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日本海大戦~船乗り将軍の汚名返上

2013-05-20 | 海軍

■その男は若いころから乱酔乱暴で、
戦艦の副長となっても酒癖の悪さは直りませんでした。

ある日上陸して大酒を飲んできたこの男は案の定艦内で暴れだします。
艦長の山本権兵衛が抱き抱えるようにして彼を甲板に連れて行きました。

心配して様子を見に行った少佐が甲板で見たものは、
胸ぐらをつかまれ艦長に殴られている副長の姿でした。


■日本海大戦の17年も前のこと。
横須賀のドックに入港したロシア戦艦の水兵は、日本海軍が用意した
宿泊所の水行社で調子こいていました。
その男はロシア水兵とビリヤードに興じていたのですが、名を尋ねられ

「大和艦副長、海軍大尉、上村彦之丞」

日本語が聞き取れないロシア兵はもう一度聞きなおします。

「大和艦副長、海軍大尉、上村彦之丞!」

こんどは大声で怒鳴ったのですが、その様子にロシア兵は
なぜかクスクスと笑いだしました。すると男は

「人の名前を聞いておきながら笑うとは、無礼千万!」

言うが早いか手にしていたキューで相手を殴り倒してしまいます。
このとき、ビリヤード用の丈夫なキューが折れたという話もあります。
激高した仲間が襲いかかってきましたが、彼はひらりと撞球台に飛び乗って
天井から下がっていたランプをちぎっては投げちぎっては投げ、
しまいには椅子を振り回して大暴れ。
ロシア兵はほうほうの態で逃げて行ったそうです。


■日本が英国の造船会社アームストロング社に「千代田」を注文したときのこと。
基本的に黄色人種の国の仕事など二の次三の次で甘く見ていたイギリス人、
千代田用のために発注した12センチ砲を、日本に無断で
南アフリカ戦争中のイギリス軍に流用してしまいます。

日本側はアームストロング社の責任者を呼びつけて文句を言います。
ところが基本的に黄色人種の抗議など痛くもかゆくもないこの大造船会社のトップ、
通訳の伝える怒りの言葉にも

「ダイジョブデース。コノアトモイッカイチュウモンスレバイインデショー」

などと人を食った態度。
おまけに基本的に白人に劣等感を感じている通訳までもが、
相手を怒らせるのを恐れてジャパニーズスマイルでへらへらしています。

男の怒りは爆発します(笑)

「君じゃ話にならん!」

と一喝して通訳を変えさせ、代わりにやってきた通訳にこういい渡します。

「通訳はただ訳せばいいんじゃない!
怒った時は怒っているように、叱った時は叱っているように、
すべて本人の態度と同じように通訳せよ!」

そして猛烈に文句をつけたのです。
言われた通り猛烈な態度で通訳する通訳(笑)

それからというもの、イギリス造船所の日本に対する態度は一変しました。



この男、帝国海軍軍人、海軍大将、人呼んで「船乗り将軍」
上村彦之丞。(かみむら・ひこのじょう)。

こういうタイプに優等生はあまりいないということを証明するように、
上村の海軍兵学寮の成績は芳しいものではなく、最下位でした。
もっとも最下位といっても上村の卒業した4期生はわずか13人。
学校で最下位であった上村がこの中でたった一人大将に出世したとしても
全くあり得ないことではありませんが。

さて、話は日露戦争開戦当時の話になります。
当時、ウラジオストックには一等巡洋艦三隻を主力とするウラジオ艦隊が停泊し、
対馬海域、津軽海峡を抜けて伊豆諸島海域にまで出没し、
わが国のみならず中立国の貨物船、輸送船などを拿捕、攻撃するなど
活発な破壊活動をしていました。

