国は雨
題材はともかくとして、表現に就いては、先蹤作品の垢を舐りかつ模倣しているだけのことである。
集団的自衛権の行使が自公連立内閣の閣議に拠って決定され、川内原発の再稼働が明日明日に迫っている現在に於いては、朝日新聞は如何なる手段を以ってしても自公連立政権の暴挙にに対する「反対キャンペン」を展開するべきであり、その高邁なる目的を達成する為には、「声」欄への投稿者の意見は勿論の事、「猫の手も借りる」という俚諺の如く、「朝日歌壇」や「朝日俳壇」への投稿作品をも利用するべきが妥当とも思われるのである。
しかしながら、上掲の二作品のような凡作を入選作品としては、無い腹を疑われる事にもなりましょうし、また、「朝日歌壇」の入選者の常連中の常連歌人たる、福島市にお住いの某女性のような方の一節太郎的な作品などを用いた場合は、かえって逆効果にもなりましょう。
こと此処に至っては、選者の読歌力が問題なのである。
沖縄の米軍基地に配備された「オスプレイ」が、さしたる事故を起こしていない現状に於いては、間も無く、日本国内のありとあらゆる地域の上空を彼の怪鳥が飛び回ることにもなり、軈ては、米軍基地のみならず、自衛隊基地にも配備されることにもなりましょう。
〔返〕 進軍喇叭は高々と鳴り響く!歌詠み全ては言の葉の銃を取れ!
(浜松市・松井恵)
〇 みちのくの初夏のひかりを詰めしごとアカシアの蜜は金にかがやく
「みちのくの初夏のひかり」とても、今や「金」色に輝いている訳ではありません。
それに、「アカシヤの蜜」と言ったら、「みちのく産」のそれよりも「北海道産の蜜」ではありませんか?
本作の作者・松井恵さんは、未だに「みちのく」という哀しいだけの言葉に、儚き夢を抱いているのでありましょうか?
〔返〕 みちのくは夢の世界じゃありません今も昔も虐待されし地
(富山市・松田由紀子)
〇 リビングがなんて静かな午後でしょう本一スマホ二お昼寝が一
「本一」はママで、「スマホ二」は梨子さんとわこさんで、「お昼寝」をしている「一」はパパではないかしらん?
もしかしたら、「本一」と「お昼寝」の「一」とは真逆なのかも知れません。
〔返〕 リビングがなんて静かな金曜日パパは会社に娘(こ)らは学校
(東京都・宮野隆一郎)
〇 新築に亀の置き場を熟考しわが一存でリビングとする
世の男性が家長の座から引き摺り落されて以来六十有余年の歳月が経過した現在ではあるが、「亀の置き場」を「わが一存でリビングとする」くらいの我が儘は許されているのである。
したがって、それくらいの事は「熟考」せずとも適当に遣って下さいよ。
〔返〕 リフォームで我が居る場所を失って来る日も来る日も図書館通い
(前橋市・荻原葉月)
〇 ふるさとの製糸場世界遺産なり蚕飼ひに暮れし母の佇ちくる
「母の佇ちくる」は、「母の顕ち来る」とした方が宜しいのかも知れません。
〔返〕 ふるさとの土地や家には未練無く老ひたる父も母も見棄てつ
(富山市・松田わこ)
〇 ジーパンで自転車をこぐモーツアルト見かけたソナタ九番の中
作中の「ソナタ九番」とは、恐らくはヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが1777年に作曲した「ピアノソナタ第9番」を指して言うのでありましょう。
同曲は、「第1楽章/アレグロ・コン・スピーリト/ニ長調/4分の4拍子/ソナタ形式」、「第2楽章/アンダンテ・ウン・エスレッシオーネ/ト長調/4分の2拍子/ロンド形式または展開部を欠くソナタ形式」、「第3楽章/ロンドーアレグロ/ニ長調/8分の6拍子/ロンド・ソナタ形式」から成る、演奏時間が15分ほどの小曲であるが、本作の作者・松田わこさんが、この曲の曲想に作曲者の「モーツァルト」が「ジーパンで自転車をこぐ」ような趣きを感じたとしたら、それは、作者の松田わこさん自らが、この曲の「第1楽章」乃至は「第3楽章」をピアノ演奏している時に感じたのでありましょう。
