らじかのよかん

ふっ急になんかわかんないんですけど↑

やけぶろ

2007年08月01日 | 身辺
空き地である。
正確にいえば 月極め駐車場 なのだが、それにしては広々としていたなあ。

その空き地を 「 やけぶろ 」 と呼んでいた。
意味は不明である。
が、まあなんでもよかった。
「 じゃあ、やけぶろな 」 で近所のガキの集合なのだ。

やけぶろの一角にレンガ造りの構造物があった。
一辺数メーターの直方体だ。
入り口のようなものから入ると、すぐに行き止まりである。
それが何か、だれも知らないのだ。


やけぶろが、焼け風呂の意であろうとわかったのが中学に入ってからだ。
レンガの塊は、たぶん風呂釜だったのだろう。

そんな大火事がいつ起こったのか、ということには頭が回らなかった。

昨日すべてが判明した。
昭和20年3月10日だよ。
元の名は 「 神明湯 」 だそうだ。

なんと数十年間 「 やけぶろ 」 だったとはなあ。
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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
俺らがガキの頃は (ZEKE)
2007-08-01 13:11:35
まだ「戦後」の名残があったよね。

英語の道路標識とか。
ツギ当て (らじお)
2007-08-01 18:04:51
あったなあ。
俺は「外人にもわかりやすいように」親切で英語の標識があるのだと思っていた。

第一、俺の生活はけっこう戦後だったぞ。
ツギ当てズボンをはいていたのだ。
飛雄馬君もびっくり。
コロッケ1っこorメンチ半分 の選択もせまられていたよ。

万博の頃までだよね、そういうのって。


「やけぶろ」は10年ほど前に、住宅地になりました。
約50年「やけぶろ」のまんまだったのね。

写真を撮っておくんだったなあ。
昭和は遠く、だ (ZEKE)
2007-08-01 20:03:30
阿久悠センセも亡くなったし(-人-)ナムー

なんたって天才だった。不世出といっていいだろう

ヨノナカバカナノヨ
胴衣 (らじお)
2007-08-01 20:54:05
たった2行で
上野から青森に行っちゃう人だからな。
フツウは2番になっても、上野でもたもたしてるもんだが。

傑作名作数知れず。
偉人ですなぁ。

昭和のデジタル時計が、またひとつカタリと変わったねえ。
やけぶろ跡地は是非この人 (ねこぱんち)
2007-08-02 08:53:13
我々にはまだ、楳図かずおがいる。ところで隣に赤白のしましまの家が建ったら、どうしまひょ。わくわくするよね。
ぐわし (らじお)
2007-08-02 09:22:09
高校生にのときに漫画を描いて、
超有名漫画家(ベ○ー帽のひと)に送った。
突っ返された。

数ヶ月してその漫画家の作品が雑誌に掲載された。
楳図青年の漫画そのままだったそうだ。
本人談。

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