その三隻とは装甲巡洋艦ロシア、グロモボイ、リューリックです。


ウラジオ艦隊の暴れた様子と被害に遭ったフネ

日本海付近で跳梁跋扈するウラジオ艦隊に対し遊撃を命じられたのが
上村中将(当時)率いる第二艦隊でした。
しかし、日本海特有の濃霧やウラジオストク艦隊側の神出鬼没な攻撃に、
なかなかこれを補足することができず、ついに常陸丸事件では、
常陸丸、佐渡丸が撃沈され、須知源二郎中佐以下の近衛後備歩兵、
第1連隊等の兵員千名余りを戦死させてしまいます。

上村は、防衛責任者として糾弾されることになります。
国会では野党議員から

「濃霧濃霧、のうむは逆さに読むとむのう(無能)なり」

と批判され(誰がうまいこと言えと)また民衆からは

露探(ろたん)提督」(ロシアのスパイという意味)と誹謗中傷されたうえ、
自宅に投石されるという事件も起こります。

部下たちが憤慨するのに対し上村は

「家の女房は度胸が据わっているから大丈夫」

と笑って取り合わなかったということですが、このサイトの漫画によると

日露大戦外伝・上村彦之丞(天下御免丸)

こうなります(涙)

そんな世間の悪評の中、またもやウラジオストック艦隊が出港した、
という情報が入りました。
上村中将の第二艦隊は蔚山沖でウラジオ艦隊を補足します。

ここで会ったが百年目。

方やウラジオ艦隊は、相手が軍艦であることを悟ると尻に帆かけて逃げ出し
(この譬えは少し適切ではないかも)濃霧の中無茶苦茶に撃ってきます。

壮烈な砲撃戦の末、ついにウラジオストク艦隊の3つの巡洋艦のうちのひとつ、
リューリックを仕留めました。
ところがリューリックは半沈しながらも味方の船を逃がすため、砲撃し続けます。

残念ながら、こういうのに日本人は弱い(笑)

さんざん悪さの限りを尽くしてきた憎き敵艦にもすぐに
「敵ながらあっぱれ」
となってしまうのが、また日本人でもあります。

このときにリューリックを見て上村中将が言ったのもまさにこの
「敵ながらあっぱれ」だったと言われています。


そして、あの「敵兵を救助せよ!」がここ蔚山沖でも行われるのです。



当初上村は逃げた二隻を追撃することを下命したのですが、
弾が切れているということを部下に板書で知らされます。
上村はその板を奪い取って叩きつけ足で踏み壊して悔しがり、
その形相のすさまじさに周りの部下は震え上がりました。

誹謗を笑い飛ばしながらその実、無能の汚名を返上する機会を
上村は切歯扼腕しつつ待っていたのでしょう。

このとき弾が残っていたら第二艦隊は逃げた二隻を追跡することになり、
当然このような「救出劇」も起こらなかったことになりますが、
これは結果として上村自身と日本軍の武士道を世界に知らしめることとなります。



海上に漂う627名のロシア人将兵の救出が始まりました。
助け上げられ信じられない思いを隠せないロシア人たち。

それもそのはず、彼らはこれまで日本の、のみならず中立国の
非武装の船を襲ってきたのですし、常陸丸事件のときも
黄色人種の生き死にごときには何の痛痒も感じず放置していたからです。


そして、敵をみすみす逃すことを阿修羅の形相で悔しがった上村は、
その同じ口で部下が敵兵に復讐の念をもって虐待行為をしないよう、
「捕虜を厚遇せよ」と命じたのでした。
そしてその命令があまねく行き渡っていると言う報告を聴き