本作の表現に就いて一言云えば、三句目から四句目への渡りの「モーツアルト見かけた」とは、当然の事ながら、現実の「モーツァルト」が「ジーパンで自転車をこぐ」姿を「見かけた」という事では無くて、「ピアノソナタ九番」の軽快な曲想に「ジーパンで自転車をこぐモーツアルト」のようなイメージを感じたという事でありましょう。
然るに、本作の作者・松田わこさんは、それを素直にそうと言わずに、恰も現実の「モーツアルト」が「ジーパンで自転車をこぐ」姿を「見かけた」かのように表現しているのであり、其処の辺りの巧みな言葉遣いにこそは、中学校一年生らしからぬ、作者・松田わこさんの食えない一面が窺われるのである。
〔返〕 スカートで自転車を漕ぐわこちゃんのちらりと見えます真っ黒けの毛
中学一年と言えば、青春真っ只中ですからね!
「ちらりと見えます真っ黒けの毛」ぐらいは何のその!といったところでありましょうか?
大変失礼致しました。
(垂水市・岩元秀人)
〇 白昼の揚羽がメイルボックスへ未知のことばとして入りにけり
この一首を、「白昼の⇒揚羽がメイル⇒ボックスへ⇒未知のことばと⇒して入りにけり」という力動的なリズム読む時に味わう爽快感は、「句割れ・句跨り」のマイナス面と相殺してもお釣りが来るくらいに心地良いものである。
ところで、作中の「メイル」の発信者は、絵文字としての「揚羽」に、どんな意味を託したのでありましょうか?
〔返〕 黄揚羽が一頭サドルに停まりけり高齢者われの未知への遭遇
(徳島市・上田由美子)
〇 干し草の香る牛舎の夕暮れは機嫌よき牛耳を並べる
是を以って「牛耳る」と言うのでありましょうか?
ところで、話は突如として転変するのでありますが、私の連れ合いのS子の友人のMさんは、ここ四半世紀ほど横浜市内のある大規模団地で民生委員の大役を担っている女性であるが、その彼女が今年の五月に我が家を訪れた時、「私の住んでいる団地の福祉行政は、私の先輩のある女性民政委員にジュウギラレテいるので、民生委員の一人としての私は、団地内の高齢者の方々のお世話をしたいという気持ちを十分に持っているのであるが、思うようにお世話が出来ないで困っているんです」との話を、私の連れ合いを相手にしているのであった。
私はその時、彼女の口にする話の内容をそれと無く小耳に挟んでいたのであったが、そうした私にとっては、彼女の話の中に出て来る「ジュウギラレテ」という言葉の意味に就いて皆目見当が付かなかったのである。
そこで私は、彼女が帰ってから、連れ合いのS子にその点に就いて問い質したところ、「Mさんの言う『ジュウギラレテいる』とは、『牛耳られている』という意味ではないかしら?私も其処の辺りのところは彼女に聞き質したりすることも出来なかったから、よくは解らないのだが?」という事であった。
だとしたら、Mさんの民生委員としての仕事ぶりに就いても、私としては少なからず心配にはなるのであるが、然し乍ら、Mさんという方は、人一倍奉仕の精神が旺盛で、しかも正義感に溢れた女性でありますから、そんな事はどうでも宜しい事なのかも知れません。
〔返〕 「干し草を食べたい順に整列!」と乳牛たちを牛耳る牧童
(霧島市・久野茂樹)
〇 白雲に夏の力の増し来れば子牛の顔付き大人びにけり
「白雲」即ち「入道雲」でありましょうか?
