二月は強い風とともにやってきた。 冷たい空っ風が身にしみる。
二月の靴の片方は菫で、 もう片方は白い霜のクリスタルでできている…
などと聴いた。 春らしい色やひかりを想像するだけでも麗らかになれる。 それでも手袋だけは外せない。 なぜって 防寒以外に手套こそ人生のたいせつな飾りだから。
けもの臭き手袋呉れて行方知れず 三鬼
おやおや…
冷笑をこらへ手袋はめゐたり かな女
手袋の十本の指を深く組めり 誓子
どれも 意味深い。
-☆-
ことし朱い手袋をバーゲンで買った。 見栄を張って手にいれたものの、 ずっと黒できめてきたので、 何となくはずかしい。 派手すぎないか… 赤い口紅のそこだけが目立つように、 手袋だけが主張し過ぎないか。
肝心なのは手そのものだ。
じょうずに字を書いたり、 よい絵が描けたり、 美味しいものを作ったり、 やさしく差しだしたり。 傷みを手あてするやわらかな手。 現実は、 マニキュアの変わりに絵の具が染みて、 荒れ放題の手である。 字もうまくない。
それならカバーをかけて 変身だ!
着けただけで有能な手になれるのならば、 これをはめて大手を振って歩こう、 袋のなかの手は心底そう思っていた。
私の老班でまだら模様の手を隠すのにこの手がありましたね。
抑えた渋い寂び朱のようで決して手袋が独走することはありません。
黒っぽい装いのアクセントになって・・・・と想像を逞しくしています。
05年の9月の終わりごろ、手の色いろで、他愛もない遊びを書いていました。
あのころは、回文を楽しんでいたのを懐かしく思い出しました。
「手」は、日本人はことのほか愛し、”相手”や””手を切る”のように、人格を与えられて大事にされてきました。
日本語の手は、最初は「タ」で、「便り」「頼り」のタの原義は「手寄り」と教わりました。蛙さんの優しい暖かな手は、頼りにされています。
日本語の手は、最初は「タ」… 勉強になりました。 boa!さんのあの手この手、とても楽しいのデ「手の色いろ」をご紹介しテおきましょう。http://blog.goo.ne.jp/bonito_1929/e/408a30da7b6c28b19ca2e0811b210fd7
手編みのセーターをきテ、まじめに台所に立っテおります。手寄りにされテ。
boa!さんのblogも快調ですね。これからデかけるので後ほど伺います。