「それはよかった。これで安心だ」

とひとりごちたと言うことです。



上村司令長官の名は一躍上がり、
無能扱いしていた世間は手のひらを反して彼を褒め称えます。

「上村将軍」という歌までができました。
その三番をここに記しておきます。


蔚山沖の雲晴れて
勝ち誇りたる追撃に
艦隊勇み帰る時
身を沈め行くリューリック

恨みは深き敵なれど

捨てなば死せん彼等なり
英雄の腸ちぎれけん
「救助」と君は叫びけり

折しも起る軍楽の

響きと共に永久に
高きは君の功なり
匂ふは君の誉れなり


そんな世間に対して上村長官が感じたのは、まさに

「半年前、ワシを国賊と罵った者もこの中にいるじゃろうのう」

第8話 ウラジオ艦隊壊滅

というひとことであったと思われます。
ところで、記念艦三笠にこのようなパネルを見つけました。


理不尽な国民の声に憤慨した学生が、上村将軍を称える軍歌を作りました。

このキャプションを持つこの「軍歌」、何を隠そう先ほどの
「上村将軍」の一番なのです。

三番の歌詞を見る限り、この歌は上村司令長官が名誉挽回となる
勝利を手にしてから作られたものに違いないと思うのですが、
どうしてこのような情報となるのでしょうか。

史料館の情報には厳密に考証がなされていて欲しいと思いますが、
ときどきこのような不整合を発見します。


さて、最後に腐女子向けの話題を二つ。

■日露戦争の3年前のこと。
上村は練習艦隊司令官としてオーストラリアを訪問しました。
その歓迎会席上、上村が豪州軍総督夫人に挨拶をしていると、
突然音楽が鳴り響きダンスの時間となってしまいます。
上村は正面にいた総督夫人の手を取りダンスをしなければならない状況に!

部下たちが手に汗を握って見守る中、上村は皆の心配をよそに見事に夫人をリードし、
総督夫人からはお褒めに預かりました。

実は上村はオーストラリア入港後、艦上で部下と共にダンスの練習をしていました。
これが本当の豪に入れば豪に従え。誰がうまいこと言えと。
部下が「よく踊れましたねぇ」と感心してみせると上村は
「なにくそ!と思ってお国のために体を動かしたのだ」と答えたとの由。

■あの広瀬武夫が乗ることになる「朝日」の回航責任者だった時に、
ロシアに行った上村。
当地の留学士官だった広瀬に、別れ際列車の窓から体を乗り出し、
その首を抱き寄せて

「この国のことは頼んだぞ!」

というなり熱い接吻をしました。

ああっ!あの広瀬さまがこんなオヤジにっ!

ただ、腐女子の皆さんをがっかりさせるようですが、
上村がキスしたのは広瀬の頬っぺただったそうです。









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9 Comments

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上村彦之丞提督 (しん)
2013-05-20 17:40:07
(`・´)ゞエリス中尉殿、上村大将、日本海海戦では、大活躍していたんですね。
調べてみたんですが、ロシア艦隊の旗艦が、舵を損傷し、図らずも一隻のみで北上中、三笠と第一戦隊がこれを追撃。
第二戦隊を率いる上村大将は、ロシアの旗艦舵故障を見抜いた参謀の意見を入れ、三笠からの全艦隊これに続けとの命令を無視して、南下する他のロシア艦隊を追撃、逃がすことなく追いつめる事が出来たその立役者ですね。驚きました。
結果、ウラジオに逃げる為、回頭北進を開始したロシア艦隊は、戻ってきた第一戦隊と鉢合わせし、追尾した第二戦隊と合わせて包囲、ロシア艦隊は、にっちもさっちもいかなくなったとの事。しかし、戦死者よりも多い数の捕虜6,000名を収容したとは、驚きの海戦です。
その名将が大酒乱だったとは・・・。 (`・´)ゞ
追伸:上村大将 (しん)
2013-05-20 17:57:21
(`・´)ゞ中尉殿、映画、日本海海戦で、上村大将を演じたのは、藤田進でしたね!想い出しました。
ロシア艦隊が現れず、国内では批判の嵐。
上村大将の家族も石を投げられている。
北海道方面への転進を上申しに来た部下たちに、
「まあ、座って、おはんらも、ここで一杯やらんか」と笑顔で勧めると、部下たちは下を向いて辞退。
「飲まんのなら、出て行ってくれ!」と吠える大将。
中尉殿の情報で気付いたのですが、部下たちは内心(この酒乱と杯を傾けるのは・・・・・)と後ずさりしたのではないかと。 (`・´)ゞ
取り急ぎ (エリス中尉)
2013-05-21 00:32:10
「人間・上村中将」をお話しする、という主旨であるため、
どのような海戦を行ったのかについては全く触れませんでしたが、
その経緯を説明していただいてありがとうございます。