だとしたら、あの入道雲がもくもくと盛り上がって来る有り様は、「夏の力の増し来」たる証しのようなものである。
本作の作者・久野茂樹さんがお住いの霧島市は、南国九州の鹿児島県の一廓を占める町である。
御地に於いては、既に「梅雨明け宣言」が為されたのでありましょうか?
〔返〕 白雲に夏の力の増し来れば我が球児らは白球を追ふ
(東京都・狩集祥子)
〇 沖縄の海に影うつすオスプレイ慰霊の日なれど他国のごとし
(アメリカ・悦子ダンバー)
〇 日本人になりたき娘が憂いゆく集団的自衛権に揺らぐ国は雨
題材はともかくとして、表現に就いては、先蹤作品の垢を舐りかつ模倣しているだけのことである。
集団的自衛権の行使が自公連立内閣の閣議に拠って決定され、川内原発の再稼働が明日明日に迫っている現在に於いては、朝日新聞は如何なる手段を以ってしても自公連立政権の暴挙にに対する「反対キャンペン」を展開するべきであり、その高邁なる目的を達成する為には、「声」欄への投稿者の意見は勿論の事、「猫の手も借りる」という俚諺の如く、「朝日歌壇」や「朝日俳壇」への投稿作品をも利用するべきが妥当とも思われるのである。
しかしながら、上掲の二作品のような凡作を入選作品としては、無い腹を疑われる事にもなりましょうし、また、「朝日歌壇」の入選者の常連中の常連歌人たる、福島市にお住いの某女性のような方の一節太郎的な作品などを用いた場合は、かえって逆効果にもなりましょう。
こと此処に至っては、選者の読歌力が問題なのである。
沖縄の米軍基地に配備された「オスプレイ」が、さしたる事故を起こしていない現状に於いては、間も無く、日本国内のありとあらゆる地域の上空を彼の怪鳥が飛び回ることにもなり、軈ては、米軍基地のみならず、自衛隊基地にも配備されることにもなりましょう。
〔返〕 進軍喇叭は高々と鳴り響く!歌詠み全ては言の葉の銃を取れ!
(浜松市・松井恵)
〇 みちのくの初夏のひかりを詰めしごとアカシアの蜜は金にかがやく
「みちのくの初夏のひかり」とても、今や「金」色に輝いている訳ではありません。
それに、「アカシヤの蜜」と言ったら、「みちのく産」のそれよりも「北海道産の蜜」ではありませんか?
本作の作者・松井恵さんは、未だに「みちのく」という哀しいだけの言葉に、儚き夢を抱いているのでありましょうか?
〔返〕 みちのくは夢の世界じゃありません今も昔も虐待されし地
(富山市・松田由紀子)
〇 リビングがなんて静かな午後でしょう本一スマホ二お昼寝が一
「本一」はママで、「スマホ二」は梨子さんとわこさんで、「お昼寝」をしている「一」はパパではないかしらん?
もしかしたら、「本一」と「お昼寝」の「一」とは真逆なのかも知れません。
〔返〕 リビングがなんて静かな金曜日パパは会社に娘(こ)らは学校
(東京都・宮野隆一郎)
〇 新築に亀の置き場を熟考しわが一存でリビングとする
世の男性が家長の座から引き摺り落されて以来六十有余年の歳月が経過した現在ではあるが、「亀の置き場」を「わが一存でリビングとする」くらいの我が儘は許されているのである。
したがって、それくらいの事は「熟考」せずとも適当に遣って下さいよ。
〔返〕 リフォームで我が居る場所を失って来る日も来る日も図書館通い
(前橋市・荻原葉月)
〇 ふるさとの製糸場世界遺産なり蚕飼ひに暮れし母の佇ちくる
「母の佇ちくる」は、「母の顕ち来る」とした方が宜しいのかも知れません。
〔返〕 ふるさとの土地や家には未練無く老ひたる父も母も見棄てつ