しかし、救助したのが「6000名」というのは間違いです。
戦艦大和ですら乗員3000人あまりですのに、リューリックにその二倍の6千人は、無理です。

この時に救助したロシア将兵は全部で624名という記録があります。
彼らは捕虜として日本に送られ、当時の国策として内地で非常な厚遇を受けました。
そのことについてもシリーズ内でお話しする予定です。

ああ、そういえば藤田進でしたね。今思い出しました。
しかし「飲まんのなら出て行ってくれ」のシーンは全く記憶にありません・・・orz
あの映画、今となってはもう一度観る必要がありますね。

>部下たちは内心(この酒乱と杯を傾けるのは・・・・・)と後ずさりしたのではないかと

・・・・違うと思います。
こんばんは (しん)
2013-05-21 01:07:25
敬礼!エリス中尉殿、スミマセン。
話が混同してしまいました。
リューリックの捕虜は600人あまりです。
これはウラジオ艦隊を狙っての作戦中の上村大将ですね。
私がコメントしたのは、日本海海戦のときの話ですので、申し訳ありませんでした。
もしかして、映画の中でも混同して語られていたのかもしれませんが、今手元にVTRがありませんので、次回帰国の折、確認してみます。敬礼!
素朴な疑問 (フリーマン大佐)
2021-02-17 23:13:07
エリス中尉殿
ご存知なら教えてほしいのですが、この蔚山沖海戦での上村司令官をたたえる歌のタイトルがなぜ「上村提督」ではなく、「上村将軍」なのでしょうか。これは陸軍将校を養成する学校が陸軍士官学科校で、海軍士官を養成する学校が海軍兵学校であることととともに私にとって戦前の日本三大ミステリー?です。
ご質問なので (エリス中尉)
2021-02-18 08:33:12
この理由を考えてみました。

1、作詞者の海軍に対する造詣(というか思い入れ)が深くなかった
2、全ての国民に向けての歌なので、とりあえず「将軍」の方が通りがいいと思った
3、なんとなく

海軍では提督でも、「軍」を大きくとらえたときに将軍の方がキャッチーだったのでは?
と想像しますが、わかりませんね。
確かにいわれてみれば提督でないとマズいところですよね。

ただ、陸軍大将を提督ということはなくても、海軍大将を
「ジェネラル」=将軍としている媒体は過去何度かみたような記憶はあります。
追加 (エリス中尉)
2021-02-18 08:35:10
そもそも上村さんの「通り名」からして「船乗り将軍」ですからね。
これを「船乗り提督」とすると、全く受けるイメージが違ってきてしまいます。
なんかこの辺の「なんとなくな感じ」もあったのではないかと想像します。
将軍&閣下 (ウェップス)
2021-02-18 20:03:48
 横から失礼(^.^)
 この間の「怒りの海」で海軍は”閣下”を用いないと思っていたら普通に使っていた、ということもありました。言葉の使い方など時代によって変化するあいまいなものなのだ、ということではないでしょうか。
 ちなみに韓国では海軍の将官も”将軍様(チャングンニム)”と呼ばれています。
解説御礼 (フリーマン大佐)
2021-02-18 23:41:06
エリス中尉殿
解説ありがとうございます。1,2,3どれもうなずけますが、特に3の「なんとなく」が結構しっくりきました。日本海海戦が明治38年ですから、帝国海軍創設からそれほど期間もたっておらず、海軍の将官=提督というのも一般には定着せず。武門の統領的な将軍の響きの方が国民にはなんとなく通りが良かったのかもしれませんね